第19話 ついに来たその日

刀身が曇っていた。フェクトは何度も曇りを取ろうと研磨するが、一向に曇りが取れることはない。それでも、庭に腰を下ろして柄巻きがぼろぼろの剣を研磨し続ける。


 狂信者バートマ・ウォースイが『神』の遺産を握っている。


 あまりにも危険だ。


 最も『神』の遺産を手にしてはいけない男が、『神』の遺産を持ってしまった。今でこそ一人ひとりの殺人で満足しているが、いつその欲求が爆発してもおかしくはない。そうなれば世の中は一瞬で混沌に叩き落される。自分の放蕩続きの人生は跡形もなく消えてしまう。


 早急にバートマ・ウォースイを始末する。それしかない。問題はその方法だ。


 『神』の遺産があろうが暗殺そのものは簡単だ。だが、相手は国王の信頼篤い神学長だ。事後処理の難しさはランカ殺しの非ではない。万全を期さなければ共倒れに終わる。


「珍しく早いな、フェクトよ」


 窓から顔を出したザントアが話しかけてきた。フェクトは一瞥しただけ刀身に眼を戻し、思案に意識を戻す。


「ウォースイ嬢とは良好な関係が築けているのか」


「……文句が来てないって事は、そういう事だ」


「脅したりはしていないだろうな」


「答えはさっきと同じだ。良いのか、忙しいんだろ。世間話がしたいなら終わらせてからにしろよ。まあ、その時は俺がいないけどな」


 間が開いた。言葉を選んで遠回しに何かを探ろうとしているみたいだ。そこで初めて、フェクトは手を止めた。何か気味の悪いものに背中を撫でられた感じがする。


「調査は楽しかったか」


 フェクトは立ち上がり、柄巻きがぼろぼろの剣を腰に収めてザントアに向き直った。


「……押し付けといてよく言うぜ。糞つまらなかった、それ以外にあるかよ」


「見ていただけだろう。だからつまらない」


 ザントアの表情や態度は普段と変わらない。しかし、相手は百戦錬磨だ。隠し事があっても違和感を表に出すような未熟な事はしない。


「土いじりや草むしりを楽しめってか。俺は三歳児かよ」


「調査ではそんなことをしたのか。何か成果はあったか」


 何が目的だ。


 遠回しに何かを探ろうとしているところを見るに、確信には至ってない。寝ている間に縄で縛られていないのがその証拠だ。あくまでも、疑いを持たれている程度か。


 どこで疑われたかはどうでも良い。もしこれがバートマの策謀なら、それだけが問題だ。ザントアが抱き込まれるのはあり得ないが、上手く利用される事は十分にあり得る。


 ランカの身が危なかった。


 一人だけを捕まえはしない。動くなら同時に決まっている。『神』の遺産を扱えるランカは武器だ。殺人鬼、狂信者には渡さない。


「成果はあったのかと聞いている」


 ザントアの声が少し低くなる。フェクトはわざとらしく舌打ちした。


「砥ぎを邪魔したのはそっちだ。ちょっとぐらい待てよ。で、なんだっけ。ああ、『神』に興味はねえ。成果を知りたいなら仲良しこよしの神学長にでも聞いてくれ。カマ掘ってる最中ならいくらでも教えてくれるだろ?」


 ザントアが微かに鼻を鳴らした。


「宮仕えの人間に腹を見せたことはない」


 ザントアは敵ではなさそうだ。それどころか、上手くすれば味方にさえできる。王族に次ぐ権力を持つマルガント家当主が味方になれば、これほど頼りになるものはない。


「なら神学長に何を吹き込まれた」


 ザントアは白髭を梳くように弄った。


「……何故そこで、神学長の名が出てくる?」


「俺たちの行動が怪しいって吹き込まれたんだろ。腹芸するような賢い家系じゃねえんだ。正直になろうぜ」


「お互いにな」


 ふと、ザントアの視線が柄巻きがぼろぼろの剣に向いた。


「……見せてみろ」


 言われた通りにする。ザントアは鞘を払い刀身を眺め、ぼろぼろの柄巻きを見つめた。


「刃を研ぐなら柄巻きも直せ、全く。……トロネット山消滅と同時期、お前たちの目撃情報があった。何をしていた」


「バートマ・ウォースイは狂信者だ」


 ザントアが眼を瞠った。しかし、直ぐに首を振る。


「ブライトも似たような事を言っていた」


 ブライトも狂信者を調べていたのか。しかも似たような見解を持っている。協力を求めるか。いや、今どこにいるかも分からない人間を頼りにはできない。


「だが、あり得ないな」


「どうしてそう言い切れる?」


「あれはそんな時間があれば職務に励み陛下に尽くす。そういう男だ。証拠はあるのか」


 肝は『神』の遺産だ。言えるわけがない。つまり、ザントアを納得させる証拠はない。


「……俺を信じてくれ」


「馬鹿息子を信じろと?」


 『神』の遺産は話せない。放蕩続きの人生を捨てるぐらいなら、迷いなくランカを捨てよう。それに、狂信者バートマ・ウォースイが『神』の遺産を公にするとは考えにくい。その点だけで見れば、バートマ・ウォースイは敵ではない。


「馬鹿は承知で言ってる。親父も狂信者の存在は見過ごせなかった。だから貧民街にも顔の利く俺に探させたんだろ。俺以上に狂信者に近づけた奴はいたか」


「当てずっぽうを近づいたとは言わない。証拠を出せない理由はなんだ。捜索の過程で法を犯してたからと言って、隠そうとする質でもないだろう」


 ここまでだな。ザントアは説得できない。それならこれ以上、時間を無駄にはできない。


「親父、じゃあな」


 フェクトは塀に向かって走り出す。視界の隅でザントアが口を開いた。


「出会え! 出会え出会え出会え!」

 植え込み、倉庫の陰、屋敷、様々な場所からザントアの私兵が飛び出してくる。フェクトは笑い、屋敷の塀に飛び掛かった。


 蹴り上がる。身長の倍以上ある塀を乗り越えて、フェクトは王都に紛れていく。

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