第17話 少女の覚悟

 甘かった。全てが甘かった。


 ランカは自分の髪を鷲掴み、ざっくばらんに切り落とす。甘かった自分が消えていく。フェクトを信じていた自分が散っていく。


 『神』の遺産を話せるのがフェクトだけだと油断したのが、そもそもの間違いだった。信じられるのは自分だけだ。それ以外は誰であろうと利用する対象でしかない。

そこまで思いつめないと、『神』の遺産が引き起こす混沌から世界は守れない。


 その時、窓を叩く音が鳴った。


 普段ならあり得ない音。ランカは手にした鋏を構えて窓を見る。


 どこか見覚えのある男がいた。すらりとした鍛えられた躰に男にしては長い髪。まさしく上品なフェクトのような外見だ。


 男は穏やかな顔に笑みを浮かべ、開けて、と口を動かした。邪気は感じない。ランカは鋏を持ったまま窓を開けた。


「ごめんね、ウォースイちゃん。表から入れない事情があるんだ」


 フェクトに良く似た顔に、非常識な行動。思いたる人物は一人しかいない。


「ブライト・マルガント殿ですか」


「初めまして。取り敢えず入って良いかな。ここはちょっと目立つからさ」


 言いながら、ブライトは無断で部屋に入ってくる。床に散る大量の髪の毛を見て微かに驚き、窓枠に腰掛けた。


「ここで良いかな。流石に未婚の女性の部屋に土足で入るのは気が引ける。……髪を切りたいなら私が切ろうか。刃物の扱いには慣れてるよ」


「結構です」


「そう。フェクトとはどう?」


 ブライトは危険だ。


 直感でそう思った。その穏やかさから気を許してしまい、気付いた時には秘密を話していそうな気がする。フェクト以上に危険な相手だ。


「話す義務はありません。それとも、それが窓から忍び込むほど聞きたかった事ですか」


 ブライトは笑って首を振った。


「兄として、弟が気になっただけだよ。まあ、フェクトはああ見えて良い子だから信用して良いよ。……難しいだろうけどね」


 ランカは返事をしなかった。


「本題に入ろうか。狂信者って知ってる?」


「来神教の関係者ですか」


「かもしれないし、違うかもしれない。狂信者は王都の貧民街で活動する連続殺人犯だ。私はその調査は父上から任されていてね。その件で話を聞きに来たんだ」


 心当たりがなかった。何故自分に聞き込みをするのかも見当がつかない。まさか、フェクト絡みか。


 ブライトが朗らかに微笑んだ。


「警戒しなくて良いよ、君は白だ。これは内密にしてほしいんだけど、狂信者の正体は神学者かその近辺の人間である可能性が高い。で、今は神学長バートマ・ウォースイを調べてる。だから神学長の娘であり神学者の君に話を聞きに来たんだよ」


 あの追手の黒幕かもしれないバートマが、連続殺人犯かもしれない。『神』の遺産を独り占めにしたい理由はそこにあるのか。


「どう? 神学長に不審なところはある?」


 ブライトに見られている。ランカは緩みかけた警戒心を自覚して、腹に力を入れた。ブライトに疑われカマを掛けられている。その可能性だってあり得る。


「まず初めに、私が白だと断言する理由を教えて頂いても良いですか」


「私とは別に、フェクトが狂信者について調べてる。正確には父上に強要された。もし君が狂信者ならフェクトが見逃す筈がない。だから君は白だ」


 フェクトは王都脱出の準備をしていないのか。いや、フェクトなら同時進行しているのか。


 判断がつかない。いや、違う。これからはその両方を考慮に入れて行動するのだ。


「納得しました。ですが、養父は神学長という立場から独自の特権を与えられています。一介の神学者である私には、何が不審なのか判断できません」


「分からないという事が分かった、それだけでも十分な収穫だ。ありがとう」


 ようやく帰るのか。ランカは内心で一息ついた。


 ブライトと話していると、全てを見透かされているような感覚に襲われる。ただ自然に視線を合わせてるだけなのに、観察されている気分になる。


「……君は勘が良いね」


 不意に、ブライトの声音が高くなった。


「普通はこのぐらい話せば警戒も解れるんだけど、君はずっと私を警戒してる。私が君を観察してるって気付いたからだ」


 ランカの全身に力が入る。ブライトは声を出して笑った。


「敵意はないよ、褒めてるだけだ。それと、君は心が表に出ている事を自覚するべきだ。平均的だけど、それでも十分警戒心が伝わってくる」


「……ご自分がどう訪ねてこられたかお忘れですか」


「普通の人はそれでも警戒を解くんだ、私が相手ならね。警戒心ってのは厄介だよ。表に出れば相手も無意識に警戒心を持つ。これは相手を出し抜く時なんかだと致命的だ」


 ブライトは何が言いたい。そう思った途端、ブライトが微笑した。


「それだよ、私が良いたいのは。何故そこまで警戒するのかは分からないけど、目的があるなら気を付けた方が良い。じゃあ、私はここで」


 ブライトは立ち上がり、窓枠から外に飛び降りる。


「フェクトと仲良くしてあげてね」


 そう言い残し、警備に見つかる事なく静かに去っていった。


 ランカは鏡の前に座った。乱暴に切られた髪に触れ、丁寧に切り揃えていく。


「……相手を出し抜くなら警戒心を見せるな」

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