第16話 狂信者を追え

 槍で穴だらけにされたような扉を蹴り開けて、フェクトは酒場に踏み入った。太った男が一人、民家のような室内で酒を飲んでいる。


「お前が狂信者の情報を持ってるのか。こんなに探し回ると思ってなかったぜ」


 酒が頬を赤くなった男は杯を持ち上げ、埃だらけの机を払った。


「だから狂信者は捕まらない。俺がお探しの情報屋だ、座んな」


 差し込んだ光に埃が舞っている。太った男の足元では堂々と虫が動き回り、一匹がフェクトの足元を通り過ぎて扉から出ていった。


「飲む場所は選ぶ質だ。早く教えろ」


「金が先だ、フェクト・マルガント」


 持っていた貨幣の入った袋を投げ渡す。太った男は素早く中身を確認し、舌舐めずりをした。


「狂信者は異常殺人鬼だ」


「どこにいる」


「まあ急ぐなよ。奴は足を残さない。だから何年も前から人を殺していながら、ほとんど野放しになってる。衛兵もお手上げだ。こんな風にな」


 太った男は大げさに両手を上げ、一人笑って酒を口にした。


「その金は噺家にやったんじゃない」


「情報屋は情報を話す噺家だ。聞きたくないなら帰りな。困るのはそっちだ」


 想像以上に情報屋を探すのに時間が掛かったかと思えば、お喋りを見つけるとは。これ以上時間を無駄にしていられない。フェクトは腰に下げた柄巻きがぼろぼろの剣に触れた。


「柄の手入れは怠っても、刃の手入れは怠ってない。その首で試すか?」


 太った男は飛び上がった。ひきつった笑みを浮かべて両手を振る。


「急かすなって。怯えたら喉が絞まる。喉が絞まったら声が出ない」


「流石噺家。最期の言葉でも口が回る」


「ま、待ってくれよ。最近俺の情報が欲しがる奴が多くてな。調子に乗っただけなんだよ。ちゃんと話すからその手を下ろしてくれ、な?」


「それが余計なんだよ」


 懐の短剣に手を伸ばす。瞬間、背後に気配を感じた。


「その飲んだくれは詐欺師だ。情報は持ってないぞ、フェクト・マルガント」


 振り返ると同時に、太った男が走り出した。椅子を蹴倒し、転がるように裏口から出ていく。フェクトは両手を下ろして、やせ細った小男を見下ろした。


「金を持ち逃げされたぞ、追わなくて良いのか」


「金に困ってない」


 小男が足元に唾を吐いた。


「屑だな」


「なんでその屑を助けた?」


「あいつの方が嫌いでね。結果は最悪、助けなければ良かった」


 フェクトは太った男が逃げた方を見て、また小男に眼を戻す。


「あいつが詐欺師だって知ってるって事は、お前も騙された口か。なんで狂信者を追ってる? 情報共有しようぜ」


 小男は鼻で笑った。


「こちらが一方的に話すだけだろう。断る」


「そう言うなって。騙された間抜け同士仲良くしようぜ」


「間抜けだって間抜けとは協力したくない」


 フェクトは小男の全身を眺めた。あばらが浮くまで痩せた躰に嘘汚れた服、まるで物乞いだ。


「初めましてだってのに嫌われたもんだな」


「いや、何度か酒場で騒いでる」


 どこか気高さのある小男の顔を凝視して、フェクトは記憶を探る。


「悪い、記憶にない」


「酒場で騒げば記憶も……馬鹿らしい。良いか、フェクト・マルガント。狂信者は俺が殺す。誰にも手出しはさせない」


 小男が踵を返す。骨ばった足を引きずるように動かし、よたよたと歩いていく。


「どうやって殺す。お前の家に鏡はねえのか?」


「刃物があれば十分だ」


 嫌われる理由は分からないが、小男をいくら脅しても情報は吐かなそうだ。それなら構うだけ時間の無駄だ。そんな余裕はない。


 ふと、思い出した。


 あの小男と初めて会ったのは、王都に来たばかりの頃だ。近づいてくる事はなかったが、酒場の隅から遠巻きに見られていた。それは今でも続いている。


「名前は……フリーティ、だっけか」




 ようやく見つけた犯行現場は、見る前から吐き気がした。


 死体の爪は砕かれ、指は落とされ、全身の皮を剥がれている。剥き身になった肉の至る所は焼かれ、内臓を取り出して空になった腹の内側には無数の針が刺さっていた。その顔は性別が分からなくなるまで鈍器で殴られ、捻じ切れた口からは今にも叫び声が飛び出してきそうだ。


「これが狂信者の所以ですか。なんて読むんですか」


 ブルパに問われ、フェクトは崩れかけて土壁に眼を向けた。そこには長々とした血文字が綴られて、垂れたものが下手な文字をさらに読みにくくしている。


「来神教の聖書、その第二章の五節から八節だったか。『神』が世の中を捨てた理由を尤もらしく正当化した部分だ」


「詳しいですね。信者ですか」


「世の中捨てて暗黒時代を引き起こした奴の帰りなんて願うかよ。それより役人どもは何やってんだ。こんな凶悪犯を何年も野放しにして恥ずかしくねえのか」


 ブルパは肩を竦め、朽ちて崩れた天井を指差した。


「ここ、貧民街ですから」


 痕跡を残しているようでいて、その実手がかりを一切残さない犯人。被害者は全員貧民街でも最底辺の人間。数年に渡って放置されているのも当然か。


「ま、感謝しましょうよ。そのお陰でこうして現場に入れたんですから。昨日起こったばかりでほやほやですぜ」


「うるせえ! 口動かすより手を動かせ」


 ブルパが片眉を上げた。


「何怒ってるんですか」


 吐き気がした。


 胃からせり上がった物を口に溜め、盛大にぶちまけたい気分だ。何故こんな思いになっているのか分からない。それがまた怒りを増幅させる。


「……男にも月の日があるらしい。早いとこ調査を済ませよう」


 狭い室内を調べるのに、二人でも時間は掛からなかった。手がかりは死体と血文字以外に無く、そこから狂信者の姿を類推するしかない。


「狂信者は狂ってなんかない。本当に狂った奴は後先考えずに人を殺すし、痕跡を消そうともしない。むしろ残していく場合の方が多い。犯したり糞したりな」


 ブルパは死体を足で小突いた。


「そうは言っても、俺にゃ狂ってるようにしか見えませんけどね」


「そう見せかけてるんだよ。しかも来神教の聖書の内容を書ける時点でそれなりに教養のある人間だ。さらに言えば、逃亡実績が頭の良さを証明してる。……平民の仕業とは思えねえな」


「貴族ってのは碌なもんじゃない」


「……全くだ。他に候補を上げるなら来神教の司祭以上の人間だな。どれにしたって役人側が隠蔽してる可能性も出てきた。面倒だな」


「切り上げますか」


 それができたらどんなに楽か。幸いなのは、自分にはマルガント家の後ろ盾がある事だ。これで多少の無茶は押し通せる。


「人海戦術だ。狙いが分かってるなら探すのは難しくない。地の利も俺にある。ここしばらくは追われてる自覚も忘れた糞野郎の顔を拝んでやろうぜ」


 ブルパは含み笑い、隠し持っていた剣を取り出した。


「生死は?」


「顔は残せよ」


 ブルパが笑顔で走り出す。寸前、フェクトは声を張った。


「この死体を片付けろ! ……変な病気が流行ったらたまらねえ」




 狂信者は毎日犯行を重ねた。


 一日目は血文字まで完成していた。二日目は惨殺死体だけを見つけた。三日目は死体だけを見つけた。それでも、狂信者は四日目も動いた。


 フェクトとブルパは闇夜で視線を交わし、長屋の一室に踏み込んだ。


 誰もいない。死体さえもない。壁が崩れていることもなく、隠れるような場所もない。フェクトは短剣を握り直し、ブルパに向き直った。


「早とちり、じゃねえよな?」


 ブルパが壁を殴った。突き抜ける。素早く腕を引き抜いた。


「偽情報ですよ……。裏切者がいやがる!」


 こちらを気に止めずに犯行を重ねる狂信者が、そんな小細工をするか。絶対にあり得ない。


「狂信者が現れた!」


 突然、暴漢の一人が長屋に飛び込んできた。


「北東部で狂信者らしき人影が見つかった!」


 フェクトとブルパは顔を見合わせた。


「どっちだと思うよ」


「良いじゃないですか。殺す人間が増える」


 フェクトは戸惑っている暴漢の肩を叩いた。


「案内しろ」


 フェクトたちは長屋を走り出た。暴漢の先導に従って、全速力で現場に駆けていく。あちこちに散っていた暴漢が次第に集まっていき、瞬く間に小さな軍勢が出来上がった。


「狂信者を追い込んでる。奴はもう逃げられねえ」


 指揮を任せた男が言った。貧民街の入り組んだ細い道を行き交って、狂信者の逃走路を辿っていく。


 ちらりと足が見えた。人影は四辻を曲がり、闇に紛れていく。


「あいつだ!」


 誰が叫ぶ。フェクトたちの足が速くなる。角を曲がって人影と正対する。


 フリーティが立っていた。


「殺せ!」


 ブルパが怒鳴った。暴漢たちが突っ込んでいく。眼を剥いたフリーティは動くことすら忘れている。フェクトは、腹の底から声を張り上げた。


「誰が許した!」


 途端、暴漢たちが足を止めた。


「誰に断ってそいつに手を出す! そいつに手を出して良いのは俺だけだ! 下がれ。俺の一挙手一投足を見つめてろ」


 暴漢たちが道の両脇に退いていく。フリーティは後ろを一瞥し、フェクトを力強く見返した。


「また会ったな、フェクト・マルガント」


 いつまで待っても、フリーティの背後から他の暴漢が現れない。状況が少しづつ読めてきた。


「偽の情報を流したのはお前だな、フリーティ」


「狂信者を殺すのは俺だ」


「てめえが狂信者だろうが!」


 ブルパが吠える。すぐさま暴漢が追従する。フェクトは腰に下げた柄巻きがぼろぼろの剣を抜き、高々と掲げた。


「俺が喋ってる。……黙れ」


 暴漢たちが静まり返る。フェクトは剣を納め、フリーティを見下ろした。


「お前は狂信者か」


「あり得ない」


「惚けんな!」


 馬鹿の声。フェクトは溜息を吐いた。


「……これが最後だ。次に俺の許可なく喋ったら殺す。さて、フリーティ。いちいち言わなくても立場は分かってるよな? 偽の情報を流した理由を詳しく説明しろ」


「一人では狂信者を追い込めない。だからお前たちを利用した。まずは厄介なお前を狂信者から遠ざけ、その間に狂信者を殺すつもりだった」


 フリーティの口調に怯えは感じない。胸を張って話し、片手は背中には隠している。いざとなれば戦うつもりだ。


「で、お前の元に来る予定の狂信者はどこに行った。この狭い道で他に行き場はない。普通なら俺たちに挟まれてる筈だ。でも、俺が見たのはお前だけだ」


 フリーティの眉間に皺が寄った。


「俺が、狂信者だと?」


「それ以外に何がある」


「ふざけるな!」


 フリーティが短剣を構えた。よたよたとフェクトに近寄ってくる。


「取り消せ、フェクト・マルガント! あれに間違われるなど屈辱の極みだ!」


「その死人同然の躰で何するって? 屈辱だろうが何だろうが、俺の質問に大人しく答えてろ。死ぬのは怖くなくても、お前が死んで狂信者が生きてるのは嫌だろう?」


 フリーティは足を止め、短剣を持った手を下ろした。


「それで良い。狂信者の姿は見たか?」


「見た。見たと思った」


「……思った?」


「次の瞬間にいなかった。そして、次に現れたのがお前たちだった」


 狂信者はどこに消えた。いや、どうやって消えた。考えられるのは一つしかない。


『転移』だ。


「糞!」


 狂信者は『神』の遺産を握っている。だからこそ、堂々と犯行を重ねられた。いざという時になっても『転移』で逃げられるからだ。


 どこで手に入れた。どこで『神』の遺産を知った。手がかりは神学者の資料室にしかなく、それもランカが始末した。


「兄貴……一つだけ聞かせてください。その狂信者はいつ殺すんですか」


 ブルパが短剣を手に並び立つ。その瞳は殺意で炯々と光っていた。フリーティも負けじと睨み返している。


「……そいつは狂信者じゃない」


「ならどこに行ったんですか! こいつが狂信者だ!」


「お前も狂信者の足を見た筈だ。普通に歩いてる足をな。こいつは普通にすら歩けない。狂信者探しに戻れ」


「……後悔しますぜ」


「しない。狂信者は別にいる。散れ」


 暴漢たちが去っていく。やや遅れて、ブルパも離れていった。


「礼が欲しいか、フェクト・マルガント」


「礼より情報は寄こせ」


 フェクトを睨むように見上げ、フリーティは服の下に短剣を隠した。


「……狂信者は王都の人間ではない。元々は他の街で人を殺していた。王都に来たのは現国王が即位した時期だ」


「十年ぐらい前か」


 フリーティの眉が逆立った。


「奴は根から腐っている! ……しかし、普段は常識人として職務をこなし、異常なまでの鬱憤を溜め込んでいる。人殺しはそれの開放だ。だから徹底的に痛めつけて殺している」


「まるで知り合いみたいだな」


「眼だけは良い。行動だけでも人柄が分かる。礼はここまでだ。狂信者は俺が殺す。それだけは忘れるな」


 これでも話した方か。手ぶりで追い払うと、フリーティは足を引きずって夜道に消えた。


「狂信者の正体か……」


 手がかりはいくつかある。最も当て嵌まるのはランカだ。


 あり得ないとは言い切れない。しかし、馬鹿馬鹿しい。ランカが狂信者なら、そもそも護衛を必要としない。


 狂信者は高い教育を受けた人間だ。冷静で頭も良く、おそらく役人に口利きできる力を持っている。貴族かそれに類する人間だろう。さらに神学者の資料室に入れる立場にいる。『神』の遺産を知ったのはランカが『神』の遺産に気付く前か。それから追手を差し向けた。


 追手の名は修道会。命令できるのはただ一人。


「新学長バートマ・ウォースイ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る