第15話 殺人鬼

「悪い。最近親父の声だけが何故か聞き辛くてな、もう一度言ってくれるか」


 フェクトは武骨な執務机に、音を立てて両足を乗せる。それを意に介すことなく、部屋の主のザントアは書類を眺めながら口を開いた。


「王都を騒がす殺人鬼、狂信者を捕まえてこい。今まで何度も沈静化する時期があったが、それが明けた今、毎日のように人が虐殺されている」


 冗談だろう。この状況で悠長に王都でお仕事なんてできるわけがない。


「この前俺に命じた事をもう忘れたんなら、実家に帰って隠居しろよ」


「衛兵と揉め事を起こす暇はあるのだろう?」


 柄巻きがぼろぼろの剣を取り返した一件か。分かってはいたが、まずい事をしてしまった。


「正当防衛だ。第一、護衛の仕事が護衛だけで済むとでも?」


 ザントアが手を止め、白髭を誂えた厳めしい顔を上げる。


「断るなら、実家に帰って一生大人しくしていろ」


 フェクトは奥歯を噛み締めて笑みを浮かべ、深く息を吐いた。


「そんなに、息子に嫌われたいかよ」


「人に好かれたくて動くほど若く見えるか」


「わが子は眼に入れても痛くないって言うだろ?」


「馬鹿息子は痛い。やれ」


 一刻も早く王都脱出の準備を進めたいこの時期に来るとは最悪だ。だが、断るのは難しい。どうする。ザントアの命令を律儀に聞いていては命取りになる。


 足掻くしかない。フェクトは執務机から両足を下ろした。


「話し合おうぜ、親父」


「狂信者が嫌なら、今からほかの候補を言ってやる」


「そうじゃない。自分でも言うのもなんだけど、ウォースイのお嬢様だけで手一杯だ。当たり前だろ。向こうは図書室で育った人種、それも女だ。俺がどれだけ気を使ってると思ってるんだ。その上さらに仕事だと? それじゃ両方とも中途半端な結果になる」


 ザントアは書類の山に眼を戻した。


「そうなった時も、実家に強制送還だ」


「……本気か? 失敗するぞ」


「今のうちに荷物を纏めておけ」


 実家に帰らせたがっているのか。いや、それなら仕事を与える必要はない。まだ期待はされているという事か。


 フェクトは笑みを取り繕い、執務机に両肘を置いた。


「外国に逃げるって手もある」


「儂が、それを予期していないとでも?」


 嫌な予感がした。フェクトは座り直して動きやすい姿勢を取る。


「……尾行してたのか」


「無駄な人は使わない。逃げても必ず捕まえる、それだけの意味だ」


 ザントアの動きに不審なものはない。尊大なまでに堂々としている。


「逃げるのは、例えばの話だよ……」


 そもそも、ランカと共に王都を離れるのは一時的だ。準備さえ整えば、追手が神学長バートマ・ウォースイと修道会だろうが秘密裏に始末する。そうして必ず、王都で放蕩の限りを尽くしてやる。一生逃亡生活を送るのは、実家で軟禁されるのと同じく死んでも御免だ。


「一つ聞きたい。親父が命より大事にしている物は何だ?」


 ザントアが、フェクトをしかと見据えた。


「マルガントだ」


「そりゃ何だ」


「全てだ。マルガントの土地。そこに住む者。そこで死んでいった者、これから生まれる者。そして、象徴でしかないマルガント家だ」


 フェクトは離席し、身を翻した。


「……仕事は引き受ける」


「狂信者の捕縛で良いのか」


「どうせ何選んでも、終わったら次の仕事だろ」


 もしやバートマとザントアが繋がっているのかと思ったが、それはなさそうだ。


 ザントアなら誰かと協力はしない。マルガント家の為と言って『神』の遺産を渡せと率直に迫るだろうし、断れば躊躇なく拷問にかける。


「対価が割に合わねえな……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る