第13話 少女との再会

 酒場の扉が開き、仄暗い店内に日差しが注ぐ。同時に、一つの影が入店した。


「すみません……」


 夜とは打って変わって静謐な店内に、おずおずとしたランカの声が染み入った。


 ランカは入り口から店内をそわそわ見渡している。辺りに尾行者の気配はない。フェクトは向かいの建物の陰から抜け出して、ランカの背中を軽く押した。


「きゃっ」


 ランカが小さく悲鳴を上げて振り返る。警戒心に満ちた瞳は一瞬にして和らぎ、胸に手を置いて息を吐いた。


「脅かさないでください、マルガント殿」


「いつまでも店の前に突っ立てられると困るんだよ。ほらお嬢様、早く店に入ってくれ。どこで誰が見てるか分からないんだぞ」


 二人して酒場に入り、フェクトは後ろ手に扉を閉める。その時、珍しそうに昼間の酒場を眺めるランカの頭部に違和感を覚えた。


 ぼさぼさだった長髪が滑らかになっている。元々の質は良かったのか、街中でも滅多にお目に掛からない美髪だ。


「……『神』の遺産の調査は進んでるんだろうな」


 ランカは勢い良く振り返った。


「いくつか進展がありました」


 安穏と色ぼけていたのでないなら問題はない。フェクトは手近の円卓に直接腰を下ろし、ランカに着席を促した。


「で、どう進展──」


「──はい、まず『地雷』については『転移』のように完全に再現できてはいません」止める間もなくランカは早口で語り始めた。「というのも『地雷』が危険すぎることとは別に『転移』とは仕様が違うようで、『転移』のように呪文を唱えただけでは発動できませんでした。これは私の見立てですがある種の暗号というか偽装工作が施されて呪文に不純物が混じっているのだと思います。ですからその不純物を取り除けば『地雷』は発動可能だと思います」


 ランカはすっきりとした顔をしている。フェクトは分からないぐらい微かなため息を吐いた。


「『地雷』と『転移』ってのは何だ。お前が名付けたのか」


「はい、名前がないと不便ですから。トルパーの村で発見した第一の『神』の遺産が『転移』で、トロネット山で発見したものが『地雷』です」


「……進展があるならそれで良い。そっちは門外漢だから任せる。下手に注意を引いたり怪しまれるようなことをしなければ文句はない」


 ぐっ、とランカが身を乗り出した。


「話はこれからです。マルガント殿は『地雷』の呪文がどのようなものか知らないでしょう? これからの為に知っておくべきです」


 面倒な奴だ。ある程度の信頼を得られたのは良い事だが、放っておけば延々と『神』の遺産について話し続けそうだ。


「例の追手について話がある」


 わざと声を低くして言う。ランカはあからさまに話し足りなさそうにしながら、しぶしぶ乗り出した上体を引いた。


「実はこの前、例の追手の残党と接触した」


 途端、ランカの顔付が険しくなった。


「ま、例の追手かもしれない奴、だけどな。これがまた変わった奴で、声は変えて喋るは男の癖に化粧してるわ、挙句の果てに全く情報を漏らさないわ、えらく気合の入った奴だった。一応、交渉の余地は残したけど期待薄だな」


「交渉はしません」


 フェクトは、自分とランカを指差した。


「こうやって正面切って向かい合うのは味方だけで良い。敵は油断させて後ろから刺すんだよ。正体に心当たりはあるか」


 俯くように、ランカは顎を引いた。


「いえ、それだけでは何とも」


 呆れてものも言えなかった。


 護衛をつけると言っても限界はある。いざという時になって予想外だと腰を抜かされるようでは、このままランカを家に帰すわけにはいかない。


 場合によっては、この場でランカを殺す。


「良く考えろ、ランカ。追手は明らかに正体を隠して行動してる。そして、『神』の遺産を知り得る立場にいる」


「とても絞り切れません」


「……本当に?」


 ランカの眉根が徐々に寄っていき、不意に顔を上げた。


「まさか、修道会ですか」


「そうだ。手口から見て追手がそれなりの訓練を受けているのは明らかだ。そして、『神』の遺産の手掛かりがあった神学者の資料室に入れる立場にいる。となれば、一番怪しいのは神学者の手足である修道会だ。ランカ、修道会を指揮するのは誰だ?」


 息を呑み、ランカは唇を噛んだ。


「私の養父、神学長のバートマ・ウォースイです」


「お前が日々暮らしているのは?」


「バートマ・ウォースイが住む館です」


「自分の置かれた状況が分かったか」


 ランカは頷きかけ、首を振った。  


「待ってください。マルガント殿の意見には一理ありますが、それなら何故、直ぐにでも私を捕えようとしないのですか。養父が黒幕なら、養子である私を捕えても体面上の問題は何一つありません」


 駄目だな。重要なのは理屈ではない。


 酷く危険な状況に置かれている可能性がある、なら警戒して備えよう。それが大事なのだ。理屈は通ってないから自分は安全だ、そう思って何になる。警戒心が緩むだけだ。


 やはりランカを殺すか。


 ザントアに付く嘘や諸々の不都合はあるが、自分の身は守れず警戒心もないランカを自由にしておくよりは遥かに良い。


「……いえ、違います」


 ふと、ランカが呟いた。


「何が? 別に間違っちゃないぞ。当然の疑問だ」


「養父は多忙です。今もトロネット山消滅について、その調査と事後処理に走り回っています。私たちが王都から動かないと分かっているのなら、泳がせておいて自分の仕事を優先する。養父は神学長で、捕まえるのは養子の私と問題児と言われるマルガント殿です。そうしても問題ないだけの絶対的に有利な立場にいます」


 フェクトは円卓から下りて、ランカの向かいの椅子に座った。


「俺なら何よりもまず、『神』の遺産を手に入れようとする」


「養父が『神』の遺産を独り占めにしようとしているなら? 前提が違えば話は別です。それなら陛下に真実を話すわけがありませんから仕事は変わらない。そして、トロネット山消滅の調査を後回しにすれば自分の立場が危うくなります。確かに『神』の遺産は強力ですが、立場が危うくなる前に手に入れられる保証はありません。どうせ捕まえるのは養子と問題児と言われるマルガント殿です。それなら、厄介事を片付けてから動いても遅くはありません」


「どうかな。神学長は現国王の懐剣だ。修道会に指示して数々の闇仕事をしてきたなんて噂があるけど、あれは真実だ。さらに言えば、神学長に任命される前から現国王の為に似たようなことをしてた。だからこそ、下級貴族のウォースイ家の出ながら神学長になれた」


「忠臣と呼ばれていた人物が主君を裏切った例は、古今東西いくらでもあります」


 フェクトは椅子から立ち上がり、胸を掻くふりをして懐の短剣に触れた。


「なら、どうする?」


 ランカをじっと見据える。真っすぐ、見返してきた。


「ウォースイ邸に帰り、『神』の遺産の調査を続けます」


「敵の口の中に戻るのか」


「帰らなければそれこそ命取りです。それに、私の護衛はマルガント殿です」


 一蓮托生。私が捕まればマルガント殿の身も危ういですよ。死ぬ気で私を守ってください。と言ったところか。


 取り敢えずは、生かしても良いか。フェクトは微笑して胸から手を下ろした。


「早い内に王都を出るぞ。流石にここは危険過ぎる。気取られないように必要な資料を纏めておけ。もう二度と王都には戻ってこられないかもしれないけど、大切な人にも言うなよ。どこから漏れるか分かったもんじゃないからな」


 不意に、ランカの表情に陰が差した。


「心配ありません。直ぐに準備を整えます」


「時が来たら迎えに行く。今日中かもしれないし朝か夜かも未定だ。くれぐれも気を抜くな」


 フェクトは酒場の出口に向かっていく。そのすれ違い様、ランカが呟くように言った。


「あそこで気を抜いた事はありませんよ……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る