第7話 山の消失 これから

 遠方に望むトロネット山は闇の中で光を纏い、その輪郭は揺れ動いていた。


 山だけでなく地続きに一帯が、大気さえも震え空間そのものが鳴動する。漏れる光は次第に輝きを増していき、山そのものを包み込みこんだかと思うと瞬く間に膨張した。


 不意に振動が止んだ。途端、光が爆発した。


 音もなく世界が白に包まれ、視覚どころか五感全てが消え失せた気がする。反射的に眼を瞑っていたフェクトは、光が弱まったことに気付いて瞼を開けた。


 光は既に収まっていたが、強烈だったそれが眼球に焼き付きついて視界は定かではない。ようやく夜に眼が慣れた時、フェクトは苦い顔で悪態を吐いた。


 トロネット山が消滅していた。


 山景は跡形もなく消え失せ、一帯にはすり鉢状の巨大な穴が穿たれている。月明りでも地層が微かに見て取れ、くり貫かれたような、そもそも土が存在していなかったように思えるような綺麗な断面が露になっていた。穴の大きさは町一つが収められる程に大きく、それだけで第二の『神』の遺産の絶大な威力を雄弁に物語っている。


 これがもし、敵軍の中心で発動したら何人が死ぬか。

 

 第一の『神』の遺産と組み合わせれば、まさしく一騎当千だ。一人で国を興して支配する事も不可能ではない。こんな物が世に放たれれば戦乱が巻き起こる。何万人がこれを狙う。何十万人の血が流れる。


 最悪だ。


 トロネット山消滅の件は今日中にも王都に伝わり、原因の調査が行われるだろう。決定的な証拠はなくとも自分たちに行き着く可能性は十二分にある。そうすれば自分はどうなる。


 最悪、待っているのは拷問死だ。マルガント家の子息だろうが関係ない。得るものの強大さの前では些細な事だ。運が良くても今まで通りの放蕩人生は送れない。一生、『神』の遺産に縛り付けられるのは眼に見えている。


 大事に至る前に、降りかかった火の粉を振り払うしかない。


 問題はランカの存在だ。ランカは自分の身すら守れない。どこかに監禁するか。いっその事殺してしまうか。ザントアを騙すのは難しいが、『神』の遺産の脅威に比べれば屁でもない。


 いや、結論を出すには早い。自分は『神』の遺産について何も知らない。


 フェクトはランカに眼をやった。無表情で大穴を見つめるその姿から心中は窺えない。


「これじゃ残りの追手も全員死んだな。人を殺したのは初めてか」


「……覚悟していた事です」


 フェクトは努めて明るい声を出した。


「心配してるんだよ。素直に受け取れ」


「必要ありません」


 信頼関係はまだできていないか。


「なら本題に入ろう。あれは何だ」


「罠です。あれが作られたと同時に仕掛けられ、再び日の目を見た瞬間に発動するようになっていたのでしょう」


「仕掛けたのは誰だ。『神』か」


 ランカが言いよどむ。すかさずフェクトは口を開いた。


「状況分かってるのか! 俺たちは今や一蓮托生だ。引き込んだのはお前だ。『神』の遺産を隠したいならお前は話すべきだ。それが責任で、お前の望みを叶える為に必要な事だ。……違うか、ランカ・ウォースイ」


 ランカは俯き、思いつめたような顔をする。


「よく考えろよ。俺はお前の敵か」


「……私の護衛です」


 息を吐き、フェクトは態度を和らげた。


「『神』の遺産は俺にも使えるのか、二つとも」


「分かりません。第二の『神』の遺産は危険すぎて試すことができません。第一の方も相応の危険があります」


「もっと危険なものが迫ってる」


「……呪文を言うので繰り返してください」


「鬱屈とした心は隔離され、散々とした体は貫かれる。追討する貴方は口角を上げ、嘲る私はそこにいた」


 何も起こらなかった。


「一度しか聞いてないからな。間違ってたか」


「いえ、正しいです。いつの間に覚えたんですか」


「さっき聞いたばっかりだぞ。俺が使えない理由で考えられるのは」


「知識か、確認しようがありませんが才能。この二つのどれかだと思います」


 机に噛り付いている時間的余裕はない。才能は試すだけ時間の無駄だ。それに、ランカが『神』の遺産を握っている事実に変わりはない。


 やはり、肝はランカか。


 他人に渡すのは論外だ。しかし、『神』の遺産を使えるランカは弱点であるが、武器にもなり得る。殺すのは延期だ。監禁も、安全ではあるが周囲の人間を誤魔化すのが難しい。


「俺は王都に戻って情報収集と隠蔽やらの準備をする」


「危険では?」


「どこもそうだ。それなら自分の力を最も発揮できる場所が良い。お前は」


「私も王都に戻って『神』の遺産の資料が他にないか調べたいです」


「違うな」


 『神』の遺産は武器にもなり得る。しかし、まだ武器ではない。今のランカは弱点だ。


「『神』の遺産を完璧に扱えるようになれ」


 武器として磨く危険は勿論あるが、持ち主は所詮ランカだ。手の内にある限り、赤子に接するのと変わらない。


 ランカは表情を硬くしまま首を傾げた。


「する事は同じですよ?」


「目的が違う。いや、最終的には同じか。最悪の場合は数万の兵士に追われる。流石に倒すのは無理だ。『神』の遺産の力が必要になる。存在は公になるけど、捕まって全部吐かせられるよりは良い。『神』の遺産を隠したいんだろ、どんな手を使ってでも」


 ランカの眼付きが、力強くなった。


「その通りです。私は再び世を暗黒時代に落とさない為、どんな手を使ってでも『神』の遺産を秘匿します」


 自分が頼もしく見えるように、フェクトは不敵な笑顔を作った。


「同意見だ。だから俺はお前を守る。でも気をつけろよ。追手には残党がいると考えるのが利口だ。そして奴らが『神』の遺産に気付いたのは十中八九王都の中、つまり俺たちは敵の胃袋に戻るってことだ。その意味を忘れるな」


 ふと、ランカの目線が地面に落ちた。


「大丈夫です。今までと変わりません」


「そうかい。なら明るくなる前にここを離れよう。それとあの木簡はここで始末していけ。物的証拠なんて足を引っ張るだけだ」


 一瞬躊躇いを見せて、ランカは紐でくくった木簡を腰から外した。それから火打石で火を点ける。弱弱しい火がランカの顔を照らし出し、その表情は揺れる明かりで千変万化する。


 思えば状況は何一つ好転していない。むしろ悪くなる一方だ。放蕩続きの人生は、いつになったら戻ってくる。


「さあ、麗しの王都に帰ろう。……二人一緒にな」

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