第5話 二重の罠

 そこかしこで虫が鳴いている。時折、風に吹かれて枝葉がざわめき、得体の知れない鳥や獣がさえずり吠えていた。星が仄かに夜を照らし、不規則に焚き火が爆ぜている。


「なんとか、ここまで到着できましたね」


 そう言いながらランカは、背後に鎮座する異様に森深いトロネット山に視線を向ける。先ほどから何度なくしている仕草だが、真夜中にぼさぼさの長髪でちらちらと見ているその姿は不気味でしかなかった。


「もう山を見るのは止めろ。それ以上見続けると芝居臭くなる。良いか、決定的な隙を見せて今夜中に奴らに襲撃させる。だから大人しく横になれ。なんなら寝ても良いぞ」


 ランカを始末する手間が減って楽だから、とは言わない。態度にも一切出さない。

「分かっています。ただ目の前には追手と『神』の遺産があるんです。そう簡単に無防備にはなれません」


「追手を倒したら存分に調べれば良い。早く寝ろ。協力するんだろ?」


 焚火をぼんやり見つめ、ランカが呟いた。


「……マルガント殿は、怖くないのですか」


 面倒な奴だ。しかし、恐怖で混乱して勝手な事をされては困る。フェクトは腰に下げた柄巻きがぼろぼろの剣を抜き、ランカに見せた。


「これは初陣の時に貰ったものだ。夜盗の鎮圧でな、今でも昨日の事みたいに覚えてる。十歳の時の事だ。敵は十四人。味方はいなかった」


「すごい家ですね……。どのようにして勝利したのですか」


「夜に乗じて一人ずつ始末した。でも半分になったところで気付かれて戦いになった。そこから夢中だったんで覚えてないけど、見ての通り俺は五体満足だ。七年経った今なら全員を暗殺できるし、正面から蹴散らす事だって簡単だ」


 ランカは微かに安堵の息を吐き、唇を結んだ。


「……もしもという事もあります」


 あやすのはここまでだ。この調子ではいつまでも終わらない。


「自分で自分を怖がらせるのは楽しいか?」


「……すみません。もう寝ます」


 ランカはトロネット山を振り返り、地べたに寝転んだ。フェクトは揺らめく焚火を身ながら、度々小枝を放り込む。


 ふと、ランカが小声を漏らした。


「あの時、地下牢で見つけた『神』の遺産について分かった事があります」


「寝ろ」


 気にならないと言えば嘘になる。しかし間もなく闇に葬られるものの情報を得たところで何になる。それより早く寝て作業を楽にしてほしい。


「いえ、重要な事です。もしマルガント殿が、いざとなれば私があの『神』の遺産を使って逃げれば、最悪の事態は避けられる。そう思っているならそれは間違いです」


「何?」


 つい零れた言葉に、愉悦が含まれなかったのは幸いだった。唯一の懸念材料だった『神』の遺産による瞬間移動ができない。これでランカの死は限りなく決定した。


「まず、使用する事自体は可能です。問題なのは、移動先が指定できない事です。最悪の場合は火山の火口部に移動してしまうかもしれない。だから本当に最後の手段にならない限り、私はあの力を使いません」


 問題ない。最後の最後になる前に、ランカを始末してしまえば良いのだ。


 理想はランカを囮にして追手を森に引き込んだ後、追手にランカを殺させて、その後闇から追手を暗殺する。無理なら追手を殺した後にランカを殺す。何もここまでお膳立てする必要はないが、ザントアに悟られれば一巻の終わりだ。可能な限り慎重を期すべきだろう。


「心配するな。十歳の子供でもできた事だ。その前に片を付ける」


「そんな事ができる子供は、マルガント殿だけです」


 心なしか穏やかな声で言い、ランカはフェクトに背を向けた。いや、トロネット山を視界に入れた。ややあって、胸一杯の喜びが溢れたような微笑が聞こえた。


「俺はお前の護衛だ。そうだろ?」


 返事はなかった。


「それで良い」


 しばらくして、フェクトの首が舟を漕いだ。手に持った薪の小枝が手から落ち、拾う。それを何度か繰り返し、ついにフェクトは動きを止めた。


 そして、五感を最大に研ぎ澄ませ、静かに息を整える。


 音。


 フェクトの頭が一瞬にして冴え渡った。


「走れ!」


 ランカが飛び起きる。荷物を置いてトロネット山に走っていく。フェクトは追手の潜んでいる方向を見て短剣を構えた。


 出てこない。仕掛けるか。


「ランカ! そのまま行ってあれを探してこい! 時間は俺が稼ぐ!」


 追手の気配が浮足立った。フェクトは笑いを堪えてトロネット山に走っていく。既にランカは闇に紛れていた。しかし音が居場所を派手に知らせている。


 追手の足音が響いた。フェクトは静寂を保ってトロネット山の奥深い森に足を踏み入れる。それから、気配を完全に断った。


 追手の足音はフェクトを通り過ぎ、一直線にランカを目指していく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る