第3話 神の痕跡

 人心をも荒廃させる戦乱の時代に『神』は現れた。

 『神』はその御力を持って世を鎮め、黄金時代が訪れる。

 しかし幾百年か後、『神』は姿を消した。

 今に続く暗黒時代の始まりである。




「というわけで、私の調査は突如として消えた『神』の調査です。これで四度目の説明になりますが、もう覚えましたか?」


 言葉とは裏腹に、ランカの声音は高揚していた。フェクトは眠気で鈍くなった頭を上下に揺らし、欠伸をしながら声を出す。


「……俺は赤ん坊かよ、一度で覚えた。お前こそ四回も言って良く飽きないな」


「話させたのはマルガント殿でしょう……」


「楽しそうだったんでな。俺も楽しめるかと思ったんだよ。後悔してる」


 ランカがため息を吐いた。フェクトも内心でため息を吐く。


 ザントアが納得するだけのランカを捨てる口実。考えるだけでも想像以上に無理難題だった。


 ザントアの目的自体は分かっている。ランカを守らせて形だけでも貴族らしく振舞うように求めているのだ。これほど馬鹿馬鹿しい話はないが、要はそれに沿う嘘を用意すればザントアも引き下がるしかなくなる。問題は、並大抵の嘘は見抜かれるという点だ。


 単純にランカは殺すだけでは終わらない。拷問は、まだまだ続きそうだ。


「で、目的のトルパーの村とやらにいつ着くんだ?」


「もう通り過ぎました。正確な目的地にもそろそろ到着する筈です」


「あらビックリ……」


 気付けば、林の中にいた。


 斑紋を描く木漏れ日がどこでも続き、見ているだけで眠気は膨れ上がっていく。フェクトの歩みはさらに遅くなり、ランカの歩調は速くなる。


 あの細い背中に剣を突き刺せたらどんなに気分が良いか。想像するだけで快感が走り、もどかしい現実を思い出して虚しくなる。


「……急に発狂して自殺とかしないかな」


 突然、ランカの悲鳴が上がった。


「お、死んだか?」


 興奮も一瞬、フェクトは消沈した。ランカはどこぞの古びた建物を前にしていた。その後ろ姿だけでも眼の輝きようが見て取れる。


「そんなののどこが良いのかね」


 その建物は全体が樹木と一体化して林の一部に慣れ果て、元の形も壁の一部を残すのみで想像の余地すら朽ちている。辺りには何かに転用するつもりだったのか、いくつもの苔むした石材が無造作に転がっていた。


 ランカが動き始めた。僅かに残った壁の一部に手を伸ばし、顔を近づけて舐めるように観察する。フェクトは欠伸を一つして、石材に腰を下ろして眼を瞑った。


 どれだけ時間が経ったのか。


「手を貸してください」


 ランカの声が聞こえた。木漏れ日に変化はなく、ランカがやきもきした様子で眼の前にいる。


「……ちゃんと返してくれよ」


 左手を出した。間髪を入れずランカに掴まれ、問答無用で朽ちた建物へ引っ張られる。


「寝起きから情熱的だな。体力が持たねえよ」


「これを退かしてください」


 ランカが指を差したのは、建物の内側の隅に当たる部分だった。砂や落ち葉に埋もれて分かりにくいが、微かに切れ目のようなものがある。


「おそらくとしか言えませんが、ここには地下空間があるのだと思います」


「ここを調べるのか、頑張れよ。俺は近くで警備に徹させてもらう、護衛だからな」


「私では開けられませんでした」


 フェクトの手首を掴むランカの指に力が籠る。瞬間、フェクトはその手を振り払った。


「召使いを雇うべきだったな」


 ランカの眉根が険しくなった。


「早く開けてください! 調査ができないという事は、護衛が失敗したという事ですよ」


 眠気が、苛立ちで吹き飛んだ。


「そういう言い方は、自分の為に控えたほうが良いぞ」


 ランカが数歩後退る。しかし崩れかけた表情は、にわかに引き締まった。


「ここを調べる事が私にとっての全てです。それに、マルガント殿に好かれているとは思っていません。早く開けてください」


「俺を開放しろ。それが条件だ」


「分かりました。自分で開けます」


 ランカが跪いた。長い爪を黒くして、必死に地面の隙間と格闘する。だが、何も変わらない。しまいには人差し指の爪が折れた。


 ここに来るまでの数日で、ランカについて分かった事がある。


 ランカは『神』に興味を持っている。ただの興味ではない。執着と言っても良いぐらい強烈なものだ。このままランカを放っておけば、いつまでも足掻くだろう。そして、いつまで経っても地面に変化はない。拷問も終わらない。


「……良いよ、やってやるよ」


 ランカが中指の爪を地面の隙間に差し込んだ。


「自分で開けます」


 フェクトはランカの肩を引き、強引に下がらせる。


「俺の仕事っぷり、親父によく言ってくれよ」


 言える機会は来ないけどな。思いながら振り返ると、ランカの視線は朽ちた建物に釘付けになっていた。もはや先ほどの会話を覚えているかも怪しい有様だ。


「へいへい、やれば良いんだろ」


 フェクトは懐から短剣を抜き、しゃがみこんで辺りの塵を払った。


 確かに、地下空間を隠すような一米四方ほどの敷石がある。大きさからして階段でもあるのだろう。短剣の薄い刃を床と敷石の僅かな隙間に押し込み、左右に揺すって手応えを確かめる。それを少しずつ場所をずらして続け、目的の手応えを掴んだ。


 短剣を横に倒すと敷石に刃が引っ掛かる。短剣の薄い刃がしなっていく。折れる不安が芽生えた時、隙間に挟まった砂利を擦りながら敷石が浮き上がった。短剣の柄を踏んで押さえ、浮いた敷石に両の指を掛けて持ち上げると、敷石は思いの外あっさり外れた。


 底知れない穴が続いていた。


 下にいく程暗く黒くなっていき、朽ちた建物の印象も相まって幾人もの死体を飲み込んだ墓穴のような淀みを感じる。フェクトは敷石を脇に置き、短剣を懐に収めた。


「どうぞ、お嬢様」


 言うが早いか、ランカが穴に飛び込んだ。その手には準備万端、燭台がしっかり握られている。遠くなっていく明かりを見ながら、フェクトは肩を竦めた。


 不意に、首筋がちりついた。


 視線だ。


 それも良くない気配が混じっている。獣ではない。夜盗の類か。瞬時に様々な事柄が頭に浮かぶ。フェクトはこみ上げてくる笑いを堪え、穴に足を踏み入れた。


 正体は分からないが、奴らにランカを始末してもらおう。その後に奴らを殺してその首と戦いで負った傷でも見せれば、流石のザントアでも信じるだろう。


 それでやっと、元の楽しい生活に戻れる。


 脇に置いていた敷石はそのままにして、フェクトは仄かな明かりを追った。


 階段を一度曲がって地下室に着く。埃っぽい臭いや土の臭いするものの、有毒なものが溜まっている様子はなさそうだ。ランカが照らす室内は中央に通路が伸び、両端には身を屈めればなんとか入れる程度の穴が規則的にいくつも並んでいる。まるで大昔の地下牢だ。


「これは……まさか……」


 ランカはぶつぶつと呟きながら右手前の穴に近づいた。壁の断面に四角形の小さな穴が数個浮かび上がる。牢だとすれば、その四角形の穴に格子を嵌めていたか。


「なんでも良いか」


 フェクトは鼻で笑い、さらに奥に行こうとするランカを尻目に左手前の穴に入った。床に手を這わせて小石を拾い、地上に耳を澄ませる。


 微かな音。数人が砂利を踏みしめる音が鳴っている。ランカは熱心な呟きを漏らして奥を探索している。この調子なら後数分か。フェクトは無意識に舌なめずりした。


 押し殺した足音が下りてくる。三人が下り、何人かが地上に残ったらしい。この地下空間にランカの逃げ道はない。その後の戦闘でも、この狭さなら一対多数でも対等以上に戦える。


 まさしく絶好機。フェクトは期待を込めてランカのいる奥へと小石を投げた。


 音が弾む。足音が止まる。追手が気配を探っている。行け、フェクトは懐の短剣に手を伸ばす。足音が下りてきた。


 ランカは悲鳴を上げるか、その隙さえ与えられないか。フェクトは自分の口を抑え、洩れそうになる笑いを懸命に堪える。間もなく足音が地下室に降り立った。


 ふと、違和感を覚えた。


 追手の気配が想像より穏やかだ。殺気も感じない。敵ではないのか。いや、それよりランカが生き延びてしまう。フェクトは短剣を抜き、闇から追手に投擲した。


 苦痛を堪える微かな吐息。短剣が壁にぶつかった。ようやく気配が殺気立つ。抜剣音。ランカの惨殺死体が眼に浮かぶ。フェクトは歯を食いしばって笑いを押し殺した。


 まだか。後何秒待てば良い。どれだけ待てばランカを殺してくれる。自分はいつになったら追手を殺して良い。


 ぱっ、と辺りが明るくなった。


 空が見えた。


 風を感じる。


「は?」


 眼の前には、緑豊かな草原が広がっていた。遠くには長閑な村がぽつねんとある。地下牢とはかけ離れた風景だ。それに、どこか見覚えがある。


「あれは……トルパーの村、か?」


 どういうことだ。


 何が起こった。


 思考が纏まらない。躰が勝手に動き出す。


 周囲に追手の姿はない。遠くには農作業に従事する村人の姿が見える。近くにはしゃがみこむランカがいる。その手には、木簡のようなものが握られていた。


 何故、地下牢から外へと瞬間移動しているのか。分からない。しかし確信した。


 ランカ・ウォースイ。この少女が鍵を握っている。

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