第27話 植物学者——そして、白銀山を統べる者

 確かに、さっきも酒場でこの香りはしていた。


 それだけで、この人、ゴブリン子ちゃんが来たってわかるの?


 ……この人、もしや、ゴブリンの薬とかに詳しいんだろうか……。


 あたしが何も言えないでいるのも構わず、彼は続ける。


「さっきのゴブリンは……あの硬貨を見て、叫び声をあげたよね」


 そうだった。


 あの硬貨、何か意味があるんだろうか。


「返して欲しいんだよね。大事なものなんだ——さっきのゴブリンが、まだ持っていると思う」


「…………。」


 この人、どうやらもうあたしに言うというよりは『そこにいるはずのゴブリン』に向かって言っているようだ。


 でも、あたしが返事しなきゃ。


「あの硬貨、失くされたんですか? ……じゃあ、あたし探してきます。ちょっとここで待っていてください。そこのソファに座って」


 時間稼ぎだ。


 これで、逃げ出そう!


 ところが青年は、部屋から出ようとするあたしの肩を軽くつかんだ。


「いや、酒場にはないよ、きっと」


 そして言った——


「ペタル」


 ぺたる?


「ペタル、ゴブリンの植物学者にして我が僕。山の緑を守る者——僕を、忘れたかい?」



 途端に、困惑しきった表情のゴブリン子ちゃんが姿を現わす。



 ちょっと、だから、やめてってば——!



 しかし、ゴブリン子ちゃんは戸惑いながらも言ったのだった。


「ご——ご主人様!?」


「ペタル! やっぱりお前だったのか」


「え、じゃああなたは——」


 じゃああなたは。


 やっぱり、ゴブリン子ちゃんの……


 二人は、唖然とするあたしの存在などすっかり無視して話し始めた。



「本当に、ご主人様なのですか」


「そうだよ。お前のこの名前は、僕しか知らないはずだろう」


「でも——その姿——」


「ああ。ずいぶん変わってしまっただろう……翼もないし。見た目はまるで人間だよ」


「ああ、おいたわしい……」


 ゴブリン子ちゃんは泣き出してしまった。


「そういえば、確かにお顔に面影はありますが……あの美しかった髪の色も、肌だって……白っぽくなってしまって」


 青年はちら、とあたしを見た。


「どうやら術で、彼女と入れ替わってしまったようだね」


 入れ替わった?


 あたしと?


 ……術——あの時のへっぽこ魔法のこと?


 改めて、彼の髪を、目を、眺めてみる。


 ……そうか。そうだわ。


 懐かしかったのは。なんだか懐かしく感じたのは、これかもしれない。


 あたしの髪と目の色。


 珍しい、栗色だけど木苺のような赤みと、金色がかった微妙な色あいの髪。


 栗色だけど、日の光によっては緑がかって見える瞳。


「でも、よくワタクシが——ワタクシやナギ様のことが、お分かりになりましたね」


 あ、そんなこと言ったらあたしの正体バラしてるようなもんじゃないの!


 ちょっと、もう——!!!


 青年はふっと笑った。ゴブリン子ちゃんのうっかり具合が可笑しいのだろう。


「彼女——ナギのこと、疑ってはいたけれど。人間にはない闇色の髪と目だろう。耳のこともあるし——


 でも、確信はなかったんだ。さっき、お前を見るまではね」


「じゃあ、あなたはもともと闇色の髪と目があって、肌の色も褐色だったんですか?」


 思わず聞いてしまう。


「そう——青い翼。闇色の髪と目——、そして褐色の肌」


「でも、ゴブリンじゃないんですよね」


 青年はゴブリン子ちゃんを鋭く見やった。どこまでしゃべったんだ、と責めるように。


「ワ、ワタクシ、ゴブリンじゃないとしか申し上げてません、そんな、ご主人様の名前とか、精霊様であることなど、まったく……あっ!」


 しどろもどろに……言っちゃったじゃないの。


「……精霊? ……って、なに??」



 モンスターの一種?


 妖精みたいなもの?


 それとも、……幽霊みたいなもの?



 青年は、ため息をついた。


「まったく、ペタルはもう……」


 そして、意を決したようにあたしをしっかと見据え、威厳のある声で言う。


「わかったよ。……僕の名はシルヴァ・ディ・シルヴァンデール……きみのいたふもと村の裏にそびえる、白銀山を統べる者」



 ——はああああああ?

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