第19話 支配人たら、いろいろと侮れない!!
その夜。
べろんべろんに酔った最後の客を、力自慢の給仕たちが大部屋に運び——宿泊者じゃなくても、必ず毎晩一人、二人はいる泥酔者のための部屋だ——そのあと酒場の扉に錠を下ろし、皆で掃除を始める。
カウンター内やテーブルなどは、ぼちぼち閉店前に綺麗にしているのだが、床がひどい。
冒険者たちはたいてい泥まみれの長靴なので、綺麗にするのは本当に大変だ。
洞窟や沼地なんかも渡ってくるのだから仕方がないけれど——床や椅子の足にこびりついた緑や黄土色の、正体不明のブヨブヨしたもの、デロデロしたもの、一体なんなのか考えたくもない。
それでも半刻ほどで掃除は終わる。
「お疲れさま」
「また明日、お休みなさい」
小声で声をかけあい、各々部屋に戻っていく。
あたしは皆より少し遅れて宿泊所に向かう。
一昨日のゴブリン子ちゃんのことがあって、なんとなく部屋に戻る前に自室の外を確認したかったのだ。
入り口の前を通り過ぎ、窓のある方へ行こうとすると。
「どこに行くんだい、こんな時間に」
突然背後から声をかけられ、心臓が凍りついたように感じた。
「あ……支配人」
酒場の支配人だった。
裏口の柱の陰にある小さな椅子に腰掛けている。
あたしは、彼と護衛隊長との会話を思い出した——『不審な者の出入りには常日頃気をつけている』と言っていた。
じゃあ支配人はこうやってみんなの出入りを調べてるの?
あたしは慌てて、ウロウロする理由を探す。
「あ、あの……ちょっと月が綺麗だから、休憩も兼ねて眺めようかな、と……」
「月?」
「え、ええ、今日……なんだか兵士さんとかがいて、ちょっと疲れちゃって。月でも見ながら夜風にあたって、リラックスしてから寝ようかと……で、支配人は休まないんですか」
彼は、あたしを凝視してからふっと笑った。
「まあ……私も今日は疲れたからね。役人さんたちのお相手は、疲れるものだよ」
「そういうものですか?」
「そりゃそうだよ。下手に機嫌を損ねたりしたら大変だからね。
ウチもこのあたりじゃ名の知れた大きな酒場だけど、国からすれば潰すのも簡単さ。国相手となると、なにごとも穏便に事を済ませないと——」
「はあ……」
護衛隊長との会話を聞いている限りでは、怪しいものは逃さない、切れ者のイメージだったけど。
それだけじゃないのね。
少しの沈黙ののち、支配人はしみじみと言う。
「聖女様も同行者も、こんなことになってしまって大変だろうな……」
月を眺めながら、遠い目で。
「……もしも、万一彼らがここに来たら、どうなるんでしょうか?」
あたしはついうっかり——後先考えず言ってしまった。……まずいかも。
でもそんなあたしの心配をよそに、支配人は答えた。
「まあ——酒場に来てくれるお客様となれば——ただのお客様なら、何も私は言うことはないよね。酒場で騒ぎさえ起こさなければ、みんな大事なお客様だよ」
え? どういうこと?
つまり——姿を隠して、他の人に紛れてお尋ね者が来るなら、わざわざ自分からことを起こすことはしない——と?
支配人の言葉がそんな風に聞こえて、あたしは耳を疑った。
「でも、支配人、昼間——護衛隊長には——」
何かあったらすぐ知らせる、とか話をしてたのに——
あたしの言葉の続きを察して、支配人はウィンクして見せた。
「私の仕事は酒場のオーナーであって、護衛兵でも警備兵でも、なんでもないからね。役人の仕事は役人がすべきだよ」
あたしは感動した。
あたしの父くらいの年齢で、背が高くもっさりした印象の支配人。
仕事一筋の厳しい人かと思ってたけど——
あったかい、人なんだわ。
「さあ、そろそろ君も寝に行った方がいいよ。夜風は体にはよくないからね」
父親のような温かい言葉だ。
「はい、ありがとうございます——支配人も。お休みなさい」
去り際に、支配人はあたしに小声で言った。
「君——酒場に出るとき、髪を緩く束ねて、耳を隠した方がいいよ。三角巾を被るのもいいかもしれない」
「え? 耳ですか?」
なんのことかと眉をひそめると、彼は囁いた。
「自分では気づいてないかもしれないが、君の耳——日に日に、ゴブリンみたいにとがってきてるよ」
爆弾発言をして、彼は自分の住居に戻って行った。
慌てて両手で耳を隠し、立ち尽くすあたしを残して——。
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