第8話 ゴブリン子ちゃんの涙
明け方。
隣のおばさんが仕事に出て行くいつもの物音に加え、ベッドの軋み、そして奇怪な呻き声で、あたしとヒナは同時に目を覚ました。
慌ててベッドに忍び寄る。
案の定、ゴブリン子ちゃんは意識を取り戻していた。あたしたちを怯えきった眼差しで——オレンジ色の瞳で、見ている。
「んーー! はんがーー!!」
とうとう叫び出した。
これ以上騒がれては、宿泊所中を起こしてしまう。
あたしは、彼女に語りかけた。
「ねえ、あなた——昨夜、なんだってあんなところにいたの?」
猿ぐつわのせいで、もちろん答えることはできない。
でも、静かに問いかけるあたしを見て、彼女は大人しくなった。
「どうして一人で?」
ヒナも言う。
「きみみたいな女の子が、あんな時間に一人でいるなんて」
女の子、と言われて嬉しかったのか、すがるような瞳でヒナを見る。
そしてその背に生える青い翼を見て、血の気を失う。
「は、はんは、はんはが、はあはは……」
何か言いたいようだ。
「先に言っておくと、騒がれたら困るから、今の所そのままでいてもらうわ。あとで猿ぐつわは取ってあげるけど。あと、あたしたちには、あんたをどうこうするつもりはないからね。安心してよ」
確かにどうこうするつもりはない、場合によるけれど。
それから数時間後、皆が出払ったのを確認してから、あたしたちはそっと宿泊所を出た。
ヒナの翼はマントで隠し、ゴブリン子ちゃんを連れて、裏手の林の下を流れる川辺に降りて行った。
川辺を上流に少し登ると、岩場に隠れて目立たない窪地がある。
あたしたちはそこにゴブリン子ちゃんを座らせた。
「いい? 話が終わったら解放してあげるから、騒がないのよ。約束できる?」
ゴブリン子ちゃんはすごい勢いで頷いた。
あたしは手と胴の縛めはそのままで、猿ぐつわをまず取ってあげた。
「さあ、話してもらいましょうか。昨夜はなんだってあたしたちの様子を窺っていたのよ」
猿ぐつわが取れて、大きくため息をついた彼女は、しくしくと泣き出した。
「ひどいです……どうしてワタクシを、こんな目に合わせるのですか」
緑がかった、銅貨ほどもあろうかという大粒の涙をボロボロこぼす。
これが噂に聞くゴブリンの涙! 病気や怪我の妙薬として高価で取引される、ゴブリンの涙!
あたしはヒナの傷を思って、とっさに涙をハンカチで拭いた。
ゴブリン子ちゃんはあたしをジト目で見る。
「……に、人間の間では、薬になるらしいですからね。……そのために、ワタクシを捕まえたんですの?」
「まさか」
確かに、ゴブリンを捕まえて拷問に合わせては、涙を搾り取って売る不束者もたくさんいる。
「あたしたちはそんなことしないわよ……でも、ここにいる彼が大怪我しているの。せっかくだから、使わせてもらっても良いかしら」
ゴブリン子ちゃんは、ヒナを見た。
「怪我されているんですか?」
ヒナは、輝かんばかりの青い翼に醜く残る、赤茶色に腫れた傷をちらっと見せた。
「まあ……」
ゴブリン子ちゃんは眉を寄せた。
「痛そうです……もし本当にワタクシの涙が役に立つなら、どうぞお使いください……」
ちらりとあたしの顔を見る。
「ワタクシを縛り上げたりしてくださいましたが、あなた方からは悪人の気配は感じられませんし……」
「それは申し訳なかったわよ。でも、真夜中に部屋を覗かれたりするのも、気持ちの良いものじゃないけれどね」
しゅんとしてしまったゴブリン子ちゃんを尻目に、とりあえず涙で濡れたハンカチでヒナの傷を迷わず拭く。
「どう、ヒナ?」
「さあ……どうでしょう。なんだか、膿んだ傷の熱が和らいだ気も、しないでもないですが……」
即効性はないのかもしれない。とりあえず様子を見よう。
「とにかく、ありがとう、ゴブリン子ちゃん……あ、いや、あなた、名前はなんていうの?」
ゴブリン子ちゃんは黙っていた。
「あたしはナギ。こっちはヒナ」
言ってしまってから後悔する。
逃げている身で、本当の名前を名乗るなんて。
「ナギさん、ヒナさん……」
ゴブリン子ちゃんのオレンジ色の瞳が、陽の光を受けたかのようにキラッと光った。
「存じ上げております。本名を名乗ってくださり、ありがとうございます」
あたしたちを知っている?
やはり、追手なの?
「あたしの名前は、ゴブリン子ちゃんです」
ゴブリン子ちゃんかい!
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