カルト「鼻クソ教団」ができるまで ── 鼻クソ量産史(2)

 鼻クソは、比較的安全な漢方薬である。紀大のりおは確信をもっていた。

 なぜなら、良薬は口に苦いからだ。薬効を有するものほど不味い。食べたり飲んだりするのを避けたくなるものこそ良薬である。奇妙な三段論法をひらめいた紀大は、おのれが最高の真理にたどりついた特別な人間であると思いこんでしまった。

 くそであればあるほど口に苦い──良薬という理屈が成り立つ。ならば本家本元の糞──すなわちヒトの大便こそが最良の良薬ということになるが──さすがの紀大も「尻から出るクソは単なるクソだ」だと判断できるくらいの良識はあった。

 鼻クソは、鼻から出る糞である。大便つまり本家本元の糞であるヒトの大便を飲み食いするのは難しいが、鼻クソならどうにかなる。心理的抵抗は軽微である。むしろ幼少時から愛食してきた紀大は、鼻くその酸いも甘いも知り尽くしていた。

 なぜ鼻くそでなければいけないのか? ヒトの大便以外の糞ならば目クソも耳クソもある。糞ではないが陰茎や陰唇のまわりから限りなく採取できる恥垢ちこうも良薬になりえないのか?

 紀大のりおいわく「目クソや耳クソや恥垢は汚い。不衛生だ。あんなものを食べるやつの気がしれない。おぞましい」という理屈である。鼻水は飲みこめる。鼻クソも根っこは同じ。だから食べられる。目クソや耳クソをわざわざ食べるやつはいない。ゆえに、目クソや耳クソはNGであり鼻クソはOKなのである。ちなみに、恥垢を好んで食べるの者はフィクションにしか存在しない。アダルドビデオや成年コミックの読みすぎだ──というのが紀大における「鼻クソ良薬口に苦し』を裏付ける理屈だった。

 鼻クソ食いをみればわかるように明らかな精神異常者であり慢性異食病者である紀大だが、鼻クソ食い以外のことについては常識的な見解を述べることができるため、いわゆる「ギャップ萌え」の罠に囚われてしまい紀大に心服してしまう者が現れはじめた。

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