第29話 異変
以前と打って変わり、今日の冬坂は少し様子がおかしかった。
「よう。冬坂」
「……あ、む、六月くん。おはよう」
俺が朝声をかけた時も。
「なんかお前暗くないか? 具合でも悪いのか?」
「う、ううん。全然平気」
「そうか」
以前のような冬坂とは何かが違うような、そんな風にも見えた。
俺が話しかけるとバツが悪そうな表情になり、おまけに不自然に目を逸らす。
何もないのなら別に構わないのだが、だとしても何か悩みを抱えていそうな雰囲気をまとっている気がするのだ。
「はい。朝のホームルーム始めます」
先生が教室に入ってきて、教卓の前で号令を待っている。
本来ならば委員長の冬坂が、すぐさま号令をかけるべきなのだが——。
「冬坂さん。お願いしますね」
冬坂に向かってそう呟く先生に対し、彼女は全く反応しようとしなかった。
というよりは、先生に声をかけられていることに気づいていない。
そんな感じだ。
「冬坂さん? 聞こえてますか? 冬坂さん?」
徐々に声量を上げる先生に、クラスの奴らからも少しのざわつきが生まれる。
四方八方から視線を向けられているので、さすがにここまできて気づかないのはやばい。
「お、おい。冬坂、お前号令は」
「はっ……。そうだホームルーム……」
俺が横から呼びかけたところで、ようやく冬坂が現状を理解したようだった。
慌てたように顔を上げた彼女は、クラス中の視線を浴びながら、少しぎこちない号令をかける。
「き、起立。礼。着席」
その声にもどこか普通じゃない何かを感じた。
他の奴らは特段気にせずその号令に従っているが、俺はどうも少し引っかかるような気がしてならないのだ。
「なあ冬坂。お前本当に大丈夫なのか?」
「な、何の話?」
「何の話って——」
「そこ。ホームルーム中ですよ」
俺が小声で冬坂に話しかけると、それに気づいた先生の注意を食らってしまった。
いつもなら絶対バレないはずの小声だが、なんせ今日の冬坂は反応が少し大きかったみたいだ。
——いつもみたいに上手くやれよ……。
本人に直接言ってやりたいところだが、今は先生の視線がバッチリこちらに固定されているので話せない。
——それよりも今日の冬坂……やっぱり少しおかしいよな。
そう思い始めた俺は、その後も冬坂の動向に注目することにした。
授業中やその合間の休み時間。
はたまた昼休みの食事時など。
一見すればいつも通り普通に生活しているようにも見える彼女だが、どうも俺の目には何かを悩んでいるように見えてしまう。
だからと言って声をかけても「別に何でもないから」の一点張りで、その訳を語ろうとはしない。
――絶対何も無いわけがない。
俺がいくら気にかけようと、彼女がその口を開いてくれることはなかった。
――嫌――
そして時間は流れ、気がつけば放課後の実行委員会。
今日も俺たち記録雑務は、定時を大きく超えて、与えられた仕事に没頭していた。
「この調子だと今日もバイト遅れそうだな……」
残っている仕事の量からして、バイトのシフトに間に合わせるのはほぼ不可能。
俺はいつもこうなった時は、遅れるのを覚悟して、慌てず正確に仕事をこなすようにしている。
なぜなら記録ミスをすると、余計に時間がかかるから。
「そういやお前、今日あんまり進んでないな」
「そ、そうかしら」
「俺の方が早いのなんて珍しいだろ」
できる女の冬坂は、いつも俺なんかより断然早いペースで記録していくのだが、なぜか今日はあまり仕事が進んでいないようだった。
しかも見ていると、少しペンを動かしては手を止め、ペンを動かしては手を止めの繰り返し。
これでは記録に集中しきれてないことが丸わかりだ。
「なあ、お前やっぱりなんかあったろ」
「だから、別になんでもないわよ」
「じゃあなんで仕事いつもより遅れてんだよ」
「それは……」
俺が問い詰めると、冬坂はバツが悪そうに顔を俯けた。
その様子からして、彼女の身に何かがあったことがバレバレだ。
「まあ、別に話したくないならいいけど。とりあえず今は仕事に集中しろよ」
「う、うん。ごめんなさい」
そう呟くと、冬坂は再びペンを走らせ始めた。
――なんか今偉そうだったな……。
俺がこうして冬坂に何かを言うのは、何だか少し珍しい気もする。
なぜならいつもは、彼女が俺に物を言う立場だから。
「まあいいか。それよりも仕事だ」
冬坂に続くようにして、俺も止めていた手を動かし始めた。
するとすぐ隣の席で何やら動きがあったことに気がついた。
すぐ隣というのは、同じ記録雑務である南野と同じクラスの神永の席だ。
——今日の分の仕事、終わったのか?
神永に続いて南野も席から立ち、机の上の書類を整理しているので、おそらくはそうだろう。
いつもは俺たちより遅いはずの2人だが、どうやら今日は俺たちの方がのんびりしてしまっていたらしい。
「おい冬坂。今日はあいつらより俺らの方が遅いぞ」
「そ、そうみたいね」
俺が声をかけても、冬坂は決して視点をぶらさず、記録用紙だけに注目している。
今は仕事に集中しているのだろうか。
「急にギア上げやがって……」
俺はボソッとそう呟いて、再び仕事に意識を戻す。
すると記録用紙を抱えた南野が、俺の席の後ろを通り過ぎようとした。
——ついでだし、終わった仕事預かっとくか。
どうせ届け先が同じ生徒会なら、俺が南野たちの分を預かって、まとめて提出した方がいいだろう。2度手間はもったいない。
そう思った俺は南野に話しかけるべく、身体だけを後ろに向けた。
「なあ南野。今からそれ提出しに行くのか?」
「はっ……」
——ん?
俺が南野に話しかけると、彼女は俺の顔を見てハッとしたような表情になった。
そこまで驚かれるような話しかけ方はしていないので、今の彼女の反応に少しの疑問を抱く。
「どうしたよ。そんな驚いて」
「す、すみません……。なんでもないんです……」
「そ、そうか?」
なんでもないという割には、南野の動揺さ加減がすごく気になる。
目も泳ぎに泳ぎまくって全然落ち着きがないし、一体どうしたんだろう。
「まあ、なんだ。もしその提出書類生徒会室に持ってくなら、俺がまとめて出しといてやるぞ?」
「そ、そんな……先輩にお任せするなんて……」
「いいんだいいんだ。どうせ俺もこれが終わったら行くしな。遠慮しないでここに置いていけ」
「い、いけませんそんな……」
書類を預かろうとした俺だったが、南野は頑なにそれを了解してはくれなかった。
やはり先輩である俺に仕事を任せることに、少し抵抗があるのだろうか。
真面目な子だから仕方がない。
「んー……まあそこまで言うなら」
「す、すみません。せっかく気を使っていただいたのに」
「いいんだよ。俺の方こそごめんな」
「そ、それじゃ失礼します」
「お、おう」
すると南野は、足早に俺の前から去ってしまった。
——なんかあったのか?
去りゆく彼女の背中を見て、俺はふとそう思った。
今日の冬坂といい、南野といい、いつもとは何かが違うような気がする。
初めこそ内気な南野だったが、最近は割と普通に話せるようになってきた。
そう思って今も声をかけたのだが——。
「俺嫌われてんのかな……」
少し前の自分が周りに嫌われていたせいもあって、俺はそういう人間なんじゃないかと思ってしまう節もある。
実際俺は人付き合いが得意ではなく、友達も少ないので、まだ付き合いが浅い南野にどう思われているのかはわからない。
「んんー……」
だからと言って嫌われているわけではないとは思うのだが、やっぱり少し気になるのが本音だ。
「なあ冬坂」
「な、何かしら」
「俺ってもしかして南野に嫌われていたりすんのかな」
「えっ……? どっ、どうかしらね……あはは……」
——なんだその愛想笑いは。
顔を思いっきり引きつらせて、反応に困ったような態度を浮かべている。
もしかして今の俺の言葉は、あながち間違いでもなかったんじゃないのか?
「だとしたら悲しいなおい……」
同じ実行委員として仲良くやっていきたいと思ったのだが、どうやら俺は少し空回りしていたのかもしれない。
まあ色々お節介をかけたので、そう思われても仕方がない気もするが——。
「まあ……とりあえずさっさと残り終わらすか」
俺は一つため息をついて、仕事のラストスパートに入った。
黙々と記録を書き進める中、隣の席の冬坂は、なかなか手が進んでいない様子だった。
どこか気まずそうなその表情の裏には、やはり何かがありそうな気がしてならない。
話しかけようかとも思ったが、これ以上声をかければ邪魔になってしまうと思い、俺はぐっとこらえ、自分の仕事だけに集中したのであった。
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