第26話 問い

 夜のファミレス——普段なら夕食どきで客足が徐々に伸び始める頃なのだが、今日はいつにも増してお客さんの数が少なかった。


 バイトに入ってからもう2時間近く経過しているが、俺が接客したのはわずか3組のみ。

 その中でもガッツリと食事をしていったのは、たった1組だけだった。


 この調子でこの店が本当に儲かっているのか不安になるが、それでも俺は店長にそのことを直接聞くわけにもいかなかった。


 なぜなら、以前店長が厨房で料理を作っていた時、「はぁ……僕の料理が悪いのかなー……んん……きっとそうだなぁ……」などと、明らかに客足に対しての不安を、あたかも自分のせいかのように、ぼやいていたのを聞いてしまったからだ。


 しかもそれに加えて「最近よく眠れなくてさ……。突然うなされて夜中目を覚ましちゃうんだよね……」と、耳の痛い話を俺にして来たこともあった。


 そのせいもあって、俺はここ最近バイトに来るのが億劫になって来ている。

 それは別に働くのがだるいとか、そういうわけではなく、店長の気力ない姿を見ていると、過去の自分が起こしてしまった不祥事を、不覚にも思い出してしまうのだ。


「黒歴史だな……本当に……」


 俺はふと嫌な記憶を思い出しそうになり、頭を強く左右に振った。

 あの時のことはもちろん忘れてはならないが、それを思い出して仕事に支障が出る方がもっとダメだ。


「……にしても……暇だな……」


 ほんの数分ほど前に、店内にいた唯一のお客さんが帰ってから、俺はずっとここに立ちっぱなし。

 片付けは大里がさっと済ませてしまったため、俺の出る幕はなかったし、他にお客さんが来ることもなかったので、まるでカカシのように暇していた。

 これ以上にない退屈だ。


 一体この暇な時間がいつまで続くのか、今の俺には到底計り知れない。

 もしかしたら数分後にお客さんが来るかもしれないし、今日はもう来ないかもしれない。

 まあたとえ後者だった場合でも、俺の時給はいつもと同じ800円なのだが——。


「六月くんー。そろそろ休憩入ってもらっていいよー」


 背後から店長の声が聞こえ、俺がその場を振り返ると、厨房の入り口から顔だけをひょっこりと出した店長が、何やら気難しい笑顔を俺に向けて来ていた。


「は、はい。それじゃ休憩いただきます」


 俺は精一杯の笑顔でそう返事しつつも、店長の何とも触れにくいその笑顔から、自然と目を逸らしてしまった。


 ——今日も相変わらず病んでるな……。


 できるだけ店長と目を合わせないようにして、俺は控え室へと向かう。

 その間、絶え間無く聞こえ続ける店長の乾いた笑いには、一切耳を貸さず、ひたすら無心だけを保って、俺は控え室の扉を開けた。


「え、あんたも休憩なの?」

「あ、ああ。店長が休憩入れって」

「そ、そう」


 中に入るなり声をかけて来たのは、テーブルに座ってスマホを眺めていた大里。

 おそらく彼女も、店長に休憩を取るように言われたのだろう。


「お客は?」

「今はゼロ。そのせいかは知らんが、店長は相変わらずだったぞ」

「はぁ……。でもホント最近お客さん減ったよね。やっぱり評判悪いのかなウチの店」


 すると大里は、ため息と一緒にそんな話をして見せた。

 そう言えば以前も同じようなことを言っていた気がする。


「なあ大里。その悪い評判? みたいなやつって、本当にあるのか?」

「あー。そう言えばあんたは知らなかったね」


 そう呟いた後、大里は手に持っていたスマホをテーブルに置くと、両手に顎を乗せて、何かを思い出すような表情になった。


「あんたがここで働くちょっと前まで、この店にはもう1人バイトしてた人がいたんだけど。その人がなかなかの問題児でね」

「問題児?」

「接客だっていうのに平気で髪の毛金髪にして来るわ、おまけにしょっちゅうサボるわで、私たちもかなり迷惑してたの」

「それはまた……なかなかだな……」

「それである日、そいつがとあるお客さんと揉め事起こしてね。あん時はホント焦ったわ」

「揉め事って? まさか喧嘩か?」

「まあ喧嘩っていうか、あいつが一方的に殴っただけなんだけど」

「殴ったって……まじかよそいつ……」

「それで結局お店には居られなくなって、あいつはバイトを辞めた。おまけにお店の評判はガタ落ちってわけ」

「そんなことがあったのか……」


 大里から知られざる過去を聞いた俺は、正直心底驚いていた。

 普通に考えればあり得ないようなことを、平然と彼女は口にしているのだから当然だ。


「てかそれって結構やばくないか? よくお前はここに残れたな」

「別に私は働ければどこでもよかったし。それに私が辞めたらこの店終わりだから」


 確かに。

 大里の言っていることは、大げさでもない。


 現状従業員が店長含め数名しかいないこの店から、大里のようなバイトがいなくなれば、間違いなく経営に支障をきたすことになる。

 ましてやお店の評判も下がったわけだから、今店長が恐れているような状況になりかねない。


「そうか……そんなことが……」


 大里から聞いた話を再度頭で再生した俺は、しみじみとそんな声を漏らした。

 それと同時に、そんなことがあった後でも、この店で平然とバイトをしていられる大里が、少し図太くも感じられた。


「まあ言っても、この店の評判だから。私たちはただ来たお客さんを普通に接客してればそれでいいの」

「でもそれでこの店が潰れたら元も子もないだろ」

「そしたら別なバイト探せばいいだけだし」

「いや……お前1年もここで働いてて愛着とかねえのかよ……」

「あるわけないでしょ、そんなの」


 一切の迷いも見せずそう言い切った大里は、無関心な顔で再びスマホをいじり始めた。


 果たして彼女は何のためにここでバイトをしているのだろう。

 学校から近いから? それとも給料がいいから?


 いずれにしても、1年も働けば愛着の一つや二つ、湧いてきてもおかしくはないと思う。

 逆にそれくらいのきっかけがなければ、同じ場所で1年以上もバイトすることはできないだろうし。


「てかあんた、文化祭実行委員やってるんでしょ? その……冬坂さんと」

「あ、ああ。まあ一応な」


 突然の話の方向転換に、俺は少しばかり動揺してしまった。

 それと若干倒置法気味に言った、冬坂の名前も少し気になる。


「それがどうかしたのか?」

「べ、別に何でもないけど。ただあんたみたいなのに文化祭実行委員は似合わないなって思って」

「ああ、確かにそうだな。俺もそう思う」

「……じゃあなんで実行委員になったんだし」

「なんでって。頼まれたんだよ、冬坂に」

「はっ!? それってどういうこと!?」


 俺がそう呟いた瞬間、今までスマホに集中していた大里の視線が、グイッとこちらに向けられた。

 眉間にシワを寄せて俺を睨みつけるその表情から、何やら重い圧のようなものを感じる。


「どうしたよ急に怒り出して……」

「別に怒ってないし。ただ質問してるだけだし」

「いや、それにしては声のボリュームが——」

「そんなことはいいの。早く答えて」


 いつも以上に乱暴な大里は、俺の声を遮るようにしてそう言った。

 普段から俺に対して当たりの強い彼女だが、ここまでがっつり噛み付いてきたことは、今まで一度もなかった気がする。


 ——何なんだよ本当……。


「はぁ……。別に深い意味はないんじゃねーの?」

「意味なかったら頼まないでしょ普通」

「いや、俺だってわかんねーよ。ただあいつと仲良いのが俺と三宅くらいだから、消去法で俺になっただけだろ」

「何それ。マジ意味わかんない」

「だから俺だってわかんねえっつーの」


 投げやりにそう言い放った大里は、再びスマホへと視線を戻した。

 そして何事もなかったかのように、すごいスピードで画面をタップしている。


 一体大里が何に反応して、ここまで食いついてきたのかはわからないが、今一言だけ言えることが俺にはある。


 ——人と話してる時にスマホいじるなっ。


「てかあんた、いつまでそこに突っ立ってるの。座れば?」

「お、おう。それもそうだな」


 今大里に言われて気がついたが、俺はなぜか入り口にずっと立ちっぱなしで、彼女と会話していた。

 椅子はまだまだたくさん空いてるし、普段なら間違いなく自然と座っていたはずだが、どうにも今はそんな気が起きなかったのだ。


 もしかしたら大里が座っていたから、遠慮してしまったのかもしれない。

 今はだいぶ落ち着いたが、一度は「死ねばいいのに」と言われるほど、俺は彼女に嫌われていたわけだから。


「ねえ」

「おん?」


 俺が椅子に腰を下ろすなり、大里はスマホだけを見つめながら、そう言ってきた。


「あんたってさ。冬坂さんのことどう思ってる?」

「どうって……まあ、普通に知り合いかな」

「なんだしそれ。私そんなこと聞いてないから」


 すると大里は、目だけを俺の方に向け、


「好きか嫌いかって話」


 そう一言呟いた。


「は?」


 俺は質問の意味がわからず、眉をひそめて大里を見る。

 しかし大里は、それ以上何も言葉を発しようとしなかった。


 俺たちはただ無言で視線をぶつけ合っているだけ。

 もしかして大里は、俺の答えを待っているのだろうか。

 だとしても俺はその質問に答えることができない。


 なぜなら、俺自身もその答えを知らないからだ。

 好きか嫌いかなんて、一度も考えたことがなかった。

 いや、 "考える必要がなかった" と言った方が正しいだろう。


 あいつは俺に何気なく声をかけてきて、気づけば一緒にカラオケをして、気づけば学校でも普通に話すような仲になっていた。

 それがいつしか俺の当たり前となり、日常となり、そんなことを考えさせる隙を与えてくれなかったのかもしれない。


 もちろん特段好いているとか、特段嫌っているとか、そういう感情はどこにもない。


 ただ俺の日常の一部にいる存在。

 それが俺にとっての冬坂白羽であり、今はそれ以上でもそれ以下でも——。


「なんでもない。今の忘れて」

「あ、ああ……」


 そう吐き捨てるように呟いた大里は、何事もなかったかのように視線をスマホへと戻した。


 一体彼女は今の質問にどんな意味を込めていたのか。

 しばらく考えてみたが、もちろん答えは出なかった。


「それじゃ私そろそろ戻るから」

「お、おう」


 スマホをテーブルに置いて、椅子から立ち上がった大里は、まっすぐドアの方へと向かい、控え室から出て行ってしまった。


「いや、スマホ置きっぱかよ……」


 どんだけ不用心な奴なんだと思いながらも、俺はテーブルに置かれたスマホを、人目につかなそうな棚の上へと隠した。


 それにしても、大里があの時見せたあの表情。

 今も脳裏にしっかりと根付いている。


——好きか嫌いかって話。


 そして彼女が吐いた質問の意味。

 考えれば考えるほど、正解から遠退いていく気がしてならなかった。


「俺もそろそろ戻るか」


 15分ほど休憩したところで、俺は控え室を出た。

 その後、終わりの時間まで一気に働いた俺だったが——。


「ねえ! 私のケータイ盗まれたんだけど!」


 先にあがっていた大里が、控え室で1人大騒ぎを起こしていた。

 先ほど俺が人目につかない棚に、スマホを隠しておいたことを伝えると、


「ホント信じらんない! マジで焦ったんだから!」


 と、控えめに言ってめっちゃ怒られた。

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