第25話 相談

 翌日——月が一つ変わり、秋真っ盛りの10月。


 昨日に引き続き、放課後の社会科研究室では、第2回目の文化祭実行委員会が開かれていた。


「ようてめーら。昨日はまずまずの仕事っぷりだったみたいだな。この学校の生徒会長として嬉しく思うぞ」


 各クラスの実行委員があらかた集まったタイミングで、楠木会長が全体挨拶を始める。

 その番長みたいな見た目と、相変わらずのオラオラ口調で、少しざわついていた教室内は、一瞬にして静けさを取り戻した。


「今日も昨日に引き続き、てめーらには仕事をしてもらうわけだが、もし仕事の効率が落ちるようなことがあれば、容赦なく処刑してやるから覚悟しておくように」


 そして今日もまた、楠木会長は堂々の処刑宣言をしてみせる。

 一度聞いているせいもあって、恐ろしさは多少軽減されているが、それでもまだ、会長の威勢に怯えている者は少なくないようだ。


 ——あんたは平成のヒトラーかよ……。


「そんじゃ今日も早速仕事に取り掛かってもらうとしよう。昨日と同様、各々の作業を進めてくれ」


 楠木会長の合図で一斉に仕事を始めるその様は、まさに独裁政治。

 おそらくここにいる大半が、会長への恐怖心だけで仕事をしているのだろう。

 ちなみに俺は違うが。


「それじゃ六月くん。私たちもやりましょうか」

「そうだな」


 そう言って平然と仕事に入る冬坂も、おそらくは会長のことを恐れてはいない人間の1人だ。

 さすがはドSの才能を持っているだけあって、肝の座り方が普通とは一味違う。


「そんじゃ、今日もよろしくねん」

「う、うん……」


 俺がペンを持って早速仕事を始めようとした時、左隣からは聞き覚えのある会話が聞こえてきた。

 その声質からして、片方は間違いなく南野の声だ。


「何か聞かれたら体調不良って言っておいてー」

「う、うん……」


 そう聞こえた後、俺の隣の席では、人が立ち上がったのがわかった。

 おそらくは昨日用事で帰ったという、南野と同じクラスの奴だろう。


「あ、そうそう。明日は風邪で休みってことにするからー」

「う、うん……伝えとく……」


 横目で2人のやり取りを見ていると、どうやらそいつは仕事にも手をつけず、何処かへ向かう様子だった。


「そんじゃねん」


 そう吐き捨てるように呟いた後、そいつは南野1人を残して颯爽と教室から出て行ってしまった。

 残された南野は、少し落ち込んだような表情になった後、何事もなかったかのように仕事に取り掛かる。


 ——まさかとは思うが……あいつ……。


 よく見ると南野の前には、これでもかと盛られた記録用紙がドカンと置かれているし、あいつの私物やなんかも一切机には残されていない。

 これは間違いなく——。


「南野に仕事押し付けて帰りやがったな……」


 昨日からずっとおかしいと思っていた。

 俺たちが声をかけた時の南野の反応も、おどおどしたような態度も。

 何かを悟られないようにしているようで、不自然そのものだった。


 そもそも帰らないといけない用事がある奴は、わざわざこの場に来ないだろうし、南野のことを考えれば、代理を立てないまま帰るなど、まずあり得ない。


 ——つまりは無理やり押し付けたってことか……。


 昨日話した限り、南野はおそらくすごく控えめな性格なのだろう。

 同じクラスの陽キャな男子に言われてしまえば、断りにくいのもわかる。


 しかしだ——。


 だからと言って彼女1人だけに、仕事を押し付けていい理由にはならない。

 これは一つ、南野にはビシッと言ってやらねば。


 そう思った俺は、手に持っていたペンを置き、衝動的に椅子から立ち上がった。


「突然どうしたの?」

「わるい。お前は仕事進めててくれ」

「う、うん」


 困惑する冬坂にそう告げた俺は、ひたむきに記録用紙と向かい合う南野の元へと歩み寄った。


「仕事中すまん。ちょっと聞きたいことがあるんだが」

「む、六月先輩……。ど、どうされたんですか?」

「お前と同じクラスの奴、今日はどうした」

「え、えっと……それは……」


 俺がそう質問した直後、南野の表情が曇ったのがわかった。

 どうやら俺の思っていたことは、当たっていたらしい。


「きょ、今日は体調が悪いみたいで……」

「体調が悪いって……さっき元気そうにお前と話してたろ」

「そ、それは……」


 ——全く、この子は……。


「なあ南野。別に俺はお前を責めたいわけじゃない。ただ、誰かのせいでお前だけが苦労するのは違うだろ?」

「は、はい……」


 俺が南野にそう投げかけると、彼女はゆっくりとその視線を俯けた。


「言いづらいのはわかるが、それでもちゃんと言わなきゃいけないことだってある。あいつのためにも、ちゃんとそれは伝えないと」

「はい……すみません……」

「お前が悪いわけじゃないし、謝る必要はない。とりあえず今日は、俺たちが手伝ってやるから」

「はい……ご迷惑かけてしまってすみませんでした……」


 俯きながらそう呟く南野の表情はよくわからなかった。

 ただ落ち込んでいるだけなのか、それとも泣いてしまったのか。

 いずれにしろ、昨日知り合ったばかりの女の子にとっては、余計なお節介だったかもしれない。


 それでもなぜか、彼女を放っておくことができなかった。

 もしかしたら俺は、少し前の自分を重ねてしまっていたのかもしれない。

 あの全てを諦め、孤独を受け入れていた頃の自分を——。


「それじゃ俺は戻るから。なんかあったら声かけろよ?」

「は、はい。ありがとうございました」

「おう」


 そうして俺は、再び自分の席へと戻った。

 再びペンを手に取り仕事に戻る俺に対して、冬坂は何一つ、そのことについて尋ねて来ようとはしなかった。



 ——嫌——



 そして翌日——変わらず開かれた第3回文化祭実行委員会に、南野と同じクラスのは奴は来なかった。


 当たり前のように押し付けられる大量の仕事に、南野は何一つとして愚痴をこぼさない。

 それどころか、俺が手伝おうと声をかけると「大丈夫なので……」と、少し暗い声で断られるほどだった。


 だからと言って彼女を放っておけるわけもなく、俺は帰り際に「明日こそちゃんと言うんだぞ?」と念を押すような言葉をかけて、その日は教室を後にした。


 しかし——。


 その翌日も、そのまた翌日も、南野と同じクラスの奴は、実行委員会に出席して来なかった。

 初めこそ顔だけは出していたはずなのだが、今となってはその姿さえも見せないまま。

 実行委員会が終わるたびに南野に確認すると「明日は来てもらうようにするので……」と、弱々しい声で毎度同じ返事を返されていた。


 そして今日は第6回目の実行委員会の日。

 もちろん俺の隣の席は空席で、目線のすぐ先では、南野が1人山のように盛られた記録用紙に、黙々と記録を書き込んでいた。


「さすがにもう、見過ごせないだろ……」


 この光景を見るのも、今日でもう6回目だ。

 今ままではずっと黙って様子を見ているだけだったが、ここまで来ると事情を知っている身としては、口をつぐんだままではいられない。


「会長にでも相談してみるか」


 俺がとっさ思いついたのは、それだった。

 事情を説明して楠木会長に一言説教でもしてもらえれば、嫌でも実行委員会に出席せざるを得なくなるだろう。


「そうと決まれば行きますか」


 俺は記録をしていた手を止め、椅子から立ち上がった。

 いつも俺たちの仕事が終わる頃には、もうすでに会長がこの教室に居ないことが多いので、報告するなら早い方がいい。


 それに——。


 この件はできるだけ他の実行委員には、知られない方がいいだろう。

 特に南野には。


 そんなことを考えながらも、俺は会長が座る机の元へと急ぐ。

 できるだけ隠密に。誰にも見つからないようにしながら——。

 

「あの、突然すみません」

「何だ。私に何か用か?」

「実は楠木会長に一つご相談がありまして」

「相談? それは一体どんな内容だ」

「内容は……まあ……極めて深刻なもの、ですかね」

「深刻か……。んんー……よし、聞かせてみろ」


 そして俺は楠木会長に、今起きていることの全てを話した。


 南野と同じクラスの奴が、まだ一度も実行委員会に出席していないこと。

 そしてそいつの分の仕事を、南野1人で全て請け負っていること。

 言葉にして並べただけでも、これが許しがたい愚行であることは明白だ。


 何を思ってそいつがこんなことをしているのかはわからない。

 ただめんどくさいだけなのか。それとももっと違う理由なのか——。


 何にせよ、彼は罪を重ねすぎた。

 一度上手くいったから、サボるのが癖になってしまったのだろう。


 とにかく今はその重ねた罪の重さを持って反省してもらうしかない。

 楠木会長の怒りの鉄槌を受けた後で。


「事情はわかった。つまり私はあまり表向きにしないように、そいつのことを処刑すればいいのだな」

「ま、まあ……端的に言えばそうですね……」


 ——処刑って……まさか本当に殺さないだろうな……。


「よし、それならば任せておけ。この学校の生徒会長として何とかしてやる」

「助かります」


 ただのスケバン野郎だと思っていた楠木会長は、思いの外聞き分けのいいとても良い人だった。

 俺の相談も素直に聞き入れてくれたし、おそらくこのまま会長に任せておけば、事静かに問題は解決するだろう。


「そう言えば、お前の名前を聞いてなかったな」

「お、俺ですか? 俺は2年の六月春です」

「六月か。よし、覚えておくとしよう」


 楠木会長は、そんなバトルドラマの名シーンみたいなセリフを吐いた後、腰掛けていた椅子からゆっくりと立ち上がった。


「それじゃあ私はそろそろ生徒会室へと戻るとする。他にも何かあったら遠慮なく相談してくれ」

「わかりました」

「うむ。引き続き仕事を頼むぞ、六月」


 吐き捨てるようにそう呟いた後、楠木会長は颯爽と教室から出ていった。

 その後ろ姿はどこかかっこよく、まるで本物の番長を見ているように勇ましい。

 まあ、本物の番長が何かはわからないのだが——。


「これでひとまずは大丈夫そうだな」


 楠木会長に相談した事で、俺もようやく肩の荷が下りたような気がする。

 今まで辛い思いをしていた南野も、これで少しは楽ができるだろう。

 それでも彼女は、自分が楽するような真似はしないのだろうが——。



 ——嫌——



 翌日——第7回目の実行委員会。


 今までサボりにサボっていた、南野と同じクラスの実行委員、神永隆太かみながりゅうたは、初めて、実行委員会に出席をした。

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