文化祭編

第22話 頼み

 大里の態度が急変したと感じたのは、その翌日のこと——。


 あの日の俺は、いつも通り遅刻ギリギリに登校し、足早に廊下を移動していた。

 するとその途中、トイレから出てきた大里とばったり会ってしまったのだ。


 もちろんそこで何をするわけでもなく、お互いにただ無言ですれ違うその時を待つのが当たり前。

 以前ならそれが普通だったはずなのに——。


「おはよう」


 あろうことか大里は、足早にその場を通過しようとした俺に「おはよう」と一言呟いたのだ。


 しかもそれは決して俺をバカにしてのものではなく、本当に純粋な朝の挨拶。

 これには流石の俺も「お、おう……」と隠キャ丸出しの返事しか返すことができなかった。


 もちろんそれだけのことで終われば、俺も特段気にするようなことはなかった。

 おそらくだが「今日の大里は機嫌がいいのかもな」くらいで済ませていたと思う。


 しかし——。


 大里の予想外な奇行は、その日だけでは終わらなかったのだ。


 昼休みになれば「私今日用事あるから、私の分もパン買ってきて」と突然小銭を渡されたり。

 バイトの控え室で一緒になれば「飴あるけど、あんたも食べる」などと気を使われたり。


 それはもう俺の想像の遥か上を行くような出来事ばかりで、何かある度に俺は「お、おう……」みたいな中途半端な返事しか返すことができない。

 だからと言って大里は、俺に罵声を浴びせるようなことはせず、ただ単純に言葉通りの意味を持って俺に話しかけてこようとするのだ。


 おかしい。何かがおかしい。

 なぜこのような事態に陥っているのか、しばらく考えてみたが答えは出ず。

 かと言って、大里本人に直接聞きに行くわけにもいかない。


 今の俺がわかっていることがあるとすれば、大里がおかしくなったのは、俺が彼女を自宅まで送った時からということぐらい。

 別れ際に見せた不自然な態度からして、おそらくそれは間違いないだろう。


 でも俺はあの日、彼女の態度を一変させてしまうような、特別なことは何もしていない。強いて言えば彼女の看病をしたくらいだ。

 しかしそれだけで俺に対する印象が変わるとも思えないし——。


 ——んんんんんんんんんん……。


「ねえ、あんた今日バイトは?」

「へっ?」


 永遠と頭の中で考え事をしていた俺に、突然噂の大里が声をかけてきた。

 もう何回も経験しているとは言え、流石にこればかりは何度でも驚く自信がある。


 ——心臓に悪いからやめてくれ……。


「バイト。今日シフト入ってないの?」

「あ、ああ。今日は一応ナシになってる。お前は?」

「私はいつも通り4時からだけど……あんたがないなら別にいっか」

「別にいいって……何が」

「なんでもない。それじゃ私もう行くから」

「行くって……お、おい……」


 それ以外特に何を聞くわけでもなく、大里は颯爽さっそうと教室から出て行ってしまった。


 ——何なんだよ本当……。


 こんなことがここ数日間ずっと続いているわけだ。

 そりゃあ普通の人間だったら、動揺の一つくらいするだろう。

 まあ俺の場合、動揺が一つどころの騒ぎではないのだが——。


「——って、お前はどうしたんだよ……」

「どうしたって、何が?」


 さらに俺の右隣からは、先ほどからずっと謎の視線が向けられていた。

 しかもただ見られているだけではなく、何やら不浄な思いが込められていそうな視線だ。


「いや……何で俺をじっと見つめてんだ……」

「別に。なんでもないけど」

「なんでもないわけないだろ。人が話してるとこまじまじと見やがって」

「別にまじまじと見ていたつもりはないのだけど。ただ私はいつから2人はそんなに仲良くなったのかなって思ってただけよ」


 平然とした顔つきでそう呟くのは、俺と席が隣同士である冬坂白羽。

 彼女もまた、俺と大里の複雑な関係を知っている人間であるがゆえ、最近の俺たちの関係に、少しばかり違和感を感じているのだろう。

 こういう副作用もあるから、俺は困っているのだ。


「俺たちは別にそういうんじゃねーよ。ただのバイト仲間ってだけだ」

「その割には前よりも全然打ち解けてるじゃない。私ちょっと嫉妬しちゃうかも」

「はっ……? 俺とお前はただのクラスメイトだろ……。嫉妬する意味がわからん」

「それでも一度はデートに行った仲じゃない。そんな私をほっといて他の女に走るなんて、六月くんもなかなかの悪党ね」

「いや……あん時はお前が俺を強引にカラオケに連れてったんだろ……」

「あれ? そうだったかしら?」


 俺が呆れるようにそう言うと、冬坂はとぼけたような顔をして見せた。


 一体彼女は俺をいじって何が楽しいのか。

 以前からSっ気のある奴だとは思っていたが、まさかここまで定着してくるとは思ってもいなかった。


 ——黙ってればもっとマシなのにな……。


「今何か余計なこと考えてたでしょ」

「い、いいや……別に……」


 さらには少し勘が鋭いところもあなどれない。

 大里もそうなのだが、どうも可愛い女の子というのは、その言葉だけじゃ止まらない何かがある気がするのだ。

 まあこれが俗に言う『可愛い女の子ほど怖いものはない』というやつなのだろうが——。


「まあいいわ。そんなことより六月くん。突然だけど、実はあなたに一つお願いがあるのよ」

「お願い? 俺にか?」

「ええ、あなたに」


 そう切り出した冬坂は、先ほどまでとは一変して、すごく真面目な顔つきになった。

 どうやらおふざけなしのリアルなお願いらしい。


「今度この学校で文化祭があるのは知ってるわよね?」

「あ、ああ。確か吾ヶ祭あずがさいだったよな?」

「そう。しかも今年は3年に一度の一般公開の年で、去年よりもさらに大きな文化祭になるんだけど、それもちゃんとわかってる?」

「ああ。もちろん」


 うちの学校では毎年必ず文化祭が開かれるのだが、3年に一度だけその文化祭が一般公開されることになっている。

 それは高校生活3年間の中でも、修学旅行に並ぶビックイベントで、全学年を通してかなり気合の入った2日間になることは間違いないのだが——。


「その文化祭とお前のお願いは何か関係があるのか?」

「ええ。それで早速来週から文化祭に向けた実行委員会が開かれることになってて、あなたにお願いしたいのはそのことについてよ」

「そのことについてって……実行委員会がどうかしたのか」

「実行委員会は各クラスから男女1人ずつ選出された実行委員によって開かれるわけなんだけど、うちのクラスはまだ男子の実行委員が決まってないのよ」

「ふーん……ん?」


 ——実行委員が決まってない?


 ちょっと待て。つまりこいつのお願いって——。


「なあ……。お前まさかその文化祭実行委員に俺を引き込もうとしてるわけじゃないよな?」

「まあ端的に言えばそうなるわね」


 どうやら俺の考えは当たっていたらしい。

 やけに長々と説明するなと思っていたら、俺に文化祭実行委員をやってくれと。

 そんなの急に言われたってできるわけがない。


「いや、それはさすがに無理だろ……。てか何で俺なんだよ……」

「あなたくらいしかお願いできる男子がいなかったのよ」

「俺以外にもいくらでもいるだろ。例えば三宅とか」

「三宅くんにはサッカー部の練習があるでしょ?」

「いや俺にもしっかりバイトというものがあるんだが……」

「大丈夫。一応5時までには開放してもらえることになってるから」

「いやそれ全然大丈夫じゃないから……」


 冬坂の言っていることは相変わらず無茶苦茶だった。

 サッカー部の練習がある三宅がダメで、バイトをしている俺はおっけいらしい。

 いよいよ意味がわからない。


「とにかく、六月くんくらいにしかこんなこと頼めないのよ」

「んなこと言われてもな……」


 冬坂の言っていることは無茶苦茶だが、本気でお願いされてるのは何となくわかる。

 現にこうやってかなりグイグイ来ているわけで——。


 ——でも待てよ。


 先ほど冬坂は『男子の実行委員はまだ決まっていない』と言った。

 でも裏を返せば、『もうすでに女子の実行委員は選出済み』ということにならないか?


「なあ冬坂……」

「何?」

「もしかして女子の実行委員はもう決まってたりするのか?」

「ええ。まあ一応ね」


 ——やっぱりだ。


 つまり俺が仮にも実行委員になったとして、その相手次第では地獄のような時間を過ごすことになりかねないということだ。


 コミュニケーションもろくに取れず、仕事が全く進まない。

 ましてや俺が実行委員になることで、相手のやる気も下がる。


 普通に考えたら最悪だ。

 ここは丁重にお断りして、身を引いてもらうしかない。

 それが今の俺が取れる最善策だろう。


「ああ……悪いが冬坂——」

「お願い! 委員長の私を助けると思って。ねっ」


 俺が断ろうと口を開くと、それをかき消すように冬坂がそう呟いた。


「お前を助けるって……。別に実行委員と委員長は何も関係ないだろ」

「何言ってるの六月くん。文化祭実行委員の片方は各クラスの委員長が必ずならないといけない決まりなのよ?」

「はっ? てことは……女子の実行委員って……お前?」

「そうよ。当たり前じゃない」


 不意をつかれた俺に対して、冬坂はしっかりとした口調でそう言った。

 正直その展開は予想していなかったので、俺もどう反応していいのかわからない。


「だからあなたにお願いしてるのよ?」

「いや……そんなこと言われてもな……」

「お願い」

「んんー……」


 俺の目をまっすぐに見てそう頼んでくる冬坂は、心なしかいつもよりもキラキラして見えた。

 目は上目遣いだし、顔もいつもより可愛子ぶってる気がする。


 これがいわゆる女の武器というやつなのだろう。

 こんなものを突きつけられては、さすがの俺も断れるわけもなく——。


「わかったよ。そこまで言うならやってやるよ」

「本当!? ありがとう六月くん!」

「はぁ……」


 急に上機嫌になる冬坂に対し、俺からは重めのため息しか出ない。

 それくらい俺は、冬坂白羽にしてやられたのだ。


「それで? 文化祭実行委員って、具体的に何やればいいんだ」

「その辺の話は多分来週の実行委員会でされると思うから、とりあえず六月くんは放課後の時間開けといてね」


 どこまでも無茶苦茶な冬坂は、結局最後まで無茶苦茶なままだった。

 もうすでに提出してしまっているバイトのシフトを変えることが、どれほど大変なことか、おそらく彼女は知らないのだろう。


 ——これは明日のバイトで土下座だな……。


「それじゃ私、先生に報告してくるから」

「なら、俺も帰るか」


 そうして俺たちは、揃って教室を出た。


「それじゃ六月くん。来週からよろしくね」

「へいへい」


 そう言うと冬坂は、まっすぐ職員室の方に歩いていく。

 長い黒髪をなびかせ、悠々と。


 そして俺は、そんな彼女の後ろ姿を見てふと思った。


 ——そう言えばあいつ、なんで嫌われてるんだろ。


 それは彼女に出会った頃からの疑問で、未だに知らない彼女の秘密でもある。

 初めこそ俺は信じていなかったし、どうせ嫌われているのなんて、ただの出任せだろうと思っていた。


 しかし今思うと、冬坂がクラスの女子と話している姿を見たことがない。

 というよりかは、女子たちが冬坂のことを避けているような、そんな感じにも見える。


 一体彼女に何があったのか。

 正直とても気になるところではあるが、彼女自身がそれを口にしない限り、俺が勝手に追求するような真似はすべきではないだろう。

 

「文化祭実行委員か……」


 予想外の役どころを担うことになった俺は、今日も1人で駅までの道を辿る。

 まさかその翌日、本当に店長の前で土下座することになろうとは、この時の俺は知る由もなかったのだった。

 

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