第21話 胸の内

 大里が突然倒れた後、俺は彼女を抱えて、控え室へと駆け込んだ

 そして少しでも横にさせてあげようと思ったのだが——。


 ——あ、そういや……。


 よく考えてみればこの店の控え室には、ソファーのような寝床が存在しなかったのだ。

 まあ当たり前といえば当たり前だが、それでもこういった非常事態に寝床がないと困ってしまうのは確か。


 そこで俺は複数ある椅子を並べて、簡易のベットを作ることを試みた。

 初めこそ「寝心地悪いかもな」などとは思ったが、大里が小柄だったおかげもあり、椅子を4つほど使って、全身をリラックスできるほどの寝床を作ることができた。


 そうして大里をなんとか寝かせることに成功し、今に至るわけだ。

 あれから1時間ほど経過したが、まだ彼女が目を覚ます様子はない。


「これで寝違えてなきゃいいんだが……」


 体調が良くなっても、身体を痛めてしまったら元も子もない。

 一応俺が見張っていたところ、さほど寝相は悪くないように思えたが——。


「ん……んん……」


 すると椅子の上で寝ていた大里が、何やら喉を鳴らすような音を出した。

 やがて横になっていた身体を起こしたので、ようやく目を覚ましたらしい。


「おっ、起きたのか」

「んん……ここは……」

「ファミレスの控え室」

「なんで……私こんなところに……」

「なんでって……お前覚えてないのか?」


 眠そうに目をこすっている大里は、どうやら少し寝ぼけているらしい。

 会話の相手が俺だというのに、いつものような刺々しさが感じられない。


「お前バイト中いきなり倒れて、そっから今まで寝てたんだぞ?」

「バイト……? そうだ私……お皿運んでて……」


 するとここで、ようやく大里の視線がはっきりと俺の方に向けられた。

 先ほどまでとは打って変わって、パッチリと目も開いているので、どうやら完全に俺を認識したらしい。


「な、なんであんたがここに居るの!?」

「いや、俺はさっきっからずっとここに居るから……」

「で、でも……! 私、さっきまでお店に……」

「だから俺がここまで運んできたんだよ」

「嘘……。じ、じゃああれは……」

「あれ?」


 俺が尋ねるようにそう呟くと、何やら大里の顔が赤くなったのがわかった。

 表情も何かを思い出してしまったような、少し初々しい感じになっている。


 ——もしかしてこいつ、まだ具合悪いのか?


「顔赤いみたいだけど、まだ具合とか——」

「悪くないから! 具合全然悪くないから!」

「そ、そうか……」


 なんだろう今の過剰な反応は。急すぎて少し驚いてしまった。

 何かを隠しているような、そんな感じにも見えるが——。


「てか、今何時?」

「今? 今はもう8時前だけど」

「8時!? う、嘘でしょ!?」

「嘘じゃないぞ。ほら」


 俺がケータイに表示されている時刻を見せると、大里は目ん玉をおっ広げたまま固まってしまった。


「嘘……それじゃ私どのくらいここで寝てたの……」

「まあ1時間くらいだな」

「1時間って……その間お店は?」

「俺と店長の2人で回してたけど、今はお客さんも減ったから店長1人に任せてる」

「そ、そう……」


 すると彼女は、借りてきた猫のように、俯いて黙り込んでしまった。

 おそらく自分が倒れて、お店に迷惑をかけたことがショックなのだろう。


「まああんまり気にすんなよ。とりあえず俺は店長に報告してくるからさ」

「待って」


 俺が椅子から立ち上がろうとすると、大里にそう呼び止められた。


「ん、どうした」

「これって、あんたの?」


 そして彼女が掲げて見せたのは、正真正銘俺の学校の制服。

 彼女が寝ている間に、俺がこっそりと掛けてあげたものだ。


「あ、ああ。温かくしてないと余計風邪引くからな。俺ので悪いが、一応な」

「そ、そうなんだ……ふーん……」

「まあとりあえず、俺は店長のところ行ってくるから。お前はまだそれ掛けて休んでろよ?」

「わ、わかった」


 ——ん? 妙に素直な気もするが……まあいいか。


 俺はそんなことを思いつつも、大里を残して控え室を出た。



 ——嫌——



「大里さんー。もう具合は大丈夫なのかい?」


 お店が一段落したところで、店長もまた、控え室の大里の様子を見に来ていた。


「はい、お陰様で……。ていうか店長、お店開けちゃって大丈夫なんですか?」

「大丈夫大丈夫ー、今はお客さんいないからー。それよりも大里さんは自分のことを心配してよー」

「は、はい……すみません……」

「謝らなくていいんだよー。それよりも大里さんが元気になったみたいで何よりだー」


 すると店長は、落ち込む大里に笑顔で優しい言葉をかけてあげる。

 さすがは仏の顔を持つ男だ。そこら辺のおっさんとはワケが違う。


「ところで大里さんー。ご両親には自分で連絡とれるかなー?」

「両親ですか?」

「うんー。今日は色々疲れちゃっただろうし、早く家に帰って休んだほうがいいからさー」

「家に帰ってって……私、まだバイトの時間残って——」

「ダメだよーそんなのー。今日はお家に帰って休まないとー」

「で、でも……体調はもう良くなりましたし、まだ働くことだって……」


 大里がそう呟くと、あろうことか店長は少し怒ったような表情になり、


「いいかい大里さん」

「は、はい」

「あんまり無茶するのは良くないよ。もちろんやる気のあることはとても良いことだけど、休むべき時はしっかり休むのも、大事なことの一つなんじゃないかな?」

「は、はい……」

「それに僕たちだって大里さんのことをすごく心配しているんだ。だからってわけでもないけど、今日はお家に帰ってゆっくり休むべきだよ」

「はい……そうですね……」


 珍しく怒った店長に、押されている様子の大里。

 そしてそれをただ突っ立って眺めているだけの俺。


 ——んん……気まずい……。


 案の定部屋の空気は重く、居づらいことこの上ない状況だった。

 しかも、おそらくだがこの居づらさを一番肌身に感じているのは、一番関係ないであろう俺だ。


 そもそも人が説教を受けているところなど、好きでもなければ見たくもない。

 できればもうこの部屋から脱出したい。


「で、でも店長。帰らないといけないのはわかりましたけど、今日両親はどちらとも家にいなくて」

「えっ? それは本当かいー?」

「は、はい。おそらく」


 つまりは親に車で迎えに来てもらうこともできないというわけか。

 それはちょっと問題だな。


「んー、困ったなー。僕も今日は車じゃないしー……」

「でも大丈夫ですよ? 私の家ここからすぐだし、歩って帰れるくらいには元気ですから」

「そうは言ってもー……。今の大里さんを1人にするわけにもいかないしー……」


 確かに店長の言い分が最もだろう。

 回復したとはいえ、今日一度倒れてしまっている大里を、1人で帰らせるのは危険だ。

 少なくても誰か1人同行者を付けるべきだ。


 そう。同行者を——。


「あ、そうだー」


 そう呟いた店長は、何か閃いたような表情を俺に向けてきた。

 まさかこのタイミングでそうしたということは、つまりその——。


 ——同行者……?


「六月くんが大里さんのことを送っていってあげてよー」

「はぁぁあぁぁぁ——!!」「はぁぁあぁぁぁ——!!」



 ——嫌——



 なんてことがあり、俺は今、大里を家まで送っている最中なわけだ。

 もちろんそれはお互いが望んでのことじゃない。

 いわば半強制。店長のいらない気遣いゆえだ。


「…………」

「…………」


 当たり前のごとく、俺たちの間に会話らしい会話などない。

 夜の街道を無言で歩く大里を、俺はただ無心で追いかけているだけ。

 側から見たら、とても家まで送っているようには見えないだろう。


 ——はぁ……何してるんだ俺は……。


 大里は家まで10分くらいだと言っていたが、それでも今の時間はとても長く感じられる。


 気まずさからの感覚だろうか。

 特段彼女には目立った異常は見られないし、正直俺はもう家に帰りたい。


「ねえ」

「うん?」


 俺がそんなことを考えていた最中、突然前を歩いていた大里が、立ち止まって声をかけてきた。

 今までずっと無言だったせいもあり、俺は少しばかり驚いてしまう。


「どうした突然」

「一つ聞きたいことあるんだけど」

「聞きたいこと?」


 そして大里は、前を向いたまま俺に向かってそう言ったのだ。

 急な彼女の改まった声音こわねに、俺も何事かと思わず身構える。

 もしかしたらこの場で処刑される可能性も——。


「あんたさ。どうしてそうやって普通にしてられるわけ?」

「へ? 普通って……何が……?」


 ——一体こいつは何を言っているんだ?


 それが俺の正直な感想だった。

 だって急にそんなこと聞かれても、何て答えれば良いかなんてわかるわけない。


 それに——。


 今の俺は結構普通じゃない。

 いつ大里に殺されるのかと、ビクビクしながらここにいる。

 それなのにそう聞いてくるということは……。


 ——こいつ結構アホなのか?


「はぁ……もうわかった。質問を変える」


 ため息混じりにそう言った大里は、身体を半身にしてこちらを向き、


「どうしてあんたは私に優しくできるわけ?」


 俺の目を真っ直ぐに見て、そう尋ねてきた。


 ——私に優しく?


 言い換えてもらったところで、俺は未だ質問の意味が理解できない。

 いわば1回目と同様、『何言ってんだこいつ』状態だ。

 

 しかし——。


 よくよく考えてみると、少しずつ彼女の意図が見えてくるような気もしないことはない。


 もちろんそれは確信ではないし、当たっているのかどうかすら謎のなのだが、おそらく大里は、嫌っているはずの相手から気を使われるのが、少しおかしく感じられるのだろう。


 つまりは、「なんであんたのことを嫌っている私なんかに気を使ってるの」と言いたいのだきっと。


 確かに言われてみれば、俺が彼女に対して、なぜ気を使っているのか謎だ。


 ——一度告白されて振っているから? 同じバイトの仲間だから?


 何にせよ俺は、彼女に自ら気を使っている自覚はないし、ましてや優しくしているなんてことは一切ない。

 もし仮に、俺が自然と彼女にそう接してしまっているのだとしたら、先ほどの問いに対する答えは簡単だ——。


「俺がそうしたいから……じゃないのか」


 自覚はない。

 しかし相手はそう感じてしまっている。


 ならば理由は単純。

『俺がそうしたいと思っているから自然とそうしているだけ』だ。


 別に大里に好かれようとか、仲良くなろうとか、そういうのじゃない。

 ただ単に俺は、彼女に対して自然とそう接してしまっていて、そこに取り上げて話すような深い理由は何もない。

 全ては無自覚ということだ。


「そ、そう……」


 俺の答えを聞いた大里は、ぼそっと小さく呟いた後、再び前を向いてしまった。


 一体彼女は今の質問で何を知りたかったのか。

 それは俺にもさっぱり理解できなかったが、一つだけわかったことがある。

 それは大里が俺のしてきたことを "優しい" と認識していたということだ。


 てっきり俺はウザがられているのかと思っていた。

 今日だって嫌いな俺なんかに抱えられて、心底嫌がられているだろうと思っていた。


 しかし大里は、俺のことを優しいと言ってくれた。

 それはつまり俺のことを、少しは認めてくれているということじゃないのか?


 ——普通嫌いな人に優しいなんて言わないもんな。


 まあ何にせよ、俺は思ってたより大里に嫌われていないらしい。

 これは今後バイト仲間として協力していく上で、良い収穫とも言えるだろう。


「家すぐそこだから、ここでいい」

「そ、そうか」


 街灯一つの小さな交差点。

 そこに立ち止まった大里は、振り返らずにそう言った。


「それじゃ、私行くから」

「おう、じゃあな」


 そうして暗闇に去って行く彼女の背中を、俺は静かに見守る。

 はずだったのだが——。


「えっと……その……」

「はい……?」


 何やら帰ろうとしない大里は、その場で立ち止まりモゾモゾとしている。

 決してこちらを振り返らずそうしている様は、まるで何かをためらっているようにも見えるが——。


「え、えっと……」

「ん……?」

「きょ、今日は色々ありがと……!」


 そう一言呟いた大里は、逃げるようにしてその場から立ち去ってしまった。

 この場に1人残された俺は、まともな反応すら返すことができず、暗闇に消えていく彼女の背中をただじっと見つめているだけ。


 ——どうしたんだよ……あいつ……。


 終いにはそんな疑問すらも、俺の中には浮かんできていた。

 それだけ今日の大里は、俺の知る大里じゃなかったのかもしれない。


「ありがとって……」


 彼女が投げた質問の意味。

 そして不意に吐いた感謝の言葉。


 一体大里は何を思ってそうしたのか。

 いくら考えてもその胸の内は、さっぱり理解することができなかった。

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