第19話 日常(春サイド)
俺の日常が落ち着きを見せたのは、あれから半月ほど経った頃だった。
『キーンコーンカーンコーン』
放課後を知らせるチャイムがなり、クラスの奴らが一斉に各々の行動を開始する。
もちろん俺も、この後のバイトに備え、急いで帰り支度を整えていた。
「なあ春。この後飯行かないか?」
そんな中声をかけてきたのは、唯一の友人である三宅雄一郎。
本来ならば彼も、この後の部活に備えて身支度を整えているはずなのだが、何やら今日はそうする様子が見られない。
「飯って……お前今日部活は?」
「今日は休みだ。そういう春はバイトか?」
「あ、ああ。まあな」
なるほど。練習がないから俺を飯に誘ってきたのか。
どうりで今日1日サッカー部の奴らがご機嫌だったわけだ。
「マジかー。バイトならしゃーないな」
「わるいな。せっかく誘ってくれたのに」
「いいんだいいんだ。俺今金欠だし」
「じゃあなんで俺を飯に誘ったんだよ……」
俺がそうツッコミを入れると、三宅はボケを誤魔化すように笑って見せた。
たまに見せるこういう一面もまた、こいつの魅力の一つなのだろう。
「そういえば春。最近どうなんだよ」
「どうなんだって。何が?」
「バイトで大里とは上手くやれてるのか?」
「ああ、そのことか」
俺と大里の事情を知っている三宅なら、気になってしまうのも当然だろう。
俺とて三宅が同じ立場にいたら、間違いなく同じことを聞いている。
「普通だろ多分」
「多分って……」
あれ以来、すなわち大里が俺に喝を入れてくれた以降、俺たちの関係には特段目立ったような変化はない。
バイトのシフトが被った日も、これといって会話らしい会話はなく、教室で直接関わるような機会すらもない。
だからと言って以前のように嫌われているかと言われれば、そんな感じもしないし、仲直りしたのかと言われれば、そういうわけでもない。
つまりは普通だ。
「別にお前が期待してるような面白い展開はねえよ」
「なんだよ俺が期待してるって……。俺は別にお前らが仲良くやってればそれでいいんだよ」
そう迷わず言って退ける三宅は、少しかっこよくも見えた。
さすが本物のイケメンは違うなと、俺は少し感心してしまう。
「いやお前いい奴かよ」
「まあ人並みにはな。それよりも春、そろそろ行かなくていいのか?」
三宅にそう言われ、俺は教室の時計に目を移した。
すると針は、3時40分を指し示しているではないか。
「意外とやばいな……」
今日のバイトはいつもよりも30分早い4時から。
あと20分しかないので、これ以上ゆっくりしてはいられない。
「すまん三宅。俺もう行くわ」
「おう。バイト頑張れよ」
「ああ。また明日な」
三宅にそう告げた俺は、途中だった帰り支度を手早く済ませ、教室を後にした。
——嫌——
バイト先へと着いた俺は、真っ直ぐ従業員控え室へと向かった。
この時点で時刻は3時55分。なかなかにギリギリな時間帯だ。
「危ねえ……」
学校が終わるのが大体いつも3時半なので、今日のようにバイトが4時からだと、30分しか時間がないことになる。
——これは4時半安定だな。
少しでも早く帰れるようにとこの時間にしてみたが、どうやら少し無茶だったらしい。これからは以前のように4時半からにしてもらおう。
そう思いつつも俺は、控え室の扉に手をかける。
中から音が聞こえるので、おそらく誰かが——。
——!?
扉を開けた俺は、一瞬驚くようにして固まった。
なぜなら控え室の中には、テーブルに寝そべりスマホをいじる大里美咲が居たのだ。
しかも——。
見る限り他の従業員の姿は見受けられないので、今この部屋には俺と大里の2人だけということになる。
なんだか少し気まずい。
「ふぅー……」
小さく息を漏らし、恐る恐る中へと歩みを進める。
どうやら彼女は、まだ俺の存在に気づいていないらしい。
——何やってんだ本当……。
そう思いつつも俺は、足音を立てないようにそっとテーブルへと歩み寄り、椅子に腰掛けようと試みる。
すると——。
「えっ……」
スマホに向けられていた大里の視線が、俺の方に移ったのがわかった。
謎の冷や汗が
「えっと……お、おつかれ……」
終いに訳のわからない言葉を口にする始末で、俺はもう半分パニック状態。
そのまま気まずさの海に溺れ、ゆっくりと朽ちて行くはずだったのだが——。
「う、うん……」
——おや?
何やら大里の反応が思っていたものとは違った。
というよりかは、以前と比べて少し様子がおかしいように見える。
一瞬俺に向けられたと思った視線は、すぐさま斜め下に逸らされ、心なしか少し気まずそうな表情を浮かべている。
肩を丸めるようにして縮こまっているその姿は、まるで人見知りの小動物を見ているように愛らしい。
——一体何があった……。
「具合でも悪いのか……?」
「べ、別に悪くないし。つかなんであんたがこの時間に居るの」
「なんでって……。俺今日バイト4時からだから」
「うそっ! 4時からって……ええぇ!?」
さらに大里は、そこはかとなく動揺しているようだった。
ますます彼女の体調が心配になる。
「なんだよその反応……。具合悪いなら正直に言えよ?」
「だ、だから別に具合なんて悪くないってば……!」
「そ、そうか……」
大里はそう言っているが、俺からしてみればとてもそうは見えない。
心なしか顔は赤いし、気持ちも少しふわふわしているように思える。
そして何よりも、以前のようなとげとげしさが全く感じられない。
「てかあんたいいの? もう時間だけど」
「あっ……」
大里に言われて思い出したが、俺はまだ学校の制服のままだった。
時間はもう2分弱しか残されていないし、急がないと本当にやばい。
「はぁ……。遅れても知らないから」
そう呟いた大里は、従業員控え室を後にした。
彼女に一体何が起きてるのか。
正直とても気になるところだが、今はそんなことを考えている場合じゃない。
「マジ……やばっ……」
神速とも呼ぶべき速さで着替えを済ませた俺は、足早に店内へと向かったのだった。
——嫌——
今日のシフトは4時から8時までの約4時間。
初めこそ長いと思っていた1日の勤務時間も、今ではすっかりそう感じなくなってきていた。
「2360円になります」
おぼつかなかったレジ打ちも、普通と呼べるくらいには上達し、他の従業員とあまり変わらないくらいには、できるようになったと思う。
まあ当たり前と言えば、当たり前なのだが——。
「140円のお返しとレシートになります。ありがとうございました」
お客さんの会計を担当した後は、食事後のテーブルの後片付けだ。
あまり客足が多くないこの店でも、テーブルの後片付けはできるだけ迅速に行うように指示されている。
店長曰く、いつまでもテーブルに食器が残されていると、他のお客さんからの印象が悪いんだとか。
確かに従業員の対応は早いに越したことはないし、何よりテーブルが片されていないと少し見栄えが悪い。
「よしっ。こんなもんか」
テーブルを片し終えた俺は、次いつお客さんが来てもいいように、万全の体制を整えてその場を後にした。
「10番テーブル片付け終わりました」
「はーい、お疲れ様ー。六月くんはそろそろ休憩に入っていいよー」
「わかりました。あとはお願いします」
「はーい、任せてー」
厨房の店長に一言声をかけ、俺はここで休憩を取らせてもらうことにした。
これもうちの店の方針で、どれだけ短い勤務時間でも、必ず一回は休憩を取らなければならないことになっている。
しかもその休憩も、基本的には自分のタイミングで取れることになっているので、かなり
「そう言えばあいつ、休憩取ったのかな」
控え室の椅子に腰を下ろした俺は、ふとそんなことを考えていた。
バイトが始まる前、心なしか少し様子がおかしかったようだし、あまり無理をするのは良くないだろう。
それでもし倒れたりなんかしたら、元も子もない。
「次変わってやるか」
そう思いつつ俺はケータイを取り出し、妹に連絡を入れようとした。
その時だった——。
『ガラガラガッシャーン!!』
突然店の方から大きな音が聞こえ、俺は文字を打ち込んでいた手を止めた。
「なんだ……?」
ケータイをテーブルに置き、思わずその場を立ち上がる。
かなり大きな音だったので、ただ事じゃないのは確かだ。
「行くか……」
休憩中とは言えど、このままここでぼーっとしているわけにもいかない。
そして何よりも、少しばかり嫌な予感がするのだ。
——大事じゃないといいが……。
そう思いつつも俺は、控え室を飛び出し、音のした方へと向かった。
すると——。
「大里さん!? 大丈夫かい!? 大里さん!?」
そう声をかける店長が抱えていたのは、辛そうな表情で倒れている大里だった。かなり息も荒いようだし、一体何があったのだろう。
「どうしたんですか!?」
「ああー、六月くん……。今大里さんが食器を運んでる最中に倒れちゃって……」
「倒れたって……。大里は大丈夫なんですか?」
「んー、一応怪我とかはないみたいだけど……大事をとって休ませた方が良さそうだねー」
確かに今の大里は、見ていて少し辛そうだ。
ここは一度休憩室で横になった方がいいだろう。
しかし——。
「店長……。もしかして大里は体調でも悪かったんでしょうか……」
「そうだねー……少し熱があるみたいだし、おそらくは風邪だろうねー」
「そうですか……」
やはり大里はバイトが始まる前から体調が悪かったのだ。
明らかに顔が
なのに俺は何もしなかった。
ただ一言声をかけて心配したふりをしていただけだったのだ。
——無理にでも休ませれば……。
「——六月くん? 六月くん?」
「は、はい……!」
「大里さんを控え室に運んであげてくれるかな。あとのことは僕がやっておくから」
「で、でも……今日のバイトは俺たちしか……」
「大丈夫だよ。お店のことは店長に任せておけばいいのさー」
すると店長は、余裕のある笑みを浮かべ、
「それに今はさほどお客さんも居ないから、きっとなんとかなるよ!」
俺を励ますようにそう言った。
その迷いのない言葉を聞いて、俺も少しばかり安心の気持ちが芽生える。
「それじゃー六月くん。大里さんをよろしくねー」
「わかりました」
店長が抱えていた大里を預かり、俺は背中に背負うようにして持ち上げた。
彼女には申し訳ないが、今はこうやって運ぶしかない。
「店長。あとはお願いします」
「うん。任せてー」
そう呟いた俺は、控え室へと急ぐ。
こうなってしまったからには、俺が責任を持って介護する。
今の俺の中にはそれだけしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます