アルバイト編

第13話 バイト

 あの後——。


 予定されていた通り科学の実験をすることになった俺たちだったが、その結果は散々だった。


 いつまでたってもお尻のシミに気づく様子のないおばさん先生に気を取られ、ある班ではアルコールランプで髪を燃やし、またまたある班では塩酸の入った試験管を盛大にテーブル上にぶちまけたりしていた。


 そんな中でも俺たちの班だけは、特に目立つ失敗もなく実験を終えることができたのだが、全部で8班あるうちのたった1班だけが成功したところで、先生の機嫌を取れるわけもなく——。


「もうあなたたちには今後一切実験させません! ずっと教室で授業です!」


 などと顔を真っ赤にして説教されてしまった。


 しかしだ。

 俺とて別に科学の実験が特別楽しいとか好きとか、そういうわけでもない。

 今後の実験がないと断言されて、クラスの大半はショックを受けていたようだが、俺にしてみれば授業も実験も同じ1時間だ。


 ——実験ならみんなとおしゃべりできるから私好きなのに〜。


 みたいな、高校生活を満喫している奴だけが持っている、リア充的思考は俺にはない。

 授業だろうが実験だろうが科学は科学だ。それ以上でもそれ以下でもない。


 とはいえ、自分はうまくいったのに失敗した他の奴らと同じ扱いをされるのだけは、どうも納得がいかないのも確か。

 影の立場にいる俺にとって、連帯責任という言葉がこの世の中で一番嫌いなわけであって——。


「なあ春。やっぱりお前も実験禁止になったことショックか?」


 購買で買ったクロワッサンを片手に、三宅は俺にそう尋ねてきた。


「別に。俺はなんとも思ってねえよ」

「じゃあなんでちょっと機嫌悪そうなんだよ」

「別に機嫌も悪くない。ただ、俺たちはうまくいったのにクラスの奴らと同じ処遇を受けるってのが納得できなかっただけだ」

「そんなの当たり前だろ? 同じクラスなんだから」

「だからそれが納得できなかったんだって」


 俺はそう言いつつ、弁当箱に詰められたウィンナーに箸を伸ばし、そのまま口に放り込んだ。そしてそこに追い打ちをかけるようにご飯をすくい、咀嚼する間も無く口に詰め込む。


「はぁ……。相変わらずだな春は」

「ふぁにが(何が)」

「そういう思ったこと正直に言っちゃうあたりお前らしいなって」

「とううぇんだ。おふぇはいふだっふぇしょうふぃきものふぁからな(当然だ。俺はいつだって正直者だからな)」

「まず口ん中飲み込んでから喋れよ……」


 三宅は少し呆れた様子で俺にそう言った。

 愚痴を吐いていたとはいえ、確かに今のは少し行儀が悪かった。

 普段から食事する時、口をパンパンにしてしまう癖があるので、そのまま話さないように気をつけなくては。

 そう思った俺は、咀嚼していたものを慌てて喉の奥へと流し込んだ。


「ふはぁ……。とにかくだ。俺はこのクラスでハブられてる側で、普段まともな人権すら与えられてないのに、こういう時だけ連帯責任ってのもおかしいだろってことだ」

「いや、お前にだって人権くらいあるだろ……」

「ねえよんなもん。俺は周りに従うことしかできない金魚の糞だからな」

「それ自分で言うか普通……」


 俺の屁理屈を聞いた三宅は、ますます呆れ顔になって「はぁ……」と短くため息をついた。

 この反応こそがリアル。だから俺の周りには人が寄ってこない。

 三宅もよく俺なんかと一緒に居れるなと、素直に関心してしまう。


「そういえば春。冬坂は?」

「ん、さっきまではそこにいたと思ったけど。あいつ委員長だしなんか仕事じゃねーの」

「そうか確かにな。あいつ委員長だもんな」


 俺たちがそんな噂話をしていると——。


「ああしんどい……」


 噂の委員長冬坂さんが疲れた表情で教室へと戻ってきた。

 自席に戻るなり「はぁ……」と何やら重そうなため息をつくと、両肘を机に立てて1人難しそうな顔を浮かべている。


 ——一体何があった。


 自然と俺たちは、そんな彼女の姿に意識を奪われていた。


「そうだ。お昼食べないと」


 そしてバックから見慣れたコンビニの袋を取り出す。

 昼休みが始まってもう20分も経過しているのに、まだお昼に手をつけていないのだろうか。


「な、なあ冬坂」

「んー。何かしらー」

「いや、なんだか随分とお疲れだなと思って」

「んんー。まあ色々あったのよー」


 俺がそう尋ねてみても、冬坂からは覇気のない返事しか返ってこない。

 これはいよいよ何があったのかとても気になるところだ。


「委員長の仕事か?」

「うーん。まあ一応そうねー」

「なんだよ一応って」

「だって、先生に怒られるだけなのに仕事って呼べないじゃない?」

「先生に? なんで」

「なんでって……決まってるじゃない。今日の1限のことよ」


 ——ああー。


 と、それを聞いて俺は納得してしまう。


「なぜか委員長の私が呼び出されて、長々と説教されてきたのよ」

「ま、まあ……それは気の毒だったな……」

「ホントよ。別に私が失敗したわけじゃないのに」


 拗ねたように口をとがらせ、タラタラと文句を垂れ流す冬坂。

 よく考えれば——いや、よく考えなくてもこいつ、委員長なのに俺みたいなことを平気で言いやがる。

 その上全然悪びれる様子もないし、やはり1人に慣れている者同士、思いつく考えは同じらしい。


「ま、まあ冬坂も、あまりみんなのことを悪く思わないでやってくれ」

「別に悪くなんて思ってないし。ただちょっとムカッとしただけだし」


 三宅の慰めにも普段とは全くの別人のような口調で返答している。

 顔はもう拗ねるを通り越して変顔みたいになっているし、意外と冬坂は怒らせると面倒なタイプなのかもしれない。

 

 ——てかその顔やめてくれ。


「あ、そうそう。そういえば六月くん今日からバイトだったわよね?」

「えっ? 春、お前バイト始めるのか?」

「いやなぜ急にその話」

「思い出したからよ。わるい?」

「いや別にわるかねぇけど……。てか今のお前、めちゃめちゃキャラブレてるぞ」

「何よそれ。私は元からこうよっ」


 急な会話の方向転換に加え、冬坂らしからぬ感情豊かな態度。

 プイッとそっぽを向いている今の彼女は、俺が以前抱いていた冬坂白羽のイメージから大きく外れてしまっていた。


 とはいえ、冬坂の言うバイトの話だけは間違っていない。

 俺の予定だと今日が人生で初めてのバイトをする日になっている。


 先日、アルバイト募集の掲示板に載っていたところで、一番条件が良さそうなところに電話をした結果、面接なしで早速仕事をしてほしいとのことだった。

 なんでも今人手不足で、うまく仕事が回っていないらしい。


「それで春。どこでバイトすることになったんだ?」

「ん、ここからすぐのファミレス。学校から近いし時給もそこそこだからいいかなって」

「あそこにしたのね。私たまに行くわよあのファミレス」

「俺も何回かいったことあるが、客足もそんななさそうだし、あんまり気張らないで——」

「——ちょっと待て春!」


 俺の声を遮るようにして、突然三宅が大きめの声でそう言った。


「どうしたよ急に」

「お前がバイトするファミレスって隣にコンビニがあるあのファミレスか?」

「ああ、おそらくそのファミレスだけど」

「やっぱりか……」


 すると三宅は、何やら難しそうな顔で黙り込んでしまった。

 俺のバイト先に何か問題でもあるのだろうか。


「なあ、あのファミレスだとなんかまずいのか?」

「いや、別にそういうわけでもないんだが……」

「んん——?」



 ——嫌——



 時刻は午後4時を回り運命の初バイト——。


「いやー本当に助かったよー。今うち人が少なくてさー」

「は、はぁ」

「なかなか新しい人も見つからなくてさー。ずっと君みたいな人を探してたんだよー」

「そ、そうですか」


 バイト着へと着替えた俺は今、店長に連れられ、従業員控え室へと向かっている最中だ。見慣れているとはいえど、実際に着てみると、この服も少し新鮮味を感じられる。

 

「それより今日はごめんねー。急に仕事入ってもらうことになっちゃってー」

「いえ、それは構わないんですが——」


 そう。それは別に構わない。

 それよりも俺が気になっているのは、今日の昼休み三宅が言っていたこと。

 もし真実だったとしたら正直シャレにならない。


「店長。一つお聞きしたいことが」

「どうしたのー? わからないことがあったらなんでも聞いてー」

「大したことじゃないんですが、ここのバイトに俺と同じ吾妻ヶ峰あずがみねの生徒って居たりしますか?」

「吾妻ヶ峰の生徒さんだったら1人いるよー。確か六月くんと同じ2年生だったかなー」

「2年生ですか……」


 嫌な予感だ。

 というかここまで来たら、あの話が真実であることがほぼ確定したも同然。

 信じたくはないが、こればかりはどうすることもできない問題だ。


「あーそういえば今日、その吾妻ヶ峰の子も同じシフトだったっけー」

「同じシフトですか!?」

「うん、わからないことはその子に聞くといいよー。多分この中にいると思うからー」


 立ち止まった店長は、ドアを指し示しながらそう言う。

 どうやら俺の心の準備が整わないうちに、従業員控え室に着いてしまったようだ。


 正直入りたくはない。だからと言って逃げ出すわけにもいかない。

 これは普段屁理屈ばっかり言っている俺への罰なのか。それとも神が与えた試練なのか。

 いずれにしろ俺がこの問題を解決しないうちは、真のアルバイト生活は永遠にやってこない。


「ささ、入って入ってー」


 店長に促された俺は、ゴクリと息を飲み込んだ。

 そして意を決して従業員控え室へと足を踏み入れる——。

 

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