第14話 同僚

 控え室へと一歩足を踏み入れた瞬間、ガラッと空気が変わったのがわかった。

 たとえそれが心の乱れによる錯覚だとしても、俺にとってここまで居心地の悪い空間は他にない。まさに死地だ。


「新しいバイトくん連れて来たよー」


 上機嫌な店長は、控え室に入るなり少し大きめの声でそう呟く。

 いつまでも影でこそこそしているわけにもいかないので、俺はその声に続くようにして、店長のすぐ脇へと歩み出た。


「あれ? 新しい人今日からでしたっけ?」

「本当はもう少し先だったんだけど、人手が足りないから急遽入ってもらったんだー」

「へぇー、そうなんですかー」


 店長の話に受け答えしているのは、例の同じ学校の同級生。

 見たところ控え室に居たのは彼女のみで、テーブルに寝そべりながらひたすらにスマホの画面を眺めていた。


「もうー、せっかく新しい人来てくれたのにそんな態度取っちゃダメだよー」

「別にいいじゃないですか。まだバイトの時間じゃないし」

「そうは言ってもー……。こういう時ぐらいはちゃんとしてないとー」


 店長の話を全く聞き入れる様子のない彼女は、俺のことなど見る気もせず、スマホの画面だけに集中している。ここのバイトが緩いことは前々から知っていたが、それでもここまでとは思ってもいなかった。


 店長が気の弱そうなおじさんだからなのだろうか。

 仕事環境にもあまり締まりがないようだし、正直この人の下で働くのは少し不安だ。

 何にせよこの調子じゃ、この店の人手不足が解消される日も、限りなく遠いだろう。


「あ、そうそうー。まだお互いに自己紹介してなかったねー」

「ええ、自己紹介ですか。別にいいですよそんなの」

「そういうわけにはいかないよー。これからここで一緒に働いていく仲間なんだからー」


 ——ついにこの時が来てしまった。


 この話題になった瞬間、俺の鼓動が数倍にも加速したのがわかる。

 間違いなくこれで、彼女も俺の存在を認識することになるだろう。


 一体どんな反応をするのか——。


 それを考えただけで自然と肩に力が入った。

 終いには冷や汗までもが額に浮かび上がる。


 顔を極力向けないようにするか。

 それとも全力の変顔をして俺だと悟られないようにするか。

 気づけば俺の頭の中は、そんなくだらない作戦で溢れかえっていた。


 ——どうしたらいい……。


 悩んでいる間にその時は来てしまった。

 今まで永遠とスマホに向けられていた彼女の視線が、ここで初めて俺の存在を認識したのだ。


「紹介するよー。こちら今日からバイトしてもらうことになった六月くん」

「はっ……」


 俺の顔を見た彼女は、大きく口を開けたまま静止してしまった。

 おそらく脳の理解が未だ現実に追いついていないのだろう。


「それでこちらが大里さん」


 バッチリと目が合っている俺と彼女。

 ぶつかる視線の間にある複雑な事情など知る由もない店長は、笑顔で俺に彼女の紹介をしてくる。


 ——なんと言えばいい……。


「こんにちは」ではない。「初めまして」も少しおかしい。

 だとすれば現状に適している言葉など、もうあれしか残されていないだろう。

 

 そう心に決めた俺は、一度小さく深呼吸をした。

 そして息が詰まりそうになりながらも、未だポカンと口を開けたままの彼女に一言呟く。


「あ、あの……。今日からよ、よろしくおね——」

「はぁぁぁあぁぁぁぁ!!!!」


 凄まじい時間差からの発狂だった。

 彼女が俺を認識してから、おそらく10秒以上は経っているだろう。

 そこそこの声量とその時間差のせいで、隣にいた店長の肩がビクッ! としたのがわかった。

 

「ど、どうしたのさ大里さん……。突然大声出すからびっくりしちゃったよー」

「店長……それマジですか……」

「マジ? 何がー?」

「新しいバイトの話ですよ。ホントにその人が今日からここで働く新人なんですか?」

「本当だよー。先日わざわざ電話してくれてねー。もしかして2人は知り合いなのー?」

「知り合いっていうか……。一応同じクラスではありますけど……」

「なら良かった! わからないこともあるだろうから色々と教えてあげてー」

「いや、教えろって言われても——」

「それじゃ僕、そろそろ仕事に戻るからー」

「はっ!? ちょ……店長!」


 そう言うと店長は、俺たちを残してこの控え室を立ち去ろうとする。

 なんの疑念もなさそうな謎の笑顔を浮かべているので、「知り合いなら何も心配いらなそうだー」などと壮大な勘違いをしているのだろう。


 それにしてもだ。

 このまま俺たちだけがこの空間に残されるとなると、いよいよ俺の生命いのちが怪しい。


 まず間違いなく拒絶されるだろう。そして終わることのない気まずさの渦に巻き込まれ、やがては死ぬ。

 考えただけでも胃が張り裂けそうだ。


「あ、そうそうー。六月くんもわからないことがあったら遠慮なく大里さんに聞くんだよー」

「は、はぁ……」

「大里さんはすごく素直で優しい人だからきっとよくしてくれると思うよー。というかもう2人は仲良しなんだよねー。余計な心配だったかなー。あははー」


 などと訳のわからないことを呟いた後、店長は上機嫌に控え室から出ていった。


 ——一体このおっさんは何を言ってるんだ?


 素直で優しいだとか、俺たちが仲良しだとか。

 何一つ真実を捉えていなさすぎて、いっそのこと笑えてきてしまう。


 この人みたいに従業員の生態を正しく認識できない様な人間が店長をやっているから、いつまで経っても人手不足なんじゃないのか。

 ついにはそんな害悪な思考まで思いついてしまうほど、俺の心には余裕というものがなかった。


「ねえ」


 そしてそんな俺に大里美咲は、容赦無く追い打ちをかけてくる。

 このタイミングで話しかけてくるとか、彼女もまた悪魔か何かの末裔まつえいに違いない。

 ここで彼女と話すくらいなら、永遠の沈黙を過ごした方がまだマシだ。


 とはいえ、ここで無視してはこれから先がさらに真っ暗になるだけなので、受け答えをするしかない。


「ど、どうした」

「なんであんたがここに居るの」

「さっき店長が言ってた通り、今日からここでバイトすることになったからだ」

「そうじゃなくて。なんでここなの?」

「なんでって……。これといって特に理由はねえけど」

「嘘。どうせまた私に余計なちょっかい出そうとしたんでしょ」

「は? 別にそんなつもりはねえけど」

「嘘。絶対嘘。昨日だって突然呼び出されたと思ったらひたすら意味わかんない話するし。ホントあんたってキモい」


 汚物を見る様な目を俺に向ける美咲さんは、容赦無く俺を愚弄ぐろうしてくる。

 その声のトーンからしてリアル。本気で俺を嫌がっていることがひしひしと伝わってくる。


「少しでも変なことしたらすぐに店長呼ぶから。そしてクビにしてもらう」

「変なことって……。美咲さんにそんなことは——」

「美咲さんって呼ばないで!」


 彼女の声が再び部屋いっぱいに響き渡る。

 顔はさらに険しく。目つきはさらに鋭く。

 そんな彼女の姿を見ただけでも、俺に対する嫌悪感が相当なものだと理解できる。


 ——どんだけ嫌われてるんだ俺は。


 ここまでくると、もういっそのこと気にしなくていいんじゃないかと思ってしまう。

 おそらく今の彼女の俺嫌いメーターは最底辺。限界突破することがなければ、これ以上悪化することもないはず。

 だったらこっちだっていらない気を使う必要は全くない。無駄に好かれようとこびを売る方がおそらく逆効果だ。


「じゃあなんて呼べばいいんだ」

「苗字で呼んで」

「わかった。そんじゃこれからは大里って呼ぶようにするよ」

「必要ないのに呼ばないでキモいから」

「へいへい……」


 ああ言えばキモい。こう言えばキモい。

 おそらく俺が何を言っても、必ず語尾にはキモいが付いてくるのだろう。


 ——俺は害虫か何かか。


 よくここまで思ったことを素直に吐き出せるなと感心してしまう。

 もしかしたら俺たち、1周回って意外と仲が良いのかも——。


「てかあんた。今までバイトとかしたことあんの?」

「いや、これが初めてだけど」

「てことはホントにただの役立たずってことか……」


 ——いやいや聞こえてますよ大里さん。


「店長から色々説明受けたでしょ。とりあえずはそれ通りにやればいいから」

「いや……まだ俺何も教えてもらってないんだけど……」

「はっ? 店長から何も聞いてないの?」

「あ、ああ……。確か店長はお前に教えてもらえって言ってたな」

「信じられない……」


 またまた険しい顔つきになる大里は、それに加えて今度は激しめの歯ぎしりまでし始めた。

 そんなに嫌なら別に仕事を教えてくれなくていい。まだ初日だし失敗してもそんな怒られないだろうから、自分なりに適当にやれば済む話だ。


「注文の取り方とかレジ打ちとかはわかる?」

「すまん。わからん」

「はぁ……呆れた。どうしてそんな簡単なこともわからないの」

「いやいや……逆に今の段階で知ってた方がすごいだろ」


 大里の言動は理不尽そのものだ。

 これでは暇さえあれば上司の悪口を言う社会人の気持ちも、少なからずわかってしまう。働くって大変だ。


「とにかく、細かいことはやりながら教えるから」

「教えてくれるのか?」

「何? 教えなくていいわけ?」

「いや別にそういうことを言ってるんじゃなくて……。わざわざ俺なんかに教えるのだるくないのかなと思ってな」


 俺がそう言うと、大里は一寸の迷いも見せず、


「そんなのだるいに決まってるでしょ。何今更当たり前のこと言ってんの」

「ですよね」

「勘違いしないで。私は別にあんたのために教えるんじゃない。仕事だから仕方なく教えるの。いい?」

「へいへい。わかってるって」


 なぜ今まで気がつかなかったのだろうと不思議に思うほど、大里はすごくいい性格をしていると思う。

 気が強いというか、口が悪いというか。とにかく他の女の子にはない特別な個性を彼女は持っている。


 言わずとも、それが決して良いものでないというのは誰もがわかるはず。

 それじゃあなぜ彼女は、俺の様に嫌われていないのだろう。


 ——ルックスか? それとも猫をかぶるのが上手いだけか?


 何にせよ、俺は彼女の様に表裏をはっきりと区別することができない人間だ。

 相手が誰だろうと六月春はいつでも片面印刷。彼女の様に両面刷りじゃない。

 その点で言えば、彼女のその性格も少し羨ましく思える気がする。

 

「そろそろね。あんたも4時半からでしょ。早くしないと遅れるよ」

「お、おう」

「いい? 頼むから私の邪魔だけはしないでよね」

「わかってるって……」


 そうして俺たちは控え室を出た。

 初めてのバイトに緊張する気持ちもあるが、それ以上に俺の中では、大里とうまくやれるのかどうか、そっちの方が不安で仕方がなかった。

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