第12話 和解

 俺が科学室に着いた頃には、すでに実験の準備が進められていた。

 教卓に並べられた機材を次々と自分たちのテーブルに運んでいるクラスメイトたち。たくさんの人が交錯している中を、俺は控えめに通り抜ける。

 そして黒板に掲示されている実験の班分けを確認したのだが——。


「嘘だろ……」


 俺はそれを確認して、思わず顔をしかめた。

 なぜなら俺と同じ班の欄には、最近関係が気まずくなった三宅の名前も書かれていたのだ。


「おいおい……マジかよ……」


 さらにだ——。


 その掲示をよく見てみると、俺たちの班の欄には冬坂白羽の名前も書かれているではないか。


 ——何をどうしたらこうなるんだよ……。


 どういう経緯でこの班分けになったのかはわからないが、ここまでピンポイントにメンツを揃えられてしまうと、このクラスの誰かが意図的に仕組んだのではないかと疑いすら持ってしまう。


 見たところ班分けは適当みたいだし、全部で8班あるうちのほとんどが4人以上で構成された班で、3人しかいないのは俺たちの班だけ。しかもその3人が俺と三宅と冬坂とか、普通に考えたら不自然すぎる。


「はぁ……仕方ねぇ……」


 とはいえ今から別な班に移るわけにもいかない。

 そもそも俺なんかを受け入れてくれるようなところはないだろうし、隠キャは陰キャらしく、誰かの手によって決められた理不尽な班分けに従うしかないのだ。


「てか、もう準備終わってるし」


 俺たちの班のテーブルに目をやると、すでに実験の準備は完璧に整えられており、三宅と冬坂はお行儀よく着席して待っている。

 この様子じゃあいつらは、今回の班分けについて特に何も思うところはないのだろう。いよいよこの班分けの正当性が怪しくなってきた。


「冬坂のやつ……」


 委員長ならクラスの班分けくらいどうとでも仕組むことができるだろう。

 それに俺のことに干渉してくるような奴なんて、このクラスじゃあいつしか思い浮かばない。


 ——余計なことしやがって。


 そう思いながらも俺は、仕方なく用意された空席へと向かう。

 当然のごとく、その足取りは重い。


「わるい。遅くなった」

「あ、やっと来た。実験の準備、私たちで済ませちゃったわよ?」


 俺を見るなり冬坂は、そう言いつつジト目を向けてくる。

 頬をぷくっと膨らませているから、どうやら少し怒っているようだ。


「片付けはちゃんとやるからそれで許してくれ」

「当たり前よ。六月くんには一番大変なのやってもらうから」

「へいへい」


 どうやら彼女はシラを切るつもりらしい。

 このおかしな現状を話題にする様子もないし、これは少し懲らしめてやる必要がありそうだ。


「それよりもだな、冬坂」

「ん、何?」

「お前、やったろ」

「ふぇ? な、なんのことかしら?」


 俺が単刀直入に尋ねると、冬坂は不自然に目を逸らして見せた。

 どうやらこれは、こいつがこの班分けを仕組んだということで間違いないみたいだ。


「はぁ……。あのな、何をどう思ってこうしたのかは知らんが、俺は別に頼んでないからな?」

「別に……偶然よ偶然。そう、偶然」

「いや偶然つったって、あからさまにおかしいだろこのメンツ」

「別におかしいことないじゃない。ねっ、三宅くん」

「お、おう……」


 冬坂が三宅に同意を求めると、三宅は少し気まずそうに苦笑いをして見せた。

 やはりこの班分けは、俺にとっても三宅にとっても望ましいものではないのだろう。


 科学の実験とだけあって、何も会話せずに居るわけにもいかないし、このままじゃ間違いなく、ただ胃が痛いだけの時間を過ごすことになる。

 そんなことになるくらいなら、授業が始まる前にこのメンツをなんとかする他手はない。


「なあ三宅。やっぱりお前は別な班に行った方がいい。こっちは2人でもなんとかなるから」

「ち、違うんだ春!」

「違うって……何が……」

「この班のこと。冬坂に頼んだのは俺の方なんだ」

「はっ?」


 ——今三宅は何て言ったんだ? この班にしてほしいって頼んだ?


 三宅の顔を一点に見つめながら、俺は思わず言葉を失った。

 てっきり冬坂がいらない気を使って班分けを仕組んだのかと思っていたが、どうやら俺の認識違いだったらしい。


「頼んだって……なんでわざわざ……」

「春。俺はお前に謝りたかったんだ。真実かどうかもわからない噂に流されて、親友のお前を疑ってしまったこと……。本当にすまん」

「いや……あれは別にお前のせいじゃ……」

「いいや、悪いのは俺だ。あの時もっと他に言えることがあったはずなんだ……」


 すると三宅は口ごもるように下を向き、険しい顔つきで何かを考えていた。

 その表情は真剣そのもの。今の三宅が本心から話していることがよくわかる。


「だから……お前に許してもらえるとは思ってない。でも俺は何があろうとお前の味方だ。周りがどう噂しようと俺はお前のことを信じてるし、親友だと思ってる。それだけは知っててほしい」

「三宅……」


 俺は壮大な勘違いをしていた。

 三宅の真剣な顔を見て初めてそれに気がついた。

 あの時のことを後悔していたのは俺だけじゃない。三宅も同じなんだ。


 俺は勝手に決めつけていた。

 学校の奴らと同様に、三宅も俺のことを拒絶してしまうのだろうと。

 もうこの先深く関わることもないのだろうと。


 そして現実から逃げていた。

 三宅というたった1人の友人とさえ向き合うことができなかった自分から。

 己をさげすみ孤立することで、自分を守ろうとしていただけだったのだ。


 一度後悔して結果は見えていたはずなのに、それでも俺は突き放す選択をしてしまった。

 三宅がどんな気持ちだったのかなど微塵にも考えず、俺はただひたすら現実から逃げ続けていた。目を背け続けていた。


 そんなのはただの自己満足だ。ただの傲慢ごうまん野郎だ。

 つくづく自分が最低だと思う。どうしようもないクズだと思う。救いようのないバカだと思う。


 それでも——。


 三宅は俺を諦めなかった。信じてくれていた。

 そんな奴に頭を下げられたら、俺も黙ってはいられない。

 今俺の中にある全てを持ってあの日のことを——。


「——本当に俺はクズで最低だ。馬鹿野郎だ……」

「春……?」

「噂ごときで心を乱して、おまけに怒りまでぶつけて、お前の気持ちなんてこれぽっちも考えないで、ただ突き放して、自分を守ることしかできない愚か者で……」


 言ってるうちに改めて自覚してしまう。

 俺はどうしようもないくらい自分が嫌いなんだと。わかっているのに弱さを肯定することができない愚かな人間なんだと。


「今もこうしてお前が向き合ってくれなかったら何も変わらなかった。間違いなく俺は死ぬまで逃げ続けてたと思う」


 それでも俺は言葉を発するのを辞めなかった。

 それはきっと心のどこかで変わりたいと願っているから。どうしようもない自分を救ってあげたいと思っているから——。


「だから三宅。あの時は本当にすまなかった。信じてやれなかったのは俺の方だ。どうせ自分はこうなる運命だったんだって勝手に正当化して、お前と向き合うことを避けてただけだった。だからすまん」

「春……」


 俺はずっと1人だった。それが当たり前だと思っていた。

 だからこそ本当の意味で親友というものを理解していなかったのかもしれない。


 親友というのは、たった一度のいざこざで壊れるような仲じゃなかった。

 むしろそれを乗り越えてこその関係なんだ。

 今日初めて自分の気持ちをさらけ出して、それに気づけたような気がする。


「まあ……なんだ。だからってわけでもないが、お前が良かったらこれからも仲良くしてくれないか」

「あ、ああ。もちろんだ」


 久しぶりに見る三宅の笑顔はとても眩しかった。

 眩しくて冷えた心が温まるような、そんな不思議な感覚さえ覚えた。

 俺の顔からも自然と笑みがこぼれる。


「そ、そうか。それなら良かった」


 改めて三宅とこういう会話をすると少し照れくさい。

 俺は恥ずかしさを隠すように、とっさに視線を左へと逸らした。


 すると——。


「ねえ2人とも。仲直りできたのは良かったんだけど……」


 俺たちの会話を黙って聞いていたであろう冬坂にそう呼びかけられ、俺はそちらに視線を向けた。


「周り見て周り」

「あ、授業」


 俺がそれに気づいた頃には、もうすでに教室中の視線がこちらに集中していた。

 おまけに俺は未だ立ったまま。さらには科学担当の先生の視線も——。


「もう授業が始まってますよ? いつまでそうしてるつもりですか?」


 無駄におしゃれなメガネを指で持ち上げながら、おばさん先生がそう言った。

 その標的は間違いなく俺。

 それに気づいた瞬間、顔がカァーッと熱くなる。


「早く座ってください!」

「すみません……」


 俺は小さくそう呟いてゆっくりと席に着いた。

 三宅の方に視線を向けると、少し申し訳なさそうにはにかんでいたので、俺はそれを嫌うように冬坂の方へと視線を移したのだが——。


 ——!?


「……おいお前……」

「クスクスクス……。ど、どうしたの六月くん……クスクス……」

「どうしたのじゃねえよ……。何1人でツボってんだよ……」

「別にツボってなんか……クスクスクス……」

「グッ……」


 あろうことか冬坂は、俺が公開処刑されていた様子を楽しんでいたのだ。

 口を手で覆って上品に笑っているつもりらしいが、未だにその笑いは落ち着きを見せない。


 しかもだ——。


 ……クスクスクス……。


 よく周りを見てみると、笑っているのは冬坂だけではなかった。

 教室中が謎の笑いの渦に巻き込まれていたのだ。

 これにはもう、流石の俺の羞恥心もズタボロだった。


 ——死にたい。


 この場から逃げ出したかった。

 顔が燃えるように熱くなって、俺はとっさに机の陰に隠れた。

 自分の足先だけに意識を集中する。一点見つめだ。


「おい春。大丈夫か?」

「何をどうしたら大丈夫になるんだ……。いっそのこともう死にたい……」

「ははは……。まあそんなに気にするなって。別にみんなもお前のこと見て笑ってるわけじゃないと思うぞ?」

「は? それはどういう……」


 三宅にそう言われた俺は、恐る恐る机の陰から顔を出した。


 すると——。


「いいですか? ここは気をつけないといけない点で——」


 淡々と実験の説明をしているおばさん先生。

 身にまとっている白衣のお尻の部分に、よくみると黒いシミのようなものが付着しているのがわかる。

 しかもかなり良い位置に付着しているため、俺からしてみれば例の "アレ" にしか捉えることができない。


 ——まさか。


「なあ三宅。あれって……」

「んん……さすがにコーヒーとかじゃないか? もし本物だったら笑えん」


 まるでう○こがこべりついているかように見えるそのシミは、先生が黒板に何かを書くたびに教室中に笑いを届けていたのだ。


 しかも本人は全く気づいている様子はない。

 これでは話が一切入ってこない上、俺たちの精神も長くは持たないだろう。


「おい……誰か教えてやれよ……」


 そう願う俺だったが先生に直接言えるわけもなく、ただひたすら無駄におしゃれなおばさんが、う○こみたいなシミを身にまとい授業を展開するという、謎の時間が流れていくだけだった。

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