第11話 表明

 月曜日の放課後——。


 俺は意を決して、先日告白を断った大里美咲のことを学校の屋上へと呼び出していた。


「こないだは本当にすまん!」

「はぁ? 突然呼び出しといて何? 意味わかんないんだけど」

「あん時の俺はどうかしてた。美咲さんの素直な気持ちから目を背けて、中途半端な答えしか出せなくて、正直めちゃくちゃ後悔した」


 俺は腰を折るようにして美咲さんに頭を下げながら想いを吐いた。


 しかしこのままではあの時と一緒だ。

 彼女と向き合ってまっすぐな気持ちを伝えることこそが、今の俺にできる最善の謝罪だろう。


 そう思った俺は、重い頭を気合で持ち上げ、そのまま目線を美咲さんにまっすぐぶつけた。


「ちょっと何……こっち見ないでよキモいから」

「すぐ終わるから我慢してくれ。俺は美咲さんに謝りたかった。あの時勇気を振り絞って告白してくれたのに、その勇気に泥を塗るような真似をして本当にすまん」

「は? 別に今頼んでないし。それにもうあんたのことなんて一ミリも好きじゃないし。むしろ嫌いだし」

「知ってる。それでも俺は美咲さんに正直な気持ちを伝えたかったんだ——」


 言葉を発しながらふと思う。

 こんなに積極的になったのはおそらく人生で初めてのことだと。


 ——今の俺どんな顔をしてるんだろう。


 手足の震えは止まらないし、背筋が緊張で凍りついているのがわかる。

 目をつぶってしまいたい。この場から逃げ出してしまいたい。

 正直俺の心の中では少なからずそんな気持ちも湧いてきていた。


 そんな時——。


 俺の脳内では、カラオケでの冬坂の言葉が蘇るように再生される。


 ——心で思っているだけじゃ何も変わらない。


 声に出せば単純なその言葉が、ここへきて初めて難しいことだと知った。

 だがそれを知ったからといって、この場を逃げ出していい理由にはならない。

 もしここで逃げてしまったら、俺はこの先一生変わることができないのだから——。


「美咲さん。やっぱ俺、美咲さんと付き合うことはできない」

「だから頼んでないって言ってるでしょ!? ホントしつこい!」

「そうだな。でもこれだけは伝えておきたいんだ。あの時美咲さんに好きって言ってもらえて本当はすごく嬉しかった。自分を必要としてくれている人がいるってわかっただけで俺は救われたんだ」


 あの日は色々混乱していたせいで気付けなかったが、俺はきっと嬉しかったんだと思う。

 初めて誰かに好きって言ってもらえて。初めて誰かに必要とされて。

 ずっと1人で生きてきた俺にとって、これ以上に救われたと感じた瞬間は今までなかった。


「だから美咲さんには俺みたいな奴じゃなくてもっといい人とお付き合いしてほしい。そして幸せになってほしい。心からそう思ってる」

「別にあんたに心配されなくてもそうするつもりだし」

「そっか。それならいいんだ」


 美咲さんは間違いなく可愛い。

 最近の流行を忠実に守り、常に誰かに見られているという意識で日常を送っているのがよくわかる。

 そんな努力家な彼女と、ロクでもない俺なんかが付き合っていいわけがない。

 彼女にはもっとふさわしい人がいるはずだ。


「つーかさ、話ってこれだけ? ならもう行くけど」

「あ、ああ。時間とらせて悪かったな」

「ふん。なんなのよホント」


 そう言うと美咲さんは俺の元から去って行った。

 おそらくこれをきっかけに、俺が嫌われている現状が変わったりはしないだろう。

 それでも俺がここへ美咲さんを呼び出したのは、自分の気持ちにけじめをつけるため。一歩を踏み出すため。

 いずれにしろ今の数分間は、今後の俺にとってとても貴重な数分間になることには違いない。


「ふぅ……吐きそう」


 屋上に1人残された俺は、慣れない行動の反動で少し気分が悪くなっていた。

 額からは妙な汗が噴き出しているし、手足にもビリビリと痺れているような感覚がまとわりついている。


「これは当分今のままだな……」


 たった数分間女の子と目を合わせていただけでこれだ。

 この様子じゃ、俺が心から誰かを好きになれる日が来るのも当分先のことだろう。


 ——まあ現状だと、めぼしい相手すらいないんですけど……。


「はぁ……」


 俺は疲れを吐き出すように大きくため息をついて、近くの手すりへと身体を預けた。


 そこからは校庭を一望することができる。

 野球部、テニス部、陸上部、ハンドボール部。そしてサッカー部。

 たくさんの声が飛び交う中、三宅の声だけは不思議と鮮明に耳に入ってくる。


 無意識のうちに俺がそうしてしまっているのか。それともただ単に三宅の声がでかいのか。

 理由は定かではないが、それでもやはり気になってしまうのはサッカー部の練習風景だった。


「馬鹿みたいだな……俺……」


 自分から拒絶しておいて意識してしまう。

 これでは未練タラタラの別れたてのカップルみたいじゃないか。


「帰るか」


 しばらく練習を眺めていた俺は、身体を預けていた手すりから離れた。

 今日すべきことはちゃんとやったはずなのに、どうも心残りがある気がしてならない。

 釈然としないまま、俺は今日も1人で家までの道を辿るのだった。



 ——嫌——



 翌日——。


 学校へと登校した俺は、少しばかり違和感を覚えていた。

 しかしそれは決して悪いものではない。むしろその逆だった。


「んん……」


 いつも通りロッカーで靴を取り、まっすぐ2階の教室へと向かう。

 昨日までならその間、すれ違う人たちほぼ全員の視線を集めていたのだが、不思議と今日は誰からも見られることなく教室まで辿り着くことができた。


 さらには教室に入ってからも、特段俺をさげすんでいるような視線はなく、みんななぜか平然と朝の支度を進めている。

 いつもならここで「来たぞヤリチン野郎」とか「みんな息止めろ息」とか、こそこそ話している声も聞こえてくるのだが、今日はそのようなことも一切ない。


 ——おかしい。


 一体何が起きているのか理解不能だが、遅刻ギリギリなためのんびり入り口で突っ立っている暇はない。

 俺は戸惑いながらも、窓際の一番後ろにある自分の席に腰を下ろした。


「おはよう六月くん。いつも遅刻ギリギリね」

「お、おう冬坂……」


 するともうすでに登校していた冬坂に声をかけられた。

 突然のことに思わず俺は動揺してしまう。


「どうしたの? 少し様子がおかしいみたいだけど」

「いや、別に大したことじゃないんだけどな」

「トイレなら朝のホームルーム始まる前に行ったほうがいいわよ」

「お気遣いどうも。でも俺がしたいのはトイレじゃない」

「じゃあ何? 忘れ物?」


 これは冬坂に聞いてみるべきなのだろうか。

 でも彼女もまた俺と同様嫌われているようだし、こういった噂とかにはうといかも——。


 ——いや待てよ。


 そういや以前、俺の噂が偽りだってことに気づいていたのは冬坂ただ1人だけだった。もしかしたらもうすでに、今何が起こっているのかを知っているかもしれない。

 だとしたら彼女に聞いてみる価値はある。


「なあ冬坂」

「ん? 何?」

「今日やけにみんなが俺に対して無関心みたいなんだが、お前何か知ってる?」

「どうでしょうね。噂の効果時間が切れたんじゃない?」

「いや、いくらなんでもそれはちょっと早すぎるだろ」


 噂というものは流行と一緒で、いつしか必ず新しいものに塗り替えられる。

 俺の悪い噂もまた、いつかその効力を失う時が来るのだろうが、それにしても早すぎる気がする。

 噂が立ち始めたのが先週の木曜日だから、まだ1週間も経っていない。

 そんなすぐに忘れられるはずもないし、だからと言ってあの噂が生きているとも思えない。


「何がどうなってんだよ……」


 俺は戸惑いをボソッと口に出した。

 すると冬坂は机に肘を立て、両手に顎を乗せたまま、


「まあ良くなった分にはいいじゃない。それよりも六月くん。昨日はちゃんと大里さんと話せたの?」

「あ、ああ。一応伝えたいことは一通り伝えたつもりだ」

「なら良かった。あなたのことだから直前で逃げ出しちゃうかと思ったけど、心配いらなかったみたいね」

「いやお前の中の俺ってどんなイメージなんだよ」

「ふふっ。内緒よ」


 そう言うと冬坂は、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 一体彼女が俺のことをどう認識しているのかは知らないが、特段悪い関係じゃないと思うのは確かだ。

 実際今回の件で彼女の言葉がなかったら、それこそ俺は一歩踏み出せていないわけだし、感謝していることにはしているのだが——。


「先生来たわよ六月くん」

「お、おう」


 その声で俺の意識は冬坂から現実へと引き戻された。


 ——やべっ、カバン……。


 机の上にまだカバンを出しっぱなしにしていたことに気がつき、俺は急いでその中身を机の中にしまい、脇へと置いた。


 この後は朝のホームルーム。

 先生が教卓の辺りまで来たところを目処めどに、委員長が号令をかけるのだが——。

 

「起立」

「ふぇ?」


 その号令はあろうことか俺の隣の席から聞こえて来た。

 俺は反射的に声のした方に視線を向ける。


 すると——。


「ちょっと何やってるの六月くん。早く立って」

「お、おう……」


 座ったままの俺に冬坂は小声でそう促してくる。


 ——てかこいつ委員長だったの!?


 まさかの事実だった。

 今まで幾度となく従っていた号令は、全て冬坂がかけていたものだったのだ。

 衝撃すぎて身体が追いついていかない。


「礼」


 クラスの奴らが揃って礼をする中、俺は1人ぼーっと立ち尽くしているだけ。

 それだけ冬坂が委員長だったという事実が衝撃的だったのだ。


「着席」


 その号令で全員一斉に椅子へと腰を下ろす。

 それを見た俺は、慌てて自席へと腰を下ろした。


「皆さんおはようございます——」


 いつものごとく、担任が今日の予定などを話し始めるのだが——。

 今の俺にはそんなことどうでもよかった。

 それよりも気になっているのは "冬坂が委員長" という衝撃すぎる事実だけ。


 ——いつからだ?


 記憶をさかのぼってみたが、いまいち確信を突く何かがない。

 昨日のことを振り返ってみたが、放課後のことで一日中緊張していたため、何も手がかりはなかった。


 そうとなれば直接聞くしかない。

 担任が何やら話しているようだが、後ろの席だしおそらくバレないだろう。


「なあ冬坂」

「何? 今先生話してるんだけど」

「知ってる。それよりも、お前ってこのクラスの委員長だったの?」

「そうだけど。もしかして知らなかったの? 半年も同じクラスなのに?」

「あ、ああ……。まさかとは思うが……2年になってからずっとか?」

「そうよ。どれだけあなたは人に興味関心がないのよ……」

「す、すまん……。自分でもびっくりしてる」

「まったくもう……って、そんなことより。あんまり話してると怒られるわよ?」

「ああ。そうだな」


 そうして俺の事実確認は終わった。

 話を聞く限り冬坂がこのクラスの委員長ということで間違いないらしい。


 ということはだ。

 冬坂は委員長でなおかつ容姿端麗なのに嫌われていることになる。

 普通に考えればそんなことまずあり得ないと思うのだが——。


『キーンコーンカーンコーン』


 朝のホームルームの終わりを告げるチャイムがなり、みんなそれぞれ1限目の準備に取り掛かる。

 冬坂もまた平然とした顔つきで席を立ち上がった。


「あなたも準備始めないと遅れるわよ」

「お、おう」

「それじゃ私先行くから、教室の鍵よろしく」


 そう呟いた冬坂は、1人でこの教室を後にした。


 今日の1限は科学。

 1階の科学室で何やら実験をやるらしく、クラスの奴らは次々と教室からいなくなっている。

 そして気づいた時には俺1人だけがとり残されていた。


「鍵鍵」


 教卓の上に置かれた鍵を持ち、教室を出る。

 一番遅い奴が戸締りをするのがうちのクラスでのルールなのだが、ほとんどの場合俺がそれを担当している。

 いつも俺が一足遅いというのもあるが、大体の奴が戸締りをめんどくさがるので、閉め忘れのないように極力俺がやるようにしているのだ。


「行きますか」


 戸締りを終えた俺は、鍵と教材を抱えて1階の科学室へと向かった。

 


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