第9話 プレゼント
夕食の支度を始めてからおよそ30分。全ての料理が完成した頃には、もう7時を過ぎてしまっていた。
冷蔵庫に入れておいた昼食を、夏帆は残さず食べてくれたみたいだが、それでももうかなりの時間が経ってしまっている。
おそらく勉強に疲れてお腹も空いているだろう。正直俺も腹が減って死にそうだ。
「遅くなって悪い。夕飯できたぞ」
階段を見上げるようにして、俺はそう呼びかける。
すると2階ではドアの開く音がなり、やがて夏帆が階段から降りてきた。
その服装は家着であろうシンプルなシャツとショートパンツで、昼間会った時と何ら変わりない格好だ。
——もしかして今日外出てないのか?
「待たせてすまん。腹減っただろ」
「…………」
「外でないでずっと勉強してたのか?」
「別に兄貴には関係ないでしょ」
降りてきた夏帆にすれ違いざまそう聞いてみたが、返答はいつもの通りそっけない。
やはりこれは誕生日を忘れられていたことに対して怒っているのかも。
だとしたら本当に申し訳ないことをした。
——料理で少しでも機嫌良くしてくれたらいいんだが……。
そう思いつつ俺は、夏帆の後に続くようにしてリビングへと入った。
そして夕食を並べたテーブルにいつも通り座ろうとした——。
その時——。
何やら夏帆が椅子の前で突っ立ったまま、今日の夕食を見下ろしていることに気がついた。
口をポカンと開けて固まっているその様子を見て、俺の中では少しの不安が湧き上がってくる。
「どうした? 座らないのか?」
「ねえ……これ何」
「何って、今日の夕飯だ」
「そうじゃなくて。何でステーキ?」
「ああ、それはだな。今日はお前の誕生日だからだ」
俺がそう答えると夏帆はハッとしたような表情になる。
おそらく俺が忘れていて今年は何もお祝いされないとでも思っていたのだろう。
まあ一瞬忘れていたのは確かだが。
「どうしたよ。借りてきた猫みたいに」
「どうしたじゃないし。てか急に誕生日って……兄貴忘れてたんじゃないの?」
「んなわけ。誰が実の妹の誕生日を忘れるかよ(忘れてたけど)」
「じゃあ何で朝会った時は何も言わなかったわけ?」
「いやまあ……演出だよ演出。何事にもサプライズってのは大事なんだよ」
こういう時の言い訳だけはすぐに思いついてしまう。
やはり俺の性格の悪さは一級品らしい。改めて自覚することができた。
「まあとりあえず座れよ。肉冷めるし」
「んん……」
そうして夏帆はようやく席に着いた。
しかし席についても、未だに自分の誕生日を祝われているという実感が湧いていないようで、真顔でぼーっとステーキを眺めている。
夏帆のこんな姿を見るのは、ここ数年を振り返ってみても初めてかもしれない。
「それじゃ食うか」
「うん……」
肉が冷めてはもったいないので、すぐさま両手を合わせるよう促す。
「いただきます」「いただきます……」
俺はすぐさま箸を取ると、漂う肉の香ばしい香りにつられるようにしてステーキへと手を伸ばす。
すでに何切れかにカットしておいたので、ナイフで切る必要もなくそのまま箸でつまんで食べることができる。
「おほっ、うまっ」
口に入れてすぐ、本音の感想が思わず飛び出す。
塩コショウだけで味付けしているため、肉本来のうまさが口の中いっぱいへと広がり、上質な脂が味覚をこれでもかと刺激する。噛めば噛むほどジューシーな肉汁が溶け出し、そこへふっくらと炊かれた白飯を合わせようものなら、もうこれは事件以外の何ものでもないだろう。
——素晴らしくうまい。めちゃくちゃうまい。
俺はそのゴールデンコンビを最後までしっかりと堪能し、そのまま喉の奥へと流し込んだ。
まさに幸せを飲む。これなら夏帆も美味しいと言ってくれるだろう。
「どうだ。ステーキ」
「うん……まあ美味しい」
「だろ。何たってこれはそこらの安いお肉とはワケが違うからな」
そう——。
今日買ってきたお肉は普通のお肉とは一味違う。
一般的な家庭でステーキを作る場合、おそらく使われるのはスーパーで売られている外国産のステーキ肉だろう。
もちろんまずいわけではないが、やはりどうしても値段ゆえの安っぽさというのが目立ってしまうので、こういった日には使いづらい。
しかし今日俺が買ってきた肉に、その類の懸念材料は一切ない。
何たってこの肉はメイドインジャパン。国産の黒毛和牛から採れた肉なのだから。
「高いの?」
「まあ、そこそこかな」
「ふーん」
外国産のステーキ肉が600円なのに対し、国産黒毛和牛はその約4倍。
しかも特にセール品とかでもなく、普通に売られている純高級肉を俺は今日、夏帆のために仕入れてきたのだ。
——これがまずいワケがない。夏帆が喜ばないワケがない。
俺の勝利はこれを手にした時からすでに決まっていた。
ここでこの切り札を切れば、意識は高級ステーキに集中し、俺が朝一で誕生日を祝わなかったことなど気にもならなくなる。必ず喜んでくれる。
俺はそう確信していたのだ。
「今日くらいは贅沢してもいいだろ」
「まあ、うん」
案の定、夏帆の箸が止まる様子は微塵もない。
このまま買ってきたプレゼントを渡せば、全てがハッピーエンド間違いなしだ。
「そうそう。お前にプレゼント買ってきたんだ」
「プレゼント?」
さりげなく夏帆の興味を引くふりをして、俺はあらかじめ近くに置いていたプレゼントを差し出す。
「ほら。誕生日おめでとう」
「う、うん」
俺からプレゼントを受け取った夏帆は、興味深そうにそれを眺める。
「開けてい?」
「おう。開けてみ」
袋状に包装されたそれは、先ほど駅の隣のデパートで買ってきた物だ。
値段的にはそこまで高価なものでもないが、夏帆に贈るプレゼントとなれば、俺はこれしか思いつかなかった。
「ぬいぐるみ?」
「ああ。お前結構そういうの好きだろ?」
「まあ……うん」
俺が買ってきたのは、肌触りがモコモコで気持ちのいいクマのぬいぐるみ。
アザラシとクマで少し悩んだのだが、やはりぬいぐるみと言ったらクマだろうということでこれをチョイスした。
「それでよかったか?」
「うん。いい」
「そっか。それならいいんだ」
すると夏帆は、クマのぬいぐるみを両手でぎゅっと抱きしめた。
そして何やら視線を斜め下の方へと向け、頬を赤らめながら、
「あ、ありがと……」
一言そう言ってくれた。
おそらくこれは照れているのだろう。
それでもこれだけ嬉しそうに『ありがとう』と言ってくれたことだけで、俺はもう満足だ。
「おう。どういたしまして」
自然と明るい気持ちになる。
今まで俺に対して当たりの強かった夏帆がようやく素直な顔を見せてくれた。
それを思うと何だか少し嬉しかった。
「ああそうそう。もう一つ渡すのあったんだった」
「もう一つ?」
俺は思い出すようにして、同じく用意していたもう一つのプレゼントを手に取る。
細長い形状の小さな箱に入れられたそれは、ぬいぐるみとは別にぜひ夏帆に渡したい物の一つだった。
「これはまあ……俺からの気持ちだ」
「これって……」
「シャープペンだ。よかったら使ってもらおうと思ってな」
これもぬいぐるみ同様、デパートで購入したものだ。
色々お店を回っていた時に偶然発見した。
黒ベースで塗られた落ち着いた雰囲気のペンで、一目見た感じだとやや太め。
中学生の夏帆には使いづらいかもしれないとは思ったが、どうせなら受験に直接役に立つ物をと思いこれを購入した。
「どう。持ってみた感じ」
「うん。全然いい」
「そうか。それならいいんだ」
「でもなんでぬいぐるみとは別にシャープペン?」
「だってお前受験生だろ? いつも勉強頑張ってるのは知ってるし、これで少しでもいい点とってもらえたらと思ってな」
「そ、そう」
「うぜえかもしれないけど俺とて一応お前の兄貴だ。少しくらいは力になりたいんだよ」
「ふ、ふーん」
俺が本心を伝えると、夏帆は頬を赤らめながら不自然に視線を逸らした。
その様子は妙に可愛らしく、どこか昔の夏帆を思い出すかのような感覚さえ覚える。
明るく笑顔を絶やさなかったまだ小さい頃の夏帆を——。
「おし、プレゼントはこれで終わりだ。冷めないうちに残りのステーキ食っちゃえ」
「う、うん」
俺がそう促すと、夏帆は抱えていたぬいぐるみを一度袋にしまい椅子へと置いた。
そして再度箸を持ち、残ったステーキへと手を伸ばす。
それを見た俺も、つられるようにしてステーキへと手を伸ばす。
——ちょっと冷たいな。
案の定、ステーキは少し冷めてしまっていた。
それでもなお美味しいと感じるのは、素材がいいからという理由だけではない気がする。
——懐かしいなこの感じ。
今思えばこうして夏帆と会話をしながら食事をしたのは何年振りだろうか。
少なくとも俺が高校に入ってからは初めてのことだと思う。
俺たち兄妹が最後に家族で食事をしたのは6年前。今でもあの頃に戻りたいと思ってしまう時がある。
それだけあの頃の時間は、俺たちにとって掛け替えのないたった一つの幸せだった。
この先何があろうと、それは決して変わることのない記憶だ。おそらく夏帆も同じ気持ちを抱いていることだろう。
だからこそ俺は兄貴として、今度こそ夏帆を守ってやらなくてはならない。
あの時の自分がした後悔を無駄にしないためにも。
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