第8話 誕生日
苦痛だと思っていた3時間はあっという間に過ぎ去り、気づけばもう夕方。
「思ってたよりもたくさん歌えたわね」
「ああ(お前はな)」
カラオケを堪能した俺たちは、店の前で再び主張の強い光たちに当てられていた。
ずっと暗室に居たせいもあってか、心なしか昼間見たときよりもその光が眩しく感じられる。
「てかお前ずっと歌ってたみたいだけど、喉とか大丈夫なのか?」
「ええ、あのくらいなら全然。それよりも六月くん……あれ本気で歌ってたのよね?」
彼女が俺にそう尋ねるのも当然のことだろう。
あの後。
決意を表明し勢いに乗っていた俺は、あれだけ嫌がっていた生歌を冬坂の前で披露することになった。
今なら上手く歌えるかもしれないという謎の自信もあったので、あまり抵抗はなかったのだが、案の定俺の歌は想像していた以上のハイヘタリティーな代物だった。
画面上部を流れる音程バーを
それでもなんとか歌いきった俺だったが、その頃にはすでに『ムードブレイカー』という称号が名前の脇にデカデカとぶら下げられていた。
結局その後、俺が再びマイクを持つことはなく、飲み物を片手にひたすら冬坂の歌を聴いていたわけだ。
「だから言っただろ苦手だって」
「あれは苦手とかそういうレベルの話じゃないと思うけど……」
「言うな……」
自分でわかっていることを改めて他人に指摘されると胸がえぐられるような思いだ。
それだけ俺の歌は人様の前で披露してはいけない代物なのだろう。
——この先何があろうと絶対人前で歌わねえ……。
俺は密かに心の中でそう誓った。
「それで、この後どうする?」
「あ、ああ。悪いんだが、俺はそろそろ家に帰って夕飯の支度しないと」
「六月くん料理するの? ご両親は?」
「親とは今別々に暮らしてる。家には妹が居るから外食して帰るってわけにもいかないんだ」
「妹さん居たんだ。ちょっと意外ね」
「まあな。今は受験生で勉強が忙しいみたいだけど」
「だからあなたが料理を……。偉いじゃない」
「いやさすがに受験生の妹に家事を任せるわけにもいかないだろ? 一応俺にだってそのくらいの気遣いはできる」
「そう。結構優しいのね」
「どうだか。そもそもあいつは俺のことを嫌ってるだろうし。別に俺も好きでやってるわけじゃないし」
部活に所属していない上バイトもしていない俺には、家に帰って家事をするくらいしかやることがなかった。
それがいつしか定着して、今では当たり前になっているだけのこと。別に好んでやっているわけではない。
受験を控える妹のために少しでも何かしてあげたいという思いは確かにあるが、だからと言ってその気持ちが特別偉いということもないだろう。
兄貴ならごくごく当たり前のことだ。
「まあ俺は兄として当然のことをしてるだけだよ」
「あなたって……もしかしてシスコン?」
「ちげぇよ……。どう解釈したらそういうことになるんだ……」
「それじゃツンデレさんかしら?」
「だからどう解釈したらそうなるんだよ……」
ため息をこぼす俺を見て、冬坂は小さな笑みを浮かべる。
——お前こそドSの才能あるんじゃないか?
容姿端麗で背も高い冬坂にはぴったりのイメージだった。
これでもし本当にドSなら、それを好んだドMの豚野郎どもがブヒブヒと群がってきてもおかしくはないだろう。
息を荒げる男どものケツを棒か何かでスパンキングしている様子が鮮明に浮かんでくる。
「ということだから。すまんが俺はこの辺で帰るわ」
「うんわかった。今日はありがとね六月くん」
「俺の方こそサンキューな。割と楽しかったぞ」
そうして俺は冬坂と別れた。
昨日知り合ったばかりの彼女とここまで打ち解けることになろうとは、今考えればとても意外だった。
——嫌——
冬坂と別れた後、俺は駅のホームで帰りの電車を待っていた。
電車が来る時間までおよそ10分。周りを見たところ俺以外にも電車を待つ人の姿がちらほらと確認できる。
「ゲームでもするか」
冬坂と合流して以降ケータイを一切開かなかった俺は、数時間ぶりにその電源をつけた。
起動したてのロック画面を見たところ、俺が電源を切っていた間の連絡等は一切なく、暇な時プレイしているゲームのプッシュ通知だけがいくつか表示されていた。
「はぁ……」
ため息をついたところで誰からも連絡がこないことはわかっている。
そもそも俺のケータイには父さんと夏帆、そして関係が気まずくなった三宅と美咲さんの連絡先しか登録されていない。普通に考えれば連絡がこないことこそが当たり前なのだ。
「そういや冬坂の連絡先聞くの忘れた」
帰るのに夢中になっていた俺は、冬坂と連絡先を交換しないまま解散してしまった。
別に彼女の連絡先が欲しいわけでもないが、せっかくこうして出かけた仲だ。
——もしもの時のために交換しておくべきだったな。
今後冬坂にしか頼れないことも色々出てくるだろう。
その時のために、やはり彼女の連絡先は交換しておいたほうが良さそうだ。
「来週学校で聞くか」
そう思いながらも俺はいつもやっているゲームを立ち上げる。
こんな時のためにイヤホンを持ってきておいて正解だった。
イヤホンを両耳につけると聞き慣れた音楽が流れ、ゲームタイトルがデカデカと画面の真ん中に表示される。
そして毎日初めてログインした時にもらえるログインボーナス画面に移行したのだが——。
——ん?
俺はその画面を見て少しの違和感を覚える。正しくは今日の日付『9月11日』という表示を見てだ。
何か忘れているような気がしてならない。俺にとって今日は何か重要な日だったような——。
「——あっ! そういえば!」
突然頭に浮かぶように思い出したせいで、俺は思わず大きめの声を出してしまった。
ホームで電車を待つ人たちの視線が集まる。
——はずっ……。
なんて馬鹿なことを考えてる場合じゃない。
あろうことか今日9月11日は、夏帆の15回目の誕生日だったのだ。
いつもなら絶対忘れたりはしないのだが、最近は色々な出来事が重なりすぎて、すっかり頭の中から抜け落ちていたようだ。
どうりで昨日あれだけ俺を質問攻めしてきたわけだ。
自分の誕生日に兄貴が1人遊びに行くとなれば、それは怒るのも納得できる。
「何か買っていってやるか」
時計を見たところ電車まであと5分くらいしか時間がない。
しかしせっかく街の方まで出てきたわけだし、妹の誕生日プレゼントを買って帰るのが兄の義理ってやつだろう。
「次の電車は5時50分か。これは妹に連絡したほうが良さそうだな」
開いていたゲーム画面を閉じた俺は、耳につけていたイヤホンを素早くしまい、そのまま夏帆に遅れる連絡を入れた。
この駅のすぐ隣には有名なデパートがあるので、そこで何か夏帆が好きそうなものを買って帰ろう。
それで少しでも夏帆が喜んでくれるなら俺の本望だ。
——嫌——
「ただいま……」
俺が家に帰ったのは6時半を回った頃だった。
右手には夏帆への誕生日プレゼントと今日の夕食の食材、左手には途中で購入した誕生日用のケーキをぶら下げ、俺の身の回りは見事なまでの大渋滞。
その上久しぶりの外出で俺のメンタルと体力はすでにボロボロだった。
「だぁ……づがれだぁ……」
玄関先に荷物を置いた俺は、一日の疲れを吐き出すかのような大きなため息をついた。
見たところ1階の電気はついておらず、どこもかしこも真っ暗なので、おそらく夏帆は自分の部屋で勉強を頑張っているのだろう。
それならまずやるべきは夕食の支度。
誕生日だというのにどこへも遊びに行かず真面目に勉強していたんだ。せめて夕食だけは誕生日らしい豪華なものにしてやろう。
そう意気込んだ俺はリビングの電気をつけ、早速夕食の支度に取り掛かることにした。
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