第5話 デート

 日付は変わり約束の土曜日——。


「夏帆。俺は出かけてくるからな」


 身支度を整えた俺は、夏帆の部屋の前でそう呟いた。

 しかし返事が返ってくる様子は全くない。

 朝ごはんの時は普通に家にいたので、おそらく出かけているわけではないはずだ。


「昼飯冷蔵庫にしまってあるから。温めて食べろよ」


 時刻はもうすでに12時を回っている。

 普段なら今頃は夏帆と共に昼飯を食べているのだが、俺は今日出かける用事があるため、先に1人で済ませてしまった。

 夏帆の分の昼飯は、ラップをして冷蔵庫にしまっておいたのだが——。


「そういや今日、何時に帰ってこれるかわからないな」


 今思えば、今日何時頃に解散するのかを決めていなかった。

 もし夕食までに帰ってこれなかったら夏帆が困るだろうし、昼飯と一緒に夕食も作っておくべきだった。


「早めに帰らせてもらうか」


 そう思いつつも、俺は玄関で履きなれない靴を履く。

 学校に登校する時は、校則で決められたデザインの靴を履いているため、こうして休日出かける時用の靴はほとんど履いたことがない。


 去年三宅と2人で靴屋に行った時に購入したものだが、正直俺には似合わない派手なデザインをしていると思う。

 あの時はノリと勢いで購入してしまったが、今また同じ靴を買うかと言われたらおそらくは買わない。


「よし、行くか」


 そうして俺は家の玄関を開けた。

 休日に自ら外へ出る自分が、少しおかしくも感じられた。



 ——嫌——



 待ち合わせの時間までおよそ15分。

 福駅前へと着いた俺は、改札横の壁際に寄りかかって1人時間を潰していた。


 俺の住む地域では、電車は1時間に1、2本ぐらいしか走っていない。

 いくら駅前に1時集合だからと言って、その時間ぴったりに着くことはほぼ不可能であり、少し早く来て待つというのが当たり前のことだ。

 しかしそれは当たり前なだけであって、俺のように早く来てしまうケースはごく稀である。


 集合時間の20分前に着くか。それとも集合時間の20分遅れで着くか。

 この2つの選択肢がある場合、大体の人は前者ではなく後者の方を選ぶ。

 その理由は単純で、待つのが退屈で嫌だから。たとえ後者を選んだ場合でも、電車が1時間に1、2本しか走っていないという理由をつければ大抵は許される。


 かと言って、必ずしも遅れていいわけでもない。

 これは俺の感覚的持論なのだが、待ち合わせが遅れることを想定した上であえて遅れて行くと、その時に限って誰かを待たせていることが多い。

 その時の罪悪感は中々のもので、その場で舌を噛み切りたいくらい自分を嫌いになる。


 そうなるのが嫌なので、俺は待ち合わせの時には早く着く方を選択するようにしているわけだ。

 誰かを待たせて死にたくなるよりも、自分が早く来て待っていた方がよっぽどマシだから。


「あいつは後者を選んだか」


 待ち合わせ時間の2分前になっても、冬坂白羽が来る様子はない。

 この時間に来ないということは、待ち合わせの時間を過ぎる選択をしたということ。

 別に俺的には構わないのだが、自分で時間を決めておいて遅れて来るというのは、ちょっと物申したいところがある。


「後で文句でも言ってやるか」


 俺が1人くだらないことをボヤいていると、


「ばぁ」

「はっっ……びっくりしたぁぁ……」


 俺の視界の外から突然冬坂白羽が現れた。


「ふふっ。中々いいリアクションするじゃない」

「そ、そりゃあ突然声かけられたらビビるだろ……」


 俺の自然な反応を見て、冬坂は心底至福そうな笑みをこぼす。

 まさかこんなぴったりな時間に来るとは想像もしていなかった。


「それよりも……どうしてこの時間に?」

「どうしてって、待ち合わせ1時でしょ?」

「それはそうだが……。普通こんなぴったりな時間に来れることないだろ?」

「だって私の家ここからすぐだし。遅れることの方が珍しいけど」


 そういうことかと俺は納得してしまう。

 この辺りはビルのような建物が多く、近くに住む人なんていないと思っていたのだが——。


「お前の家、この辺りなのか?」

「まあ一応ね。もしかして六月くんは私の家に来たいのかしら?」

「そ、そうじゃねえよ。ただこの辺りに人が住んでるのが珍しかっただけだ」

「ふふっ。冗談よ冗談」


 俺がとっさに弁明すると、冬坂は楽しそうな笑みを浮かべた。

 今の発言は俺をからかってのものなのか。

 いずれにしろ、彼女の言葉を本気にしてしまったことに少し恥ずかしさを覚える。


「そ、そんなことより。なんで俺をこんなところに呼び出したんだ?」

「なんでって、私昨日言わなかったかしら? 私は六月くんとデートがしたかったの」

「デートって……。それは普通付き合ってる男女がすることだろ。俺ら別にそういう関係じゃねえし」

「別に付き合ってなくてもデートはするのよ?」

「いやしないだろ……」

「それに六月くんとは一度お話ししてみたいと思ってたの」

「なんだよ話って」

「まあまあ。それはどこかでゆっくりすればいいのよ。とりあえず行きましょう」

「行くって……どこへ」

「まだ内緒よ」


 そう言うと冬坂は、目的地も告げず歩き出した。

 その私服や後ろ姿を見ても、やはり彼女は普通に可愛らしい女の子だと思う。

 なびく黒髪が自然と俺の目に留まる。


 ——本当に俺はこんな奴と並んで歩くのか?


 自分に自信がない故の不安も湧き上がってくる。

 冬坂白羽の隣を歩く俺は、冬坂白羽の引き立て役でしかない。

 そんなことさえも考えてしまう。


「どうしたの? そんなに離れて。せっかくだから何か話しながら歩きましょ?」

「いや、俺はここでいい」

「もしかして照れてるの?」

「そうじゃない。ただ、俺なんかがお前と並んじゃいけない気がするだけだ」


 別に自分を嫌っているからそう答えたわけじゃない。

 なぜかはわからないが、俺は彼女と並んで歩いてはいけない。

 そんな気がしたのだ。


「そう」


 一言呟いた彼女は、それ以降何も言っては来なかった。


 距離にして約3メートル。

 俺と冬坂の距離は縮まることもせず、はたまた遠のくこともせず、ずっとその距離を保ち続けた。

 果たしてこれが一緒に出かけていると言えるのだろうか。

 そんなことも思ったが、今はこの距離を保つことだけが、俺にできる唯一のことだった。



 ——嫌——



「はい到着」

「はっ?」


 駅から歩いてまもなくのところで、前を歩いていた冬坂が振り返りながらそう言った。


「今日の目的地はここよ」


 戸惑いつつも視線を向けたその先には、なんとも刺激的な光景が広がっていた。

 目の前では昼間とは思えないほど自己主張の強いライトたちが俺たちを照らし、その光の強さに目線を足元へと下げれば、これまた色鮮やかに描かれたスタンドボードの看板が、いらっしゃいませと言わんばかりに俺たちを出迎えている。

 ベージュ色に塗られた壁は、どこかの国のお城のような上品な雰囲気を漂わせており、たちまち俺の視線はその見事な塗装具合に釘付けとなっていた。


 ——まさかとは思うがこの建物……。


「カラオケ……なのか?」

「そうよ。駅から近い方がいいかと思って」

「いやいや待て待て……」


 行き先を知らされていなかった俺は、予想外すぎる事態に焦りさえした。

 今までカラオケなんかに来たことがなかったし、俺とは無縁の場所だと思い込んでいたのだから。

 

「なんで突然カラオケなんだよ」

「なんでって。六月くん最近色々あったでしょ? だからカラオケ」

「いや、意味がわからん。どうして色々あったらカラオケなんだ……」


 しかも冬坂が俺をここに連れて来た理由がハチャメチャだった。

 確かに俺の日常はここ最近でガラッと変わってしまったが、だからといってカラオケに連れてこられた意味がわからない。


 それにだ。

 自分で言うのもなんだが、俺は自覚症状があるくらいの重度な音痴だ。

 それを自覚しているからこそ、今まで人前で歌うようなことは避けて来たし、これからもこの秘密は誰にも知られないよう胸にしまっておくつもりだった。


 なのに——。


「いいからいいから。今日のデートはここなの」


 俺の気持ちなど知る由もない冬坂は、軽い感じで俺を地獄へと誘おうとしてくる。


 ——可愛い女の子ほど怖いものはない。


 俺が昔心に掲げていた仮説が、立証された瞬間だった。


「俺こういうところとかはあんまり……」

「あれあれ? もしかして六月くんは歌うのが苦手なのかな?」

「べ、別にそんなことはねえけど……」

「ならいいじゃない。正直私もこういうところはあまり得意じゃないし」

「じゃあなんでわざわざここにしたんだよ……」


 俺は呆れながらも彼女にそう尋ねると、


「だから言ったでしょ? 最近色々あったからカラオケ」


 再びここに来た理由を聞いたが、それでも俺は彼女の胸の内を理解することができなかった。

 それぐらい俺は、彼女のことを知らないのだ。

 

「とりあえず入りましょうか」

「お、おい……」


 乗り気ではない俺に構わず、冬坂は躊躇なくお店の中へと入って行く。

 二重に構える自動扉が開き、店内からは大きめのBGMが流れ出て来た。


「マジかよ……」


 俺は仕方なく、冬坂の後ろをついてこうとする。

 すると店の前をたまたま歩いていた人たちが、俺たちの方に視線を向けていることに気がついた。


 おそらくあの人たちは、俺たちをカラオケに来たカップルか何かと勘違いしているのだろう。

 それだけ男女が2人でカラオケに行くというのは、普通じゃありえない出来事であり、それを平然とできるような関係の間には、必ず特別な何かがあるに違いないのだ。


 しかし俺と冬坂の間には、特別と呼べるようなものは何も存在しない。

 恋人でもなければ友達でもない。ただ昨日知り合った同じクラスの女の子。

 それ以上でもなければそれ以下でもない。


 あの人たちが俺たちの関係を知らないように、俺も冬坂のことをまだ何も知らない。

 今わかっていることがあるとするならば、同じクラスで隣の席ということ。

 そして彼女もまた、俺と同様 "嫌われている" ということ。

 ただそれだけだ。


「ほら、六月くんも」


 一度店内に入った冬坂だったが、俺が入り口で突っ立っているのを見て、わざわざ戻って来たらしい。

 どうして彼女がここまでしてカラオケをしたいのかはわからないが、俺自身カラオケに対する抵抗が少し薄れてきているので、別にいいかと思ってしまう。


「しゃーねえ」


 そして俺は緊張しながらも店の中へと入った。

 よく考えてみると、冬坂のペースにまんまと乗せられたような気もするが、たまにはこういうこともありかもしれないと、俺は腹を括った。

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