第6話 料金

 店内もまた、外観同様とても豪華な造りだった。

 入り口を抜けたすぐ右手側には、ホテルのフロントを思わせるかのような上品な受付。その背景には知らずとも目を引くような趣のある絵画が飾ってある。

 まあおそらくは偽物だろうが。

 受付の横には種類豊富なドリンクサーバーも完備されており、歌い疲れた顧客の喉を潤すという点においても抜かりはない。


 更には——。


「ここ本当にカラオケかよ……」


 思わずそう口にしてしまうほどの圧倒的な吹き抜け式の階段。

 フロアのど真ん中から2階へと伸びるそのたたずまいに、俺はどこぞの貴族のお屋敷に迷い込んだような感覚さえ覚える。


 ——一体何を目指したらこうなるんだ……。


 気づけば俺は、目の前の光景に圧倒されていた。

 カラオケ屋なんて歌を歌ってストレスを発散するだけの場所だと思っていたのだが、どうやら俺の認識は間違っていたらしい。

 ここまでのものを見せられては、「カラオケ行きてぇ」などと暇さえあればぼやいているリア充たちの気持ちも、少しは理解できる気がする。


「今度暇つぶしにまた来ようかな」


 そんな柄にもないようなことを1人呟いていると、


「受付したいから六月くんもこっちに来て」


 受付カウンターで店員と向かい合っていた冬坂が、俺にそう呼びかけて来た。

「別に受付なんて1人でもできるだろ」とは思ったが、一緒に来ている以上彼女ばかりに負担をかけるわけにもいかない。

 仕方なく俺は受付の方へと歩み寄った。


「色々プランがあるみたいだけど、六月くんはどれがいい?」

「別に普通のやつでいいんじゃね? (俺に聞くなっての)」

「普通のやつって言われても困るんだけど……」


 どうやら俺だけでなく、冬坂もこういった場所はあまり慣れていないらしい。

 確か店に入る前、「私もこういうところはあまり得意じゃない」みたいなことを言っていたから、彼女もまたカラオケにはあまりこないのだろう。

 なおさらここへ連れてこられた意味がわからない。


「わかんないなら店員さんに聞いてみたらいいだろ」

「そ、そうね。何かオススメのプランとかはありますか?」

「はい、一番人気なのはこちらのドリンクバー付きフリータイム1780円になります」

「1780円……」


 地味に高い料金設定に、俺は思わず弱気な声音を漏らした。

 それに時間設定がフリータイムだと、地獄の終わる見通しが立たないのも懸念材料となる。

 できれば1時間。長くても2時間ぐらいで勘弁していただきたい。


「フリータイムで1780円かー」

「なあ冬坂。さすがにフリータイムは……」

「うーん。私もそう思ったんだけど、よく見るとこれ3時間の料金とあまり変わりないのよね」


 確かに料金表ではフリータイム1780円に対し、3時間が1500円とあまり大差ない料金設定となっている。


 だがこれは間違いなくトラップだ。

 おそらく誰もがこの料金表を見たとき、一番お得に感じてしまうのはフリータイムだろう。

 しかしフリータイムというのは、顧客が何時間カラオケを利用したかによっていくらでもその価値を変える。


 例えばだ。

 フリータイムの料金で1日カラオケにこもる場合。

 この場合は時間で料金が変わらない分、他のプランよりもお得にカラオケを楽しむことができる。

 その上付属のドリンクバーで、喉の渇きに困らされる心配もないので、カラオケをする以外にも様々な用途でその効果を発揮することができるだろう。


 つまり問題なのは、大した歌わないのにフリータイムの料金を払った場合。

 カラオケというのは言わば "歌う" という単純作業だ。

 それゆえに時間が長引くに連れて "飽き" というものを伴う。


 初めは歌いたい曲などがたくさんあっても、時間が経つに連れその在庫はどんどん失われていくし、聞こえていたはずの合いの手も、自分の歌に対する周りの興味も、気づけばなくなっている。

 そうして結局3時間ぐらいしか利用せずに部屋を出るくらいなら、初めから3時間という決められた時間の中で楽しんだ方がよっぽどマシだと俺は思うのだが——。


「どうせならフリータイムでいいわよね?」


 案の定冬坂は、料金表に仕組まれたトラップにまんまとハマろうとしていた。

 これにはさすがの俺も言及せざるを得ない。


「待て待て……。そもそも俺たちは2人なんだからフリータイムじゃなくてもいいだろ」

「ええー? でもせっかくだからたくさん歌いたいし」

「だとしてもフリータイムは長すぎるだろ。せめて2時間くらいにしとこう」

「それだと短いんじゃない? あなただってたくさん歌うんでしょ?」

「俺はフリータイムを歌い通せるほど陽キャじゃねえよ……」


 冬坂にどれほど歌いたい曲があるのかは知らないが、それでも俺たちにフリータイムは長すぎると断言できる。

 そもそも俺は歌うつもりないし、普通の人だったら1時間も歌えば満足できるはずだ。


 ——てか何で俺たちは時間一つでこんなに揉めてるんだ……。


 そんなことさえも思ったが、俺にも譲れないものくらいある。

 不毛な時間を過ごす上に無駄なお金を払うなんてのは真っ平御免だ。


「じゃあせめて3時間にしましょう? それなら十分歌えるだろうし」

「3時間……。俺的にはもう一声欲しいな」

「ありません」

「そこを何とか」

「嫌です」

「せめて2時間」

「3時間です」

「2時間!」

「3時間!」


 俺の必死な説得にも、冬坂はなかなか応じてくれようとしない。

 気づけば俺たちは、受付カウンターの前で揉め合いを始めていた。


「2時間!」

「3時間!」

「2時間で十分だろ!」

「いいえ。3時間は歌いたいの!」


 らしくないと思いつつも、俺は冬坂のことを鋭く睨みつけた。

 当然のごとく冬坂も俺のことを鋭く睨み返してくる。

 

 ——本当に何してんだ俺は……。


「あのー……。もし迷われているようでしたらこちらなどはいかがでしょうか?」


 すると俺たちの言い合いを仲裁するかのように、店員が新たな料金プランの書かれた紙を提示した。

 その紙を見てみると、何やら全体的にピンクっぽい色で溢れているのがわかる。


「今期間限定でカップルのお客様にはこちらのプランもご案内しておりまして……」

「3時間で1000円!? しかもドリンクバー付きって……。六月くんこれにしましょうよこれに!」

「いや待て……。そもそも俺たちカップルじゃ——」


 俺がカップルだということを否定しようとしたその時。

 突然俺の左腕に、冬坂は身体を密着させて来た。

 これにはさすがの俺も、心の焦りを隠せない。


「なっ……おい……! 急にどうした……!」

「いいから。あなたはじっとしてて」


 そんな俺の耳元で、小声でそう呟く冬坂。


 ——近い。凄く近い。


 腕越しに伝わってくる彼女の体温。そしてほのかに香る女性のいい匂い。

 おまけに柔らかい何かが当たっているような感覚も……。


 色々事が渋滞しているせいか、俺自身も何が起こっているかよくわからない。

 わからないが、女の子という未知の生物に触れてしまっているというのは確かだ。


 ——ここは心を落ち着けて冷静に。


 俺は心の中で呪文のようにそれを唱え続けた。


「すみません。このプランでお願いできますか?」

「かしこまりました。それではカップル限定ドリンクバー付き3時間1000円のプランで部屋をご用意させていただきます」

「お願いします」

「お、おい……」


 すると店員は、受付に置いてあるパソコンに何かを入力し始めた。

 未だ俺の腕に引っ付いている冬坂は、満足そうな笑みを浮かべているし、これは俺たちがカップルということで話が通ってしまったらしい。


 ——証拠にキスしてくださいとか言われたらどうすんだよ!


 俺の頭の中ではそんな飛躍しすぎた妄想さえも浮かび上がってくる。


 普通に考えれば絶対にありえない。

 しかし今の俺の精神状態では、それがありえないことなのか、はたまた可能性があることなのか、その区別すらもまともにできやしなかった。

 

「お待たせいたしました」


 入力を終えた店員が、伝票のようなものを俺たちに差し出してきた。

 もしこのまま何もなければ、1000円で3時間というお互いの理にかなったプランでカラオケをすることができるわけなのだが……。

 もし証拠を要求されれば、俺たちは揃って頭を下げるしか道はない。


 ——何もありませんように。何もありませんように。何もありませんように……。


 平穏を心で願う俺に、店員がかけた言葉は——。


「それでは2階の205号室になります。ごゆっくりどうぞ」


 その言葉を聞いた俺は、心の底から安堵した。

 背中に走っていた緊張が嘘のように解け、肩も少し軽くなったような気がする。

 でも相変わらず俺の左腕にだけは、柔らかくてぬくい不思議な感覚が——。


「お、おい……。もういいだろ……」

「ダメよ。店員さんが見てる」

「いやいや……。逆に怪しまれるだろこれ」

「いいから。もう少し我慢して」


 そうして俺たちは腕を組んだまま、中央の階段を登っていく。

 この状況を側から見たら、重い愛をぶつけ合っている痛いカップルにしか見えないと思う。

 後ろからはどことなく冷たい視線を向けられているような感覚があるし、この状況を平然と受け止めている冬坂が、終始不思議で仕方なかった。


 とはいえ。不本意な形ではあるが、かねて俺たちはお互い納得のいく料金プランで、カラオケに入ることができた。

 俺と冬坂のやる気の違いが少し気になりはするが、それでも終わりが確約されている今の状況は、フリータイムよりかは少しマシな気もしないことはない。


 でも俺は歌わない。

 たかが昨日知り合った同じクラスの女の子にだって、自分が音痴だってことは知られたくないから。

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