第4話 兄妹

「いただきます」「いただきます」


 テーブルに夕食を並べ終えた俺は、席について両手を合わせた。

 すぐさま箸を手に取って食べ始めようとしたのだが、思いのほか食欲が湧いてこない。

 というのも、今俺の頭の中では、今日あった様々な出来事が渋滞騒ぎを起こしてしまっているのだ。


 あの後——。


 冬坂白羽を乗せた電車を見送った俺は、数分後に来た下りの電車に乗って家へと帰宅した。

 幸いその電車にも、うちの学校の生徒が乗ってくることはなく、俺は誰の視線にも晒されることのないまま、平和に下校することができたわけだが——。


 そんな平和の中でも、俺の中での急上昇は駅での出来事ただ一つ。

 どうして今まで一度も会話したことのなかった彼女が、突然俺に話しかけて来たのか。

 どうして彼女は俺をデートに誘ってきたのか。


 そして——。


 どうして自分が嫌われていることを俺に告白したのか。

 下校途中も家に帰ってからもしばらく考えていた俺だったが、彼女の胸のうちは一向に見えては来なかった。


 しかしもう約束はしてしまった。

 明日の午後1時に、俺は彼女に会いに行かなければならない。まだ少ししか話したことのない女の子にだ。

 そのことを考えるだけで気が滅入りそうになる。

 おかげで食事も全然喉を通って行かない。


 ——どんな服で行ったらいいのだろう。


 終いにはそんなリア充みたいなことすらも考えてしまう。

 どうしたらいいのかわからないが、俺には相談できる友達がいない。

 自分で考えて、自分でなんとか乗り切るしかないのだ。

 

「冷めるけど」

「……あ、ああ」


 箸を手にしたまま固まっていた俺は、その声でふと現実に戻された。


 声をかけて来たのは、俺の実の妹である。

 名前は六月夏帆むつきかほ。俺よりも2つ年下の中学3年生だ。

 父の都合で俺が高校生になった時から、夏帆とは2人暮らしをしているのだが、お互いの性格もあってか、普段ほとんど話す機会がない。


 ましてや夏帆は、間違いなく俺のことを嫌っている。

 それを決定づける理由としてあげられるのが、以前俺が夏帆の大事にしているぬいぐるみを洗濯した時のことだ。

 俺の中では善意のつもりでやったことだが、夏帆がそれを知った瞬間、「私の私物、兄貴のと一緒に洗わないでくれる?」と冷たい目で俺に一言呟いたのを覚えている。


 普通実の兄に向かってそんなこと言うか? とも思ったが、よくよく考えてみれば夏帆もいい年頃の女の子。

 自分の私物を兄の私物と一緒に洗濯されるのは、当然我慢できない部分があるのだろう。


 とはいえ、俺たち兄妹は1年以上この生活を続けている。

 去年までは2人で家事を分担していたのだが、今年は夏帆が受験生になったということで、ほとんどのことは俺がこなすようにしている。


 嫌われているとはいえど、俺にとってはたった1人の妹だ。

 兄としてできることはしてあげたいと思っている。

 せめて志願した高校に入れるまでは、夏帆の分も俺がなんとか頑張るしかない。


「これ、何」

「ああ。それは里芋とイカの煮付け。甘めに味付けしたから多分食べやすいと思う」

「ふーん」


 俺がそう教えてあげると、夏帆は里芋を器用に箸で摘み、そのまま口へと運んだ。


「どう」

「普通」

「あ、そうですか……」


 そう言いつつも夏帆は、再び煮付けが盛られている皿に手を伸ばし、今度はイカの方を箸で摘んだ。

 咀嚼していた里芋をゴクリと飲み込むと、つかさずそのイカを一口で口の中に放り込む。


「生臭くないか?」

「別に、普通」

「んん……」


 俺が感想を求めても、夏帆から帰ってくるのは、線一つない真顔と「普通」という一言のみ。

 別に美味しいと言ってもらいたいわけでもないが、もう少し何か味への感想があれば作り手側としても助かる部分がある。

 そのくせ皿に盛られた料理は、いつも残さず食べてくれるので、嫌いではないとは思うのだが……。


「なあ夏帆。もっとこう味の感想とかないの」

「別に、普通」

「いやあの……もっとこうして欲しいとかさ。例えば味を濃くしろとか。色々あるだろ?」

「だから普通って言ってんじゃん。さっきっからうるさい」

「あ、はい」


 やはり俺は妹にも嫌われているようだ。

 こうして俺から話しかけても、まともな返事をくれたことがない。

 学校の奴らもそうだが、もしかして俺は人に嫌われることに長けている人間なのだろうか。

 だとしたら俺をこんな星の下に置いた神様には、一言文句を言ってやりたいところだ。

 

「はぁ……。あ、そういや」


 ため息をついた俺は、一つ重大なことを思い出した。

 なぜ一瞬でも忘れていたのか不思議なほどの重大なことだ。


 俺は明日、冬坂白羽と出かけるわけだが、まだそのことを夏帆に報告していなかった。

 いつも休日は決まって家にいることが多いので、こうして出かける時は夏帆に一声かけるようにしているのだが、今回は何と伝えればいいのだろう。


 女の子とデートするとは言えないし、かと言って1人で出かけるとも言えない。

 だからと言って、何も知らせず1人にするわけにもいかないし……。


「んんー……」


 などと色々考えてみたが、やはり普通に報告するのが無難だろう。

 どうせ夏帆は俺のことになんて興味がないだろうし、適当に一言「出かける」と言えば済む話だ。

 いつもの流れなら、その後のことを追及されたりはしないだろう。

 そう心に決めた俺は、咀嚼していた里芋の煮付けをゴクリと勢いよく飲み込んだ。


「なあ夏帆」

「何」

「言い忘れてたけど、俺明日出かけるから」


 俺は極めて平然とした口調で、夏帆にそう伝えた。

 どうせいつものように「そ」とか「ん」みたいな、お得意の1文字返事が返ってくると思っていのだが……。

 

 ——ん?


 俺が出かけると伝えた瞬間、箸を動かしていた夏帆の手がピタッと止まった。

 もう少しで口に到達していたであろうご飯はポロリと箸から転げ落ち、俯いている様子の夏帆はピクリとも動こうとしない。

 一体何が起こっているのか、正直俺には理解できなかった。


「…………」

「何。どしたの、お前」

「……兄貴さ、今何て言った」

「は? だから、明日出かけるって」

「誰と」

「——誰と!?」


 思ってもいなかった返答に、俺は思わず強めにリピートした。

 まさかここへきて「誰と」とか聞いてくるだなんて、変化球すぎて対応が追いつかない。

 そもそも今までは、俺が出かけることに対して興味のカケラもなかったくせに、なぜ今日に限ってこんなにも食いついてくるんだ。


 ——どうせ嫌いなんだからほっといてくれよ!


 そんなことさえも思ってしまった。


「早く答えてよ」

「いやー……。別に誰とってわけじゃないんだけどな?」

「何。それじゃ兄貴は1人で出かけるわけ? 寂しすぎでしょ」

「いやー……。別に1人ってわけでもないんだけどな?」

「じゃあ何。さっさと答えて」

「いやー……」


 なぜか今日の夏帆はかなりグイグイくる。

 いつもは1往復、多くて2往復くらいで終わってしまう会話も、気づけば5往復以上はしている。

 こんなの今世紀始まって初のビックイベントなのだが、今はそれを喜んでいる場合ではない。

 これだけ夏帆と話すことも久しぶりなので、どう会話していいのかわからないし、夏帆の追求に対する言い逃れが全く思いつかない。


 ——さて、どうしたものか……。


「早く」

「それはですね……」


 正直答えたくはない。

 しかしこれ以上返事を焦らすようなことをすれば、夏帆の機嫌も最悪まで落ちこむことになるだろう。

 そうなっては元も子もないので、今思いつく最善の言い逃れをするしかない。


「友達と約束したんだ」


 追い詰められた俺は、仕方なく一番言いたくなかった嘘をついた。

 嫌われている当の本人が自らこんなことを言うなんて、気持ち悪い以外の何者でもないが、状況が状況なので今は我慢するしかない。


「ふーん。あっそ」


 夏帆の返事に全身の力が抜ける。

 この後も何か聞かれるんじゃないかと気張っていた俺の緊張を返して欲しい。


「あっそってお前……。これだけ聞いといて他に言うことないのかよ」

「別に。興味ないし」

「興味なかったら最初っから聞くなし」

「うっさいな。本当に兄貴はキモいしうざい」

「はいはい。そうですか」


 酷い言われようだ。

 少し俺が食い気味に発言するだけで、すぐに悪口を言われる。

 これじゃ俺が夏帆に嫌われていることも確定したも同然だ。


 別に好かれようとは思っていないが、女の子なのだからもう少しおしとやかな口調になって欲しいとは思う。

 でないと俺みたいに学校で嫌われてしまうかもしれない。友達をなくしてしまうかもしれない。

 そんな心配が俺の中には少なからずあるのだ。

 

「ごちそうさま」


 そう一言呟くと、夏帆は席を立ち部屋を立ち去ろうとする。


「夏帆、風呂は?」

「別に兄貴には関係ないでしょ」


 俺に背を向けたままそう吐き捨てたは、勢いよくドアを開け、そのまま二階へと上がっていった。


「はぁ……。関係ない……か……」


 関係ない——。


 夏帆が吐いたその言葉に、俺は寂しささえも感じていた。

 実の妹にさえも拒絶され、気づけば俺の周りにはもう誰も残っていない。

 残っているものといえば、過去の自分が生み出した罪悪感と、へばり付くように俺を包む孤独感のみ。


 ——このまま俺は消えてしまうんじゃないか。


 そんな現実じゃありえない空想が、今の俺にとっては可能性のあることのように思えていた。


「ごちそうさま……。それじゃ、片付けっかぁ」


 俺は再び手を合わせて、席を立つ。

 夏帆の食器の方にふと目を向けると、今日もまた一つも残らずキレイに完食されていた。

 

「全く……あいつは」


 あまり美味しそうに食べてくれない夏帆だが、俺が作った料理を残したことは今まで一度たりともない。

 とても小さなことなのだが、今の俺にとってそんなことだけが唯一の喜びだった。


 自然と小さな笑みが漏れる——。


 俺は夏帆の茶碗を重ねて、流し台へと運ぶ。

 おそらくあいつは今、自分の部屋で勉強を頑張っているのだろう。

 どうせなら希望通りの高校に入学して欲しいし、思い描いたような楽しい高校生活を送って欲しい。

 間違っても俺のような学校の嫌われ者にだけは絶対になって欲しくない。


 そのためにも、今俺にできる最大限のことを夏帆にはしてやりたい。

 求められていないことはわかっている。でも俺は何かしてやりたいんだ。

 それが俺に残された最後の可能性だと思うから。

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