第2生徒 「ほぼ困惑中です。」

「・・・-ん、・・・-さん」


暗闇の中に幼い声が響く。


「・・・-ぃさん、・・・-いさん」


その声ははっきりとわかるぐらい、次第に大きくなっていく。


「・・・-兄さん、兄さん!」


暗闇がぼやけ、明るい光が射し込んでくる。


「起きてってば!兄さん!」


「はっ!」


としたように俺は目を開ける。

そして上半身を起こし、すぐさまあたりを見渡した。

書籍が詰まった本棚。

整頓された学習机。

カーテンの隙間からこぼれる朝陽。

この風景全ては見馴れている。

どうやらここは俺の部屋らしい。


「やっと起きた!」


そこにはまだ幼さが残る少女がいた。


「ん〜〜、あれ、俺確か扉に吸い込まれて・・・」


よくみると俺はベッドの上にいる。


「夢、だったのか・・・?」


「なに言ってるの兄さん!こっちは急に大声出されてびっくりしたんだからね!」


陽縁ひよりは涙をこらえ、少し顔を赤らめていた。

神領陽縁じんりょうひより

現在中学に通う、俺の妹。

両親が仕事の都合で家を開けることが多く、その際の家事全般を請け負ってくれている。

また、自分が両親不在時の母親代行だと考えているらしく、その責任感から俺のことをよく気にかけてくれる。

体格は中学生にしては少し小柄華奢きゃしゃであり、見た目は小さな顔に紅茶色のショートヘアー、パッチリとした瞳が印象的な女の子だ。

我が妹ながら結構可愛いと思う。

いや、シスコンじゃないよ。


「あー、ごめん陽縁!心配かけて悪かったよ!」


涙をこらえる陽縁を泣かせまいとすぐに手を合わせて謝罪した。


「本当にびっくりしたんだよ!私、兄さんが悪霊か何かに取り憑かれちゃったんだと思ったんだからね!」


「ごめん、ほんとごめん、もう寝てる時に大声出さないから」


「ほんとに?約束だよ?」


「ああ、約束する。」


そして俺はベッドから立ち上がって陽縁の頭を優しく撫でた。

すると陽縁は嬉しそうに微笑み、その顔は少し落ち着きを取り戻していた。

ところが不意に目線を下に下げた陽縁の顔が体温を上げたかのように急に赤く染まった。


「ねぇ・・・兄さん」


陽縁が恥じらった声で尋ねる。


「ん?なんだ?」


「その・・・いつもその格好で寝てるの・・・?」


俺の身なりは上半身にTシャツ一枚と下半身にボクサーパンツ一丁という格好だった。

そしてボクサーパンツは強度の低そうなテントを張っている。


「あ、あはははは、これは何というか、そのー・・・」


「にぃ・・・兄さんの・・・兄さんのエッチ!スケベ!変態!女たらし!」


最後のやつは関係ないよね、妹よ。

陽縁は取り乱した後、すぐに部屋から出て行った。


「早く着替えて朝ごはん食べてよね。あ!あと今日はなんだから遅刻しちゃダメだからね!絶対に!」


陽縁はドア越しにそう伝え終えると1階へ降りていった。


「え?さっきなんて?って言ったよな?」


先程さきほど陽縁が言い放った入学という単語に俺は疑問の念をいだいた。


「ハハッ、何言ってんだよ陽縁のやつは。」


俺は、陽縁がただ気が動転した故に言い間違えただけだと考えた。


「とりあえず、着替えるか。えーっと俺の学生服はと・・・あれ?」


ふと見たことのない学生服が目に入る。

なんだこの制服?見た感じだと男子用だな・・・。

いつもなら、そこには翔博高校の学生服が掛けてあるはずだった。

しかし、今掛かっているのは知らない制服。


「ていうか俺の制服はどこに...」


10分ほど部屋のいたるところを探し回ったが結局、翔博高校の制服は見つからなかった。

不思議に思った俺は、すぐさま知らない制服と一緒に2階からリビングまで駆け降りた。

そして、陽縁に制服の在り処を尋ねてみる。


「え?制服?それなら今兄さんが手に持ってるじゃない」


「いや、これはまったく知らない高校の制服なんだよ。俺が探してるのは翔博高の制服だよ」


「ショウハク?それどこの高校?」


ヒヨリは首を傾げた。


「え?何言ってるのヒヨリさん。翔博だよ!

俺の通っている高校!」


「兄さんは何を言っているの?」


俺はお前が何を言ってるのか分からない。


「いや、冗談とかやめてくれ。これ真剣な話だから」


「私も真剣だよ」


陽縁の表情はいたって真面目だ。


「なぁ、ほんとに忘れたのか?翔博高校を」


俺は再び尋ねる。


「んー、翔博・・・翔博・・・翔博・・・」


陽縁は自身の記憶を辿たどっているようだ。


「あ!思い出した!今年共学化した、あの元男子校だよね!」


「そう、それだ!やっと思い出してくれたか」


ていうか普通忘れるか?兄貴の通ってる高校を。

俺は妹の記憶力の衰えを心配したが、とりあえず安堵あんどした。


「ところで、なんで翔博高の学生服探してるの?兄さんの友達がウチに忘れたの?」


うん、全然心配だわこの子。


「いや、何言ってるんだよ。俺の制服に決まってるだろ!」


俺は少し口調を強めた。


「ねぇ、兄さんさっきからなんかおかしいよ?どうしちゃったの?」


この子はブーメラン発言という言葉を知っているのだろうか。

しかしヒヨリとは、なんとなく話が噛み合っていないような気がする。


「あ!兄さんが変なこと言ってるからもうこんな時間になっちゃったよ!」


時計の長針と短針は8の上で重なり合っていた。


「私もう行くから早くその制服に着替えて学校行ってよね!」


陽縁は玄関まで急いだ。

かと思うと急に玄関付近で立ち止まり、こちらを振り返った。


「兄さん、に変な印象与えちゃダメだよ。中学の頃とは違って、ほとんどが女の子なんだからね」


俺にそう言うと愛くるしい声で行ってきますを済まし、中学へと向かった。


「は?」


本当に何言ってるんだあいつ。

俺はますます妹の発言の理解に苦しんだ。

しかし、普段から陽縁は俺に対して冗談などを言わない素直で純粋な妹であった。

それ故に俺は今の状況に少しずつ違和感を抱き始めていた。


「入学初日...」


その口から溢れた言葉とともに俺は知らない学生服と見つめ合う。

ほんとにどこの学生服だ?

何か手がかりになるものは・・・。


「ん?」


学生服をいじっていると脇腹のポケットから何かが落ちた。


「何だこれ?」


そして拾い上げる。


「えーっと、愛才あいさい学園・・・生徒手帳・・・え、愛才学園!?」


そのというワードに俺の大脳皮質が反応する。

私立愛才学園。

今年から共学化され、男子生徒の受け入れを始めた元女子校である。

建立89年目、「遮二無二しゃにむに励め」を学園観念とし、代々その観念と校風を厳守し続け、また、伝え続けてきた。

しかしながら、男子生徒の急増による校風諸々もろもろの乱れを危惧した学園側が、男子入学生の数を3名に制限した。

その結果、翔博高校とは真逆の「女子校」となったのである。

確かに愛才の生徒手帳だ!ていうことは、れ愛才の制服か!しかも男子生徒の!

正直驚愕したが、それよりも俺は男子生徒たった3名のうちの1人がどんなやつなのか気になり始めていた。

ちょっと見るぐらい・・・いいよな・・・?

好奇心を宿した指先で手に取った学生手帳の表紙をめくる。

住所・・・氏名・・・年齢・・・生年月日・・・電話番号・・・そんでもってこの顔・・・。

お便り募集の決まり文句みたいなことを心の中で呟き、学生手帳を閉じる。

いや、んなわけ・・・。

首を横に振りながら、そんなはずはないと自分に言い聞かせた。

そして、再度生徒情報欄せいとじょうほうらんを確認する。


「え・・・嘘だろ」


今度は自分の目を疑わなかった。

そう、生徒情報欄に掲載されていた人物は


「俺じゃねぇーか!」









「ハァ・・・ハァ・・・」


街中の整備された歩道を精一杯走る。


「ハァ・・・フゥ・・・ハァ・・・」


なんなんだよ、一体どうなってんだ!どうして俺が愛才の生徒に!どうしてなんだよ!もしかして、扉に吸い込まれた夢と関係してるのか!?

俺は酸欠からなる息切れ状態の中でこの現実を受け止めきれずにいた。


「ファ・・・ハァ・・・ハァ・・・意味わかんねぇよ・・・」


しかしながら、俺が現在愛才学園の生徒だということは確かな事実だ。

俺の家に翔博の存在は無く、代わりに愛才が存在していた。

それに、なによりも今所持している愛才学園の生徒手帳がその真実を物語っている!

それ故に俺は、一旦愛才学園へ向かうことを決意した。


「ハァ・・・ハァ・・・この道で合ってるのか?」


俺は何度も来た道を行き来していた。

別に道に迷ったわけじゃないよ、全然。


「よし、確かに合ってる。この道だ!」


スマートフォンの液晶に映し出された地図を頼りに、俺はまた走り出した。


「ゲッ!マジかよ、完全に遅刻どころか入学式終わっちまうじゃねーか!」


俺は目的地へと更に足を急がせる。

スマートフォンは「10:03」を表示していた。

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