第2話

 北高と城北高の団体戦決勝は互いに二勝二敗のまま譲らず、決着は最後の大将戦に持ち込まれた。

 北高の大将は鬼山、城北は瀬川だ。名前が呼ばれ、二人が試合場に上がった。主審に礼をして、互いに礼をした後、試合が始まった。

 鬼山は「おりゃー」と空気を震わせ、体育館の窓ガラスにひびでも入れそうなほどの凄まじい気合いを発した。歩幅を前後に軽く開き、両掌を顔の高さで前に突き出した前羽の構えである。

 対する瀬川は両拳で顔面をカバーした組手立ちで構えた。フットワークを使い、前後左右に動き始めた。

 しかし、瀬川のフットワークは鬼山を翻弄するというより、鬼山の攻撃から逃げるためのように見えた。鬼山が間合いを詰めるたびに瀬川は後ろに下がり、明らかに逃げていた。何度かそれが繰り返され、瀬川に主審から注意が与えられた。「瀬川! 逃げるな! 男だったら勝負しろ!」観客席からやじが飛ばされた。追い討ちをかけるように、「お前、金玉ついているのか?」と罵声が飛んだ。

 瀬川は逃げるのをやめた。フットワークをやめ、じりっじりっと間合いを詰めていく。

 鬼山は積極的に攻撃を仕掛けようとはせず、氷の溶けかかった春の湖面のような静けさで瀬川を見ている。

 瀬川が一足一打の打ち合いの間合いに入り、すかさず右のローキックを出した。鬼山は数瞬速く、旋風のような右のハイキックを放った。

 瀬川は左前腕でブロックしたが、間に合わなかった。鬼山の右足甲が瀬川の左側頭部をしたたかにヒットした。瀬川は横倒しになった。

 倒れた瀬川はぴくりとも動かない。

 作之進の目には、瀬川が完全に失神しているように見えた。

 鬼山がハイキック一発で瀬川を倒した直後、会場はシーンと静まり返った。

 しばらくして、主審が鬼山の勝ちを宣告すると、どよめきが起こり、万雷の拍手が沸き起こった。

 決勝戦は三対二で北高に軍配が上がり、団体戦の優勝は北高に決まった。鬼山は監督やチームメートに肩を叩かれ、祝福され、こわい顔をほころばせ、嬉しそうににこにこ笑っている。

 そんな鬼山を作之進は、こころがくじけそうな思いで眺めていた。

 とても勝てそうな気がしなかった。去年の全国大会県予選で対戦したときは、スピードに劣る鬼山にヒット&アウェー戦法で何とか判定勝ちしたが、あれから鬼山は身体の切れが鋭くなり、数段強くなっている。

 策略など弄さずとも十分おれに勝てそうなのに、どうして夕子のことを持ち出したりしたのか、そこが不思議だ。

 作之進は会場を見回した。

 応援席の中に夕子の姿はなかった。歩いていき、反対側の応援席を確認したが、そこにも夕子の姿はなかった。

 作之進はほんの少しだけ安堵した。しかし、まだ分からない。これから個人戦が始まるのだ。

 作之進はスポーツバッグからケータイを取り出し、夕子のケータイにかけた。圏外だ。電源を切っているのだろう。夕子が模擬試験会場にいるのなら、当然考えられる措置だ。やはり中村が言ったように、おれを動揺させるための鬼山のはったりかもしれない。

 作之進は暗闇に一筋の光を見た思いがした。スポーツバッグからビニール袋に入れたナイキのテニスシューズを取り出した。テニスシューズを持ち、軽く走ってくると隣の中村に言い残し、玄関に向かった。

 人で溢れる玄関から白い光の溢れる体育館の外に出、コンクリートの上をゆっくり走り始めた。

 上を見上げると、五月晴れの空は雲ひとつなく晴れ渡り、微かにユリの花の匂いがする。満車になった広大な駐車場を突っ切り、車が矢のように行き交う国道を信号無視して渡り、木々の生い茂る市立公園の中に入った。公園の中を一周する三キロほどの舗装路を、スピードを少しずつ上げながら走り始めた。

 子供連れの夫婦や若いアベック、ローラーボードに乗った中学生などを避けながら、マイペースで走り続ける。サッカー練習をしている小学生に「いよっ! 空手チャンピオン」と冷やかされたが、意に介さない。

 脂汗が出、息が切れた。息が切れても、我慢して走り続けているうちに息は元に戻っていった。脂汗の後、水のような汗が大量に噴き出した。汗とともに心中に糊のようにこびりついたもやもやが次第に消えていく。

 汗が十分出尽くしたところで走るのをやめ、舗装路から芝生の中に入った。息吹きの呼吸を三回行ってから、股割りを主とした柔軟体操を始めた。身体の筋を伸ばし、たわめ、時間をかけて念入りに行う。

 柔軟体操の後は、拳立て伏せを百回行い、空突き、空蹴りを繰り返した。組手立ちで構えた自分の正面に鬼山の巨体をイメージし、そのイメージに突き、蹴りを繰り出す。上段突き、中段突き、連続突き、前蹴り、回し蹴り、三日月蹴り、後ろ回し蹴りを納得が行くまで何度も行った。

 練習しているうちに自分のこころが、澄んだ鏡面の状態に近づいていくのを感じていた。

 練習を終えたとき、前方の松の木々の間から一陣の涼風が吹いてきて、熱くほてった身体を撫ぜ、背後へ抜けていった。作之進の中で鬼山の空手に対する恐怖心がとれ、夕子に対するこだわりも消えていた。

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