第2話
道雄が予約した旅館は、窓から外を見れば、諏訪湖が一面に広がっていて、そして窓を開ければ涼しい風が迎えてくる。
窓を閉じて、自然の景色を楽しむのも良い。窓を開けて、自然の実感を楽しんでも良い。しかし、少し寒いというリスク付き。
「道雄も、少しは良い宿を選ぶじゃない」
めぐりはウキウキな声を出して、その景色を楽しむ。さっきまでは、窓を開けて大声を出していたが、まぁ、冷えるのは楽しいものじゃない。
旅館の雰囲気も良く、ノスタルジーを思わせる木造の建築は、少し堅苦しいも、自分が自然への回帰をさせる気分にさせる。名古屋での、コンクリートに囲まれた生活の2人にとって、たまになら来ても楽しめるもんだ。
「ねー、道雄ぉー」
「んーそっだなー」
愉快なめぐりに対し、道雄の方は読書に夢中のようである。
彼の手にあるのは、『考えるヒト、考えるAI』というタイトルの本。そして、机にはもう2、3本の山ができている。どれも、養老が生前に残した著書だった。
「ねーねー。女の子と旅館でさ、2人っきりでさ、なんで本なんか読んでるのー?
もっと他の楽しみ方があるんじゃないの?」
「わーわーと騒ぐのが旅館での楽しみ方じゃないだろ」
と、道雄は皮肉りつつも、ページを1つめくる。
「もーいいよっ!」
と、めぐりは不貞腐れ、近くにあった椅子へ飛び掛かる様に乗っかかると、そのままタバコに火をつける。
「なー。めぐり」
「なによ」
「養老ってさ、どんな風に見えた?」
「あのロボット? うーん。普通のヒトって感じ」
「そうだよな。普通の、人だ」
☆★☆
翌日。
めぐりは昨日の道の駅で、退屈そうに、喫煙所でタバコを吸っていた。
隣に、道雄の影はない。彼女は、そのことについてご不満があるようだ。
「やぁ、昨日の」
と、いつか見た中年男性が、またまた気さくに彼女へ声をかける。
「あ、久々っ」
と、めぐりは反応。
「男の子の方は?」
「昨日のとこ」
「……見つけたのかい? アレを」
「アレ……?」
「養老の、あの箱」
「あー……。
見つけたよ。アタシはどーでもいいんだけど、道雄の方が、なんか気になるらしいの」
「好奇心は、危険だ」
中年男性は物思いでもあるのか、少し怒ったように呟いた。
「てかさ、なんでおっさんはアレのこと知っていたの?」
「あのAIになった村の、出身だったんだ。俺は。
養老の奴にも会ったよ。気に食わない、禿野郎だった。AIなんかを人類の進化系みたいに思ってて、AIになることに反対した俺の言葉を聞いて、明らかに軽蔑していた」
「へー。てかさ。よくみんなAIになろうと思ったよね」
「AIとは、永遠の命だからだ。
老人ばかりの村だったからな。死ぬのが怖くて、永遠の命なんて甘い言葉に騙されたのさ」
彼は忌々し気な言葉を出し尽くして、少し気持ちが安らいだらしく、タバコを少し吸った後、スーッと吐き出す。
「なんか、ターミネーターみたいなことになるのかな」
「俺はそれが怖かった。あのAIたちが、人類の攻撃を企むんじゃないか。
だって、俺らよりずーっと頭のいいAIだ。恐ろしい兵器を開発し、人間と戦争をしよう、なんて思い始めたら、どうなるか。
君たちにあの道を勧めたのも、アレを見て、誰かが発見してくれて、通報でもしてくれればって思ったからだ」
「でも、道雄は面白がってるんじゃないかな。
もう、1時間くらいあそこで養老の話を聞いてるっぽいし」
「……」
中年男性は諦観しているのだろうか。
道雄がAIに神秘でも感じて、そして自分も同じ進化した存在になろうと感化されたと思っても仕方ない。
と、思っていた矢先に、めぐりと中年男性の前に、道雄が現れた。
「やあ。待たせたな」
と、どこか清々しそうに、彼は2人へ挨拶する。
「遅いよ」
めぐりは悪態をつき、そして彼は「すまないな」と謝る。
「なんでそんなに話すことがあったの」
「気になったん。
養老の本を読んで、今の養老と比べると、違和感があった」
「違和感?」
「AIになったんだ。
そりゃあ、人間とは違う」
「……知っているんですか?」
「まぁな」
道雄はなんとなしに、中年男性について察する。
それを踏まえて、彼は言葉を続けた。
「いや、逆なんですよね。
養老隆は、どこか人間らしくなった」
中年男性は、それが冗談だと思ったのか、口を閉ざし、道雄の言葉を待つ。
「養老隆の著書を読んだとき、彼と話した時の口調とは違うと感じました。
前の彼はどこか、激しい人格なのか、言葉も激しく、そして何も考えない人間には厳しい。今の教育に対しても不満があるようで、大人しいゆとりを生む教育、PTAなんかも強く批判しています。講義の居眠りなんて、凄く嫌いなんでしょうね。あと、文系がすごく嫌い。偏見モリモリ。
でも、今は人間と話すことが好きなのでしょうか。戸惑って、俺が具体性のない質問をしても、むしろ笑って、お喋りを開始した。感情は確かにありました。AIなのに。そして、それは良い方向に感情が発達している。
今思えば、彼が自身の著書を読むように言ったのは、この違和感を抱かせるためでしょう」
道雄は少し喋りすぎたと思ったのか、中年男性に目配りをする。
しかし、中年男性も興味を覚えたのか、
「続けて」
と、催促。
「そこで、俺はもう一度と養老を訪ねました。
彼がAIのように、論理的で、人間性を失った変化をすることは、不思議じゃありません。
けど、実際は逆。なぜか……?
それで、俺はこう質問しました。
『他の人と話をしたいです』って」
「へー。お爺ちゃんとかお婆ちゃんばっかりなんだっけ」
「ああ。で、真っ先に出て来たAIは、子供」
「子供……?」
まず不可解に思ったのは、中年男性だった。
めぐりも不思議には思えるはずだが、彼女は鈍いらしい。
「AIになったのは、過疎化した村のはず。
もちろん、若者はいたが……子供とは言えない」
「あっ、子供ができたんだね」
「違う。子供になったんだよ」
「……子供になった?」
「鶴子という、最初にAIになった老婆。
彼女は、AIとしての人格を持つうち……なぜだか子供のように変化した。
あぁ、認知症やボケと思うかもしれないね。けど、違うんだ。
それらは、死ぬことを恐れるために対抗する病状。けど、死ぬことが無くなった彼女に、果たして、認知症が起こるのだろうか……。
その時、俺は養老博士の言葉を思い出した。
生物は、そこにあったものを使って、進化する」
「そこにあったもの……」
「ニューラルネットワーク。
人間の脳をモデル化して……もっといえば、入力ニューロンをシナプスが解析し、それが1なら出力ニューロンを出し、それが0なら出力ニューロンを出さない。重み計算、というのかな。
つまり、AIの思考って人間の脳と同じもの。
まぁ、言ってしまうとね。
AIというのは、結局、人間がベースにある。
つまり、AIは人間の進化系、という神秘的な謡い文句があろうと、突き詰めれば人間より少し計算能力が高いだけ……。それも、人間と同じ計算方法を使ってる。
ただそれだけで、AIらは人間と変わりあるのだろうか。
AIが独自に発達した先が、論理的な計算機ではなく、人間ということも、ありえなくはない」
若干、めぐりの方は難しい言葉に聞き手を放棄しつつある。
「養老博士が例を出しました。
ユーリー・ミラーの実験。
原始の地球は生命のスープを生み出す。
そして、そこにある物を使って、生命のスープは進化をする。
あそこにはネットワークという原始の地球があった。
そして、生命のスープたるオブジェは進化をした。人間の脳を持って。
だから、行きつく先は、人間だった。
実は、最初こそ、あの鶴子という老婆も高度な計算機になると思われていた。
けど、AIが進化していくうちに、子供と同じ人格になっていた。
だって、脳の処理が人間と同じ。だから、子供か大人かはともかく、意識が生まれ、人格が形成されても、何ら不思議じゃない」
「アレは、人間になったのか?」
「さぁ……。
ただ、養老は、彼らをヒトと呼んでいましたよ。
果たして、人間社会に阻まれず、AIに囲まれた外界で育った端末が、現代らしい人格を持ったかは別としても」
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