第5話


 十八歳になって法的な成人の年齢に達したとき、僕はだだっ広い家を売り払い、近所にある一回り小さな家に引っ越した。

 あんな男の匂いが染み付いた家など、さっさと手放したかったのだ。

 この年齢で、しかもただの勤労学生が家を購入するのはやはり珍しいことで、不動産の仲介人は何となくやりにくそうだった。

 購入したのは、庭に葡萄を絡ませたパーゴラがある明るい南向きの家で、メラニーも転校せずに今の学校へ通い続けることができる。

 メラニーがどこに何を置くかはしゃいで話しかけてくる横で、僕は購入契約書にサインした。


 引っ越しして、やっと片づけも終わって居心地良くなった家に僕が帰ると、メラニーが「お帰り」という。

 僕とメラニーの部屋には、二人でまた星座の蓄光シールを張った。

 僕の部屋には秋と冬の星座、メラニーの部屋には春と夏の星座。

 たまにインスタントやレトルトも混じっているが、メラニーの料理の腕も上がってきている。

 ああだこうだといいながら、感謝祭やクリスマスを祝い、二月にはいつもの顔ぶれを呼んでメラニーのバースデーパーティをする。

「お誕生会ってやつ、いっぺんやってみたかったんだよ」

 皆が帰ったあと、二人でリビングを片付けながらメラニーが満足そうに言った。

「また来年もみんなを呼んでパーティすればいいよ」

「もういい」

 メラニーは照れ臭そうに笑い、小さな脚立に上って天井の派手なフラッグガーラントを外した。

「だいたい、この歳になってお誕生会ってちょっと恥ずかしいだろ?」

「何歳になってもお誕生会はいいものだよ」

 ガーラントを畳んで箱に入れ、僕はメラニーに訊ねた。

「メラニー、幸せ?」

「うん。グレ兄は?」

 僕はメラニーのうなじから背中、腰に続くラインを心から美しいと思いながら言った。

「僕も幸せだよ」


 他人と接するととても疲れるものだ。たとえそれが幾度となく会ってきた、メラニーの友人であっても。

 僕は、片付けが終わったリビングで、ついうたた寝をしてしまった。

 だいたい三十分くらい眠っていたのだろうか。

 身体を揺すられて目が覚めた。

 シャワーを浴びてきたらしく、長くなった黒鳶色の髪から滴を垂らしたメラニーが、間近に僕の顔を覗き込んでいる。

 メラニーは生まれてこの方、散々な目に遭ってきたというのに、どうしてこんなに澄んだ瞳をしてるんだろう。

「グレ兄、ベッドで寝ろよ。ソファじゃ窮屈だろ」

 僕は手を伸ばして、すぐ目の前のそばかすの散る頬を撫でた。

「メラニーは大きくなったねえ。この間まで痩せた猿みたいだったのに」

「ひでえな」

「髪も伸びて、随分綺麗になったよ」

「どうしたんだよグレ兄」

 僕は毛布を捲って起き上り、徐ろにメラニーを抱えた。

「メラニーはいい匂いだねえ」

 メラニーは少し驚いていた。

「何ふざけてんだよ」

「僕ねえ、ずっとずっと前からメラニーが好きだったんだよ。メラニーもだろ?」

「うん、まあ……」

 メラニーは背丈こそ伸びたが、やはり軽かった。

 そのまま僕の部屋に連れて行くとメラニーは僕の頭をばしばしと叩いた。痛くはない。

 もうドアを開け放していても、誰にも憚ることはない。

 メラニーがふざけた、しかし不安を隠せない口調で僕を咎める。

「何だよもうグレ兄。離せよ」

 僕はベッドにメラニーを下ろし、抱き締めた。


 あの男が欲しがっていたもの。

 それが今、自分の腕の中に在る。


 そっと、洗いざらされて伸びきったTシャツの裾から手を差し入れ、背中の滑らかな皮膚に触れた。

 この温もりとこの肌理、このしなやかさに触れてももう邪魔する者はいない。

 背骨の窪みに手を這わせると、ぐっとメラニーは僕の胸を両手で押した。

「グレ兄、それ、嫌だ」

「大丈夫だから」

 自分の声が不快に掠れた。

 回した腕に力を籠めると、細い身体は折れるかと思うほど後ろに撓んだ。

 逃れようとするメラニーの耳に、頬を擦りつけて言った。

「父さんより、君のお母さんよりずっとずっと可愛がる。約束する。だから……」

 ぴったりと合わせていた胸を引き、メラニーの顔をじっと見た。

 メラニーの薄い唇が小さく開き、震えていた。

「だからメラニーは、僕を置いて何処にもいかないよね?」

 映画やドラマでの見よう見まねで、その唇の隙間に舌を入れ思い切り吸う。メラニーが塞がれた口で何か呻く声の振動がじかに伝わる。

 目は覚めているのに、甘ったるい夢のようにふわふわとして、それでいて胸を圧し潰すような切なさに、体の芯が熱くなった。

 唇が離れた途端、メラニーが呟いた。

「どうして」

 どうしてって、決まっている。

「愛してるからだよ」

 涙と洟と、僕の唾液でぐしゃぐしゃの小さな顔を捕まえ、瞼を啜りもう一度キスをした。

 本当に嫌だったら、咬むはずだ。それならそれでよかった。

 だがメラニーは咬まなかった。

 ただ、嫌だやめてと、哀れっぽく泣き声を上げる。

 腕に強く爪を立てて抗う細い手もそのままに、逃げようとする腰の骨の出っ張りを掴み、身体の下に押さえつける。

 ベルトの金具の音を聞いて、メラニーはさらに顔を歪めた。

 メラニーの太腿に赤く長いひっかき傷をつけながら、両脚の奥の下着を夜着のズボンごと掴んで引き下ろし、潤いの足りない狭い部分に身を沈めるとメラニーは身も世もない悲鳴を上げた。


 鈍く光る人工の星座の下、メラニーが小さく身体を丸めて泣き続けている。

 僕はぎゅっと、小さなメラニーを抱き締める。

「僕はメラニーを一人にしないよ」

 泣かなくてもいいのに。

 ここは、僕たちの幸せの家。

 あの山羊たちが目指した、光溢れる野原。



   おしまい

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しあわせの場所 江山菰 @ladyfrankincense

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