彼と妹①

 彼は僕と龍之介と同じ中学に通っていた。


 ある年の秋までは僕らはそれほど親しく口を聞く間柄ではなかったが、何かの研究で偶然僕ら3人は同じ班になった。僕らが何を調べてどんな成績を得たのかについては正直全く覚えていないが、レポートを仕上げるために彼の家に集まった日のことはよく覚えている。


 彼は本郷通りの裏手にあるこじんまりとした作りの家に住んでいた。

 龍之介と尋ねると、「おや、いらっしゃい」とさっぱりとした雰囲気のおかみさんが出てきて僕らを彼の2階の自室に案内してくれた。彼女の初夏を思わせる明るい笑顔は彼とはちっとも似ていなくて、僕は冗談のつもりで彼にこう言った。


「君はお袋さんから微塵も遺伝子を引き継いでいないんじゃないか?いったいどこに忘れてきたんだよ」


 僕の隣で本を読みふけっていた龍之介が呆れたようなため息をついた。


「なんだよ・・・」

「べつに」


 今ではすっかり慣れててしまった龍之介のこの思わせぶりな態度もその当時の僕にはまだ馴染みが薄かった。

「なんだよ?言いたいことがあるなら」


「いや、いいんだよ」

 

 熱くなった僕の言葉を遮ったのは彼だった。穏やかな微笑みを浮かべたまま少しどもるような口調で「いや、いいんだ」ともう一度繰り返した。そして、ゆっくりと現在の彼の暮らしを語り始めた。

 

 彼には両親がおらずおじさんの家に厄介になっていること。両親がいないと言っても、母だけは死んではいないらしいこと。どうってことのないような口調で語りながら、彼は再縁したというこの母親に少年らしい情愛を持ち続けているようだった。


「妹がね、いるんだよ」


 それは再縁相手と母親との間にできた子ということなのだろうか? と、聞きたい気持ちがむくりと湧いたのだが、さっきの失態を思い出してこらえる。

 

 龍之介はそんな僕の様子を見て肩をすくめると、今度はあっさりと問いかけた。

「覚えているのか?」

「うん、ぼんやりとだけどね。小さな妹がね、手をこうしてやると」

 

 彼はそう言いながら目の前にその妹がいるように人差し指をすっとかかげた。

「いつもしっかりとその小さな手で握って嬉しそうに笑ってくれたんだ」


 秋にしては暖かな日差しが窓辺の障子から彼の部屋に差し込んでいて、その暖かな日差しの中にほのかに甘い香りがしたような気がした。幼子の誰もが持っている甘く柔らかいあの香りだった。


 龍之介も本を繰る手を止めて少し眩しそうに日差しに照らされた彼の姿を眺めていた。僕らの視線に気づいた彼は照れ臭そうに笑った。


 この日を境に僕ら3人はちょくちょくと彼のこの部屋に集まるようになった。


 甘く柔らかな幻の妹はその後も僕らの心の中でほんのりとした暖かさを保っていた。彼の本当の妹に会うまでは。

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