カルメンの恋人

 龍之介と帝劇を抜け駅まで歩いて帰ろうとしたとき、闇夜の中でも見間違えない真っ白なジャケットを着た男が歩いてきた。僕ら以外もちらほらと好奇の目で彼を見ている。なぜなら、彼自身が埋もれるくらいの大量の薔薇の花を両手で抱えながら歩いていたからだ。


「あのジャケットは間違いなくあの時の露西亜の彼だな」

「確かに見覚えのあるジャケットではあるね」

 龍之介が夜を透かすように少し目をほそめる。


 あの花束はイイナに捧げるものに違いない。僕なんかの部屋ではとても入りきらない量の花束を見て、心が浮き立ってきた。

「あんな素晴らしい贈り物を見たらイイナが喜ばないわけがない」

「邪魔じゃないか?」

 隣で龍之介が首をかしげた。全く、こいつは女心ってものをちっと理解していない。


「そういう君はわかっているのかい?」

 からかうような龍之介の口調に、ちょっとひるむが、胸を張ってこたえた。

「少なくとも君よりはマシさ」

「ふーん」

 疑わしげな龍之介のことは無視して、僕は白いジャケットの彼に大きく手を振った。

「Good luck!」

 彼がこちらを見て、誇らしげに花束を少し掲げて見せた。

 きっとイイナが舞台に復帰する日も近い。


「田代に頼んでもう1日チケットをとってももらおうじゃないか」

 龍之介は僕の隣で「そううまくいくか?」というように肩をすくめて見せると、まるで薔薇の花の香りをたどるように夜に目をやった。白いジャケットと薔薇の花は煌々とした帝劇の前の暗がりにとけるように消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る