カルメンの愛

 初日の晩。カルメンが舞台に登った晩。


 僕と龍之介は田代が用意してくれた席に座って、イイナが舞台に現れるのを楽しみにしていた、が、第一幕が上がったのを見ると、カルメンに扮したのはイイナではなかった。水色の目をした、鼻の高い、名前も覚えることができなかった女優であった。僕は龍之介と同じボックスにタキシイドの胸を並べながら落胆しないわけにはいかなかった。


「カルメンは僕らのイイナじゃないね」


 舞台がはけた後に田代を尋ねると、彼は意味ありげな微笑みを浮かべて僕たちを呼び寄せた。


「イイナは今夜は休みだそうだ。その理由がすこぶるロマンティックでね」

「何があった?」

 喋りたくてたまらないといった様子だった田代は龍之介の言葉に大きく頷いて話し始めた。


「この前、イイナには二人の恋人がいると言っただろ?昨日、とうとうその二人の間で一悶着あったらしい」

「へぇ」


 面白そうに眉を上げる龍之介の隣で僕は気が気ではなくなる。

「イイナにも何か被害があったのかい?」


 田代が首を振る。

「いいや。ただ、イイナはどちらかの男を選ぶための条件を出したらしい」

「それはまた情熱的だな」

 龍之介が感心したような声でうなずく。

「だろ?自分へのより強い愛を示した男が勝者だそうだ。そして、その勝敗が着くまでイイナは舞台に上がらないといってきたわけだ」

 最後はさすがに舞台監督らしく弱ったように首を振ってみせたが、それでも田代が自分の立場に関係なくこの話を面白がっていることがよくわかった。


「まるで情熱的な天照大神というわけか」

 龍之介も「ははは」と軽やかに笑う。


「愛の測り方なんてどうしたいいのさ。彼女を想い続けた長さはどうかな?」

 僕はなんとなく露西亜から彼女を追いかけてきたというバラ刺繍を施した白いスーツを着た男を応援したい気持ちがした。あの占いの場で一瞬といえども袖がふりあったような気分になったせいかもしれない。


「さーな」

 田代はアメリカ人さながらに両手を開いて「俺が知るか」とあっさり言う。龍之介はほんの少し考えるような仕草をしてみせてから呟いた。

「そうだな。彼女のためにどこまでできるかだろうな」

 そう言った龍之介の瞳の中でゆらりと暗い影がうごめいたように見えた。


 僕たちと、イイナと二人の恋人との間には特別な関係性は何もなく、イイナを見ることができなかったのは残念だったけれど、ちょっとした噂話程度でこの話は終わるはずだった。


 でも、そうはならなかった。

 運命の女神なのかそれともイイナなのか。

 どちらかが僕たちと彼女たちの運命を少しだけ撚り合せた。

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