カルメンの占い

先ほどまでの明るさが嘘のように照明が落とされた中、僕は大勢の男女に囲まれたまま、トランプを弄んでいるイイナの前に座っていた。彼女の前に置かれたテーブルの上の洋燈が闇に透けるような彼女の白い肌を照らす。イイナの纏っている黒と赤のドレスは先ほどまでの絢爛な光の中でよりも、淡い光と闇の境を漂うような中での方がより一層に彼女の魅力を引き出しているように見えた。

 いいなは微笑んで歌うような言葉をつぶやいた。僕には英国以外の異国の言葉はさっぱりだ。田代が通訳してくれる。

「あなたの運を見てあげましょう」

 歌うような声でつぶやきながら、イイナはゆっくりとトランプをめくっていく。

「不思議な星ね。あなたの願いはかなっているようだけどあなたがまだ気づいていない」

 新しいトランプをめくりながらイイナが手を止める。少しだけ鼻の頭にしわを寄せるようにしてカードを見つめている。そして、顔を上げるとニッコリと微笑んだ。

「大丈夫、あなたはこの人よりも幸運よ」

 そう言って(正確には田代が訳してくれているのだが)、イイナは彼女の隣にいた男を指差した。深々とハットをかぶった長身のロシア人だった。うす闇でもわかるほど純白のジャケットに、胸元には小さなバラの刺繍が施されている。彼は、突然自分が引き合いに出されたことに驚いたように大げさに手を広げて見せた。周囲の人々が彼の仕草に笑い出し、イイナも華やかに微笑んだ時、広間は元のように煌煌と明かりが灯された。

 まるで先ほどまでの時間が幻だっかのように思えた時、イイナがわずかに僕を振り返って早口の英語で囁いた。


「あなたは、あなたを必要とする人のために生まれてきたの」


 憧れの歌姫はそう微笑んで輪の中心へと戻って行った。

「なかなか面白い余興だったじゃないか」

 龍之介が感心したようにうなずいた。

「しかも、彼女の英語は美しい」

 田代が深く同意するようにうなずいて、ここだけの話、と言って声をひそめた。

「なんでも彼女の現在の恋人はアメリカのとある富豪らしいさ。さっき、ほらそこにロシアの男がいただろ?彼はイイナの幼い頃からの許嫁らしい」

「それは・・・彼は気づいているのかい?その、彼女が彼を・・・」

 憧れの歌姫の醜聞を聞きたかったわけではないのに、一度耳にしてしまったら好奇心を抑えることができずついつい話に参加してしまう。

 田代はニッと笑ってわざとらしく周囲を見回して声をひそめた。

「それがカルメンをカルメンたらしめる点さ。彼女はどちらの男も等しく愛していると言い切って、決してそれを隠そうとはしていないのさ」

「それは・・・」

 龍之介がさすがに驚いたように目開く。そりゃそうだろう。僕のイイナという偶像が崩れていく。

「ずいぶん魅力的な女性だな」

「なんだって!?」

 まさかの龍之介の言葉に今度は僕が目を見開くと、龍之介はすました顔で微笑んだ。

「俄然、興味が湧いてきた」

 そう言うと、彼は通りかかったウエイターからグラスワインを受け取り、臆することなくイイナの元へ歩いて行った。龍之介が彼女に何事かを囁くようにしてワインを差し出すと、イイナがハッとしたように龍之介を振り向いた。そして龍之介からワインを受け取り、じっと龍之介の顔を魅入るように眺めてから艶やかに微笑んだ。


「おい、一体何を話していたんだい?」

 龍之介が戻ってくるなり問い詰めると、

「君はもうカルメンへの興味を失ったんじゃないのかい?」

「そ、そんなことはないさ・・・。ただ、ちょっと想像していたよりも、その、発展的な女性であることに驚いただけさ」

 僕の言葉に龍之介は「発展的ね」と小さくつぶやく。そして、考え込むようにしてふっと動きを止めた。龍之介の瞳に僕には見えない何者かが写っているかのようにぼんやりとした黒い影がよぎる。

「龍之介?」

「いや、なんでもない。初日の舞台も楽しみだ」

 それからは僕が何を聞いても、ふふ、とすかしたように微笑んで見せるだけで、結局、イイナとの会話の内容は教えてもらえなかった。あんまり悔しいので、初日の舞台後には龍之介より先にイイナに話しかけて見せると心に誓った。


 しかし、僕と龍之介は結局、イイナの舞台を見ることがなかった。

 彼女は舞台に立つことがなかったのだ。

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