第1章 カルメンの夜

カルメンの夜

「君たちが僕のことをどう呼ぼうがそれは君たちの勝手だがね」

 龍之介は、帝劇のバルコニーに佇みながら、炭酸水の入ったグラスを広間から溢れる光にかざすようにした。

「君にも認めてもらう必要があるさ。なぜなら僕は君のことを書いて文壇に発表しようと考えているのだから」

 僕がそう言うと、龍之介は呆れたように僕を振り返り、「君も懲りない男だ」と苦笑した。そして、面白そうに目をほそめると広間の中であふれんばかりの光を浴びて談笑する紳士淑女の一群を指差した。

「僕なんかの承認を得なくたって構わないだろう。ほら、あそこにいる煌びやかな集団の一人にでも話しかけてきたらいい。特に、あそこにいる亜麻色の髪の詩人はきっと君の話に興味を持ってくれるさ」

「そうじゃない。確かに、彼には興味がないことはないが・・それは別の次元の話さ。僕はあんなに煌びやかな連中に認められたいとは思っていない。第一、彼らとじゃ5分と話していられない」

「そうかい?」

 龍之介がニヤリと笑う。

「じゃあ、あそこにいる『カルメン』はどうだい?」

 華やかな集団の中でもひときわ艶やかに輝く女性を示して龍之介が言う。

 ぐっと息がつまる。

 僕は、カルメンに扮したイイナに夢中になっていた。こぼれ落ちそうな大きな瞳は一言もモノを言わずして全ての心願を成就せしめることができるようであったし、すっと伸びた鼻梁は美しかった。

 僕と龍之介は帝劇の舞台監督を務める田代のコネで初日の前に本番さながらの舞台稽古を鑑賞した。田代は大学の同窓生であるよしみで、鑑賞後のこのパーティーにも招いてくれた。イイナの姿を一目でも見られるならとのこのことついてきたものの、東京中の明かりをかき集めたような華々しさが溢れていて、僕と龍之介は壁の花どころかただの野草のようなものになってバルコニーに落ち着いてしまっている。


 カルメンは光の中で華やかな笑顔を振りまいている。どうやら何か余興のようなものが始まるようだ。彼女の言葉にうなずいた何人かの男性が彼女のために椅子と小さなテーブルを運んできた。

 一体何が始まるのだろうか。そう思って中を覗いていたら、ふと、彼女と目があった。まっすぐに大きな瞳が僕を見つめる。彼女が周囲の人が気に声をかける。人々が一斉にこっちを覗き込む。

「おいおいなんだ」

「君の顔が珍しいんじゃないか?」

 龍之介が爽やかに言ってのけるが、こんなに珍獣扱いされるほどの顔立ちではないはずだ。そうこうしていると、見覚えのある顔が僕らの方に寄ってきた。田口だ。

「こんなところで一体何してるんだ」

「夕涼みさ」

 龍之介の言葉に田口が「まったく」と苦笑すると、早く来いと手招いて僕を見た。


「カルメン嬢が占いをしてくれるそうだ。その相手に君をご所望さ」

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