第4話

「チッ、魔法使いかよ! ますますレアだな!!」

「追うぞ!」


 男たちの怒声はすぐにも背後から聞こえてきた。

 その声から逃げるように走り、振り切るために路地を曲がり、さらに道を違えてはひたすら走った。もはや勇者さまがいる宿への方向は分からなくなっていたが、ひたすら坂を下って町の中心部を目指す。ひとまず人が行き交う通りへと飛び出た。雑踏へと紛れ少しだけペースを落とし、乱れた息を整える。

 これだけの騒ぎを起こしておきながら、ブローチを取り返しそびれてしまったのは手痛い。

 願わくばこのまま人混みに紛れて逃げおおせられたら、と祈るも私の祈りは神様へと届く前に潰えてしまう


「見つけたぞ! こっちだ!」


 頭上から声が聞こえた。どよめきが聞こえ、人々の視線を追って見上げれば屋根の上に男が一人立っていた。ああして高所に登って、後の二人を誘導しているのだろう。それに同じく走り続けていたはずなのにまだ余力がありそうだった。かなり厄介な状況かもしれない。

 歩いているわけにはいかなくなり、私はじんじんと痺れる脚を動かしまた走り出した。


「誰か……! 勇者さま……!」


 騒ぎを聞きつけ徐々に人の波が割れていく。振り向けばすぐ後ろを男二人が走っており捕まるのも時間の問題となっていた。左右に割れた人の壁のせいで別の道へ行くのも難しい。こうなったなら、最早魔法を使うしかなかった。

 背後に向け上体をひねりながら再び風の魔法で時間を稼ごうかとした次の瞬間、私は何かにぶつかり、揉みくちゃになりながら勢いよく地面を転がった。

 天地が混じり合うような奇妙な揺れの中、私はなにが起きたのか分からず放心していた。しかし、絶望感は着実に心を蝕んでいく。

 脈動と共に暗い靄と揺れが晴れ、踏み固まった土が視界に入る。ゆっくりと首を動かし目を凝らせば、近くに若い男性が一人仰向けに倒れていた。どうやら、彼にぶつかったらしい。彼の安否を確認しようと起き上がろうとして痛みに体が引き攣った。相当あちこちを擦りむいたようで、視界の端で確認しただけでも膝が真っ赤に濡れているのが見えた。利き手もわずかに力をいれただけで痛むので転倒した拍子に変な風に地面に着いたのかもしれない。だが、これらを治療している暇はない。もう目と鼻の先に男たちはいるのだ。

 ここでおしまいなのか、と目を瞑り覚悟した。

 こんな時、勇者さまはいつも嗅ぎつけたように不思議と現れて助けてくれていた。少なからずその展開を期待してしまった。でも、勇者さまは来てくれなかった。

 ブローチを失くしたからだろうか、勇者さまの望みに最後まで応えなかったからだろうか。そんなことを省みても、来てくれなかったという事実が覆ることはない。

 くしゃりと顔を歪めその時を待ったが、男たちが近寄る気配は一向に来なかった。


「お、俺たちは何もしてない……。こいつのせいだ。」

「とりあえず、ここは一旦引こうぜ……!」


 そんな声が聞こえて、足音が遠ざかって行く。何故男たちが分が悪そうに退いていったのが不思議でならなかったが、とりあえずは窮地を回避したのだろうと判断する。

 男たちの姿が見えなくなったところで、周りの人たちも恐々と近づいてきて身を案じてくれた。追われている間、手を貸そうとしてくれる人がいなかったことを思い出し、私は素直に喜ぶことができなかった。いや、あんな男たちに刃向かうのは誰だって勇気が出ないはずだ。町の人々を責めるものではない。

 医者のところまで連れて行こうかと提案してくる人もいたけれど、私はそれを自分でなんとかしますと言って丁重に断った。私のその対応を訝しむ視線やそれでもなお尽くそうとしてくれる親切を振り払い、私は倒れている男性に近寄る。そのまま彼の腕を肩に担ぐと人気のない横道を探して歩き出した。

 医院にかかってもよかったのだけれど、なにせ今の私にはお金がない。ギルド所属を証明できれば何かしら変わったかもしれないが、それでも依頼外での怪我だ。望みは薄い。だから自分でなんとかするしかなかった。

 この男性の怪我も私の方で診てみようと考えている。後で揉め事になるのも嫌だし、私のせいでこうなってしまったのだ。単純に見過ごせない。

 風がやわく膝頭を撫でる度に私は歯を噛み締めて痛みを受け流す。この男性は私よりも背丈があるため半ば引きずる形で運ぶことになる。歩いている間に目を覚ましてしまうのではないかと考えたが、彼の意識が戻る前に横道を見つけてしまった。

 大の大人が一人通るのがやっとな狭い横道に放置されている木箱に彼を座らせる。

 辺りを伺い誰も見ていないのを確認すると、私は彼の手を両手に包みこみそのまま目を閉じて祈った。そして、内に湧き上がる熱に語りかけるように言葉を紡ぐ。

 湧き上がる熱を彼に流し込み、怪我の様子を診る。診るといっても体のどの部分が悪いのかという抽象的なイメージが頭に流れてくるだけで、私に医療的な専門知識はない。

 入念に探ってみるが特に目立つ外傷はない。意識が戻らないのは恐らく頭を強く打ったからだろうと素人判断をするしかなかった。杖無しでは体の表層部しか診ることができない。この場に杖が無いのが悔やまれるが、頭を怪我したのならばそうも言っていられなかった。

 すみません、と口にすると私は更に魔力を送った。それと同時に体温が上がり私の肌から玉のような汗が溢れてくる。杖を媒体にしていないため、身体に返ってくる負担が大きいのだ。それでも惜しみなく治療魔法を続ける。

 茹だるような熱が頭を支配していく中、何をやっているのだろうという自嘲が意識の縁を掠めていく。僅かとも永遠とも思える時間が経過したところで、飛び跳ねるようにして若い男性が目を覚ました。


「あつっ……!!」

「大丈夫、ですか?」


 おそるおそる様子を窺ってみる。若い男性はきょとんと呆けたように私の顔を見つめた後、ふいに辺りに目配せし無理やり笑ってみせた。彼からすれば、ふと目を覚ませばぼろぼろの見知らぬ少年がおり、知らぬ間に移動しているのだ。そんな反応が返ってくるのは当然だ。


「あの、思わぬ事故がありまして、それで貴方は気を失っていまして私が魔法で治療に当たっていたんです。決して怪しい者じゃないんです! 自分から言うのは怪しいと思いますし、信じられないでしょうが……。」


 追ってきた男たちが何者だったのかは分からないけれど、彼らの話を端折ったのは間違いだったかもしれない。全て事実なのに真剣に説明すればするほど自分の怪しさが増していくのを感じる。

 私の話を一通り聞いて逡巡してみせた後、彼は吊り上がった目をきゅっと細めて笑ってみせた。


「わざとじゃないんだろう? それにそんなに傷だらけなのに俺のことを優先してくれたんだ、悪いやつじゃないのはわかる。君を信じるよ。」


 私はほっと胸を撫で下ろす。とにかく信用してもらってこの場を穏便に内密に済ませられたらそれでよかった。けれど、お礼をさせてほしいという声がかかり、この場で済みそうにない空気が生まれる。


「俺を捨て置いたって良いはずだったのに、君は自分より何より優先して俺のこと助けてくれたんだ。お礼の一つや二つしないとバチが当たるよ。」

「いえ! お気持ちだけで十分ですから!」


 ぶんぶんと頭を左右に振ると、そのままくらりと視界が揺らいだ。傾きかけた私の体を受け止めて支えてくれる。


「ほら、こんな状態だしだめだよ。それに俺の気が済まない。何より、君が俺にしてくれたようにそんな状態の人を見捨てることなんて出来ないよ。」


 彼の真剣な面持ちと熱い言葉を断る方が返って申し訳なく思えてくる。


「近くに馴染みのお店があるんだ。そこで休ませて貰おう。ね?」


 心身共に疲労が限界だったこともあり私は静かに頷くと、彼の肩に甘んじることにした。

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