第3話
宿屋の外を出るとすっかり太陽は高く昇っており、燦々と日差しが降り注いできた。暖かさよりも焼けつく痛みを感じて時折庇うように腕をさすっては私は何度目かわからない溜息をつく。
私の心情は天気に反してどんよりと曇っていた。なにせ、鞄もマントも、杖すらも部屋に置いたまま追い出されてしまったのだ。私にはあのような捨て台詞を吐かれた直後に部屋に戻る精神力なんて持ち合わせていなかった。向こうの方が身勝手なことを言っているというのに返せる言葉もなく、唯一絆を証明できるブローチも無くしてしまい、勇者さまとの関係がどんどん希薄になっていくように思えた。
いくら私がついていこうとしたってブローチが無ければただの他人になってしまう。勇者さまに否定されたり、知らんぷりされたりすればそれまでなのだ。それにあの態度では取り返そうだとか、作り直しに戻ろうだとかいう気もなさそうだ。元より自分も作り直しなんてしたくないのだけれど、話に上らなかったのが少し悲しい。
このまま旅の終わりを迎えてしまうのだろうか。勇者さまと初めて出会ったのは約一年前、長いようで短い。
もしかすると最後になるかもしれないであろう町を見て回ろうかと思い立ち、ふらふらと店が立ち並ぶ通りを歩く。市場に比べればだいぶ穏やかなものだがそれでも行き交う人は多い方だ。
雑踏に溶けこもうにも視線が気になって仕方がない。フードの端を引っ張ろうとして手が空振り、顔を伏せる。歩いていればそのうち気分も晴れるかと思ったけれど、これじゃあよっぽど宿の談話室か食堂の隅で大人しくしていた方がマシだったのではないかとにわかに後悔し始めていた。
道なりに歩いてきただけだ。今引き返せばすぐに戻れる。
私は顔を上げ、辺りを見渡した。
道は人に溢れていて進むにしろ引き返すにしろ、どちらも変わらないように思える。どうしたらいいのか分からなくなって、私は往来の真ん中で立ち尽くしてしまった。
向かいからやってきた柄の悪そうな三人組の男たちが通り過ぎざまぶつかっていった。彼らは私にぶつかったことにすら気づいてないようで怒鳴るでもなく通り過ぎていく。
よろけながら、私は目を見開いて振り返った。
それは謝りもしない彼らへ怒りを訴えるためではなく、見覚えのあるブローチを手で弄んでいたのがほんの一瞬ちらりと見えたからだった。
心臓の音が頭にまで響く。空目だろうか、と躊躇う気持ちが無いといえば嘘になる。勇者さまとの縁を幻覚を見てまで望むのかとも考えた。
でも、悩む暇はない。万が一の手がかりを見失う前に私は彼らの背を追いかけた。
一定の距離を保ちながら彼らの後を着けていく。宿屋のあった大通りからだいぶ離れたらしく勾配のある道が続く。ノギの町は山のふもとにあるのでこれは町の外れへと向かっているということなのだろうか。それを裏付ける訳ではないがこの辺りは人気もなく建物も廃屋混じりで、放置された荷車や木箱も目につく。
それから少しして三人組の男たちは傾いた看板が目につく建物の中へと消えていった。看板はこの店が酒場であることを示している。お世辞にも雰囲気が良いとは言えない店構えな上に、明るい時間帯からあのような柄が悪そうな連中が入り浸っているような場所だ。きっとろくでもない場所なのかもしれない。いよいよ怪しい。
いざとなれば私には魔法がある。相棒たる杖は手元に無いものの、簡易的な防御壁を張ったり小規模な風を起こしたりするくらいなら造作もない。それよりも今ここで引き返してしまうことの方が私にとって惜しかった。大丈夫、大丈夫と自分を鼓舞し、ゆっくり足を踏み出して開放されている扉を抜けた。
バーカウンターの向こうに店員らしき中年の男性。入り口のすぐ横に視線を向ければ茶色の酒瓶を抱えながら何かを呟いている者。談笑をしている老年の男女連れもいる。席数の少ない小さな店だがそこそこ人で埋まっていた。けれど、何処と無く活気がない。
場違いな見た目をしているからか余所者だからなのか、冷ややかな視線を一斉に浴びる。奥歯を噛み強く拳を握って視線を振り払うと、店内をじっくり見渡す。
いた。一番隅のテーブル席で今に酒を頼んでいる男たちがそうだった。テーブルの上に無防備に投げ出されているものに目を凝らす。
赤い楕円状の石に雫型の銀細工が連なるブローチ――見覚えしかない。私のブローチで間違いなかった。
自分のものだと認めた瞬間、沸々と怒りが込み上げてきて私の体を素早く突き動かした。彼らの元に早足に詰め寄ると私は迷いなく声をかける。
「あの! そのブローチ、私のものなんです。返して頂けませんか。」
店内がしんと静まり返る。然程大きい声を出したつもりはなかったが、店内に響いたように感じられた。背中に刺さる視線が気になる。首を傾け一瞥すると周囲の者はさっと目を逸らし、我関せずといった具合で銘々にまた話し出した。空気が戻ったところで、男たちは互いに顔を合わせると揃ってゲラゲラと品の無い笑い声を上げた。そうして、一人がブローチをこれ見よがしにかざす。
「これか? これは俺たちのものだぜ?」
そうだそうだ、と同調する声が上がる。私は腹が立って男たちが囲うテーブルの上に手のひらを叩きつけた。
「いいえ、私のものです。そのブローチはギルドからの支給品で、身分を証明する大事なものなんです。私ともう一人の方のたった二つしかないもので失くしちゃならないんです。」
「こんなもん、どこにだってありそうなもんだろ。お前が言う通りの証拠はあんのか?」
こんなもの、と粗末に指で弾かれたブローチがテーブルの中央に転がる。
改めてブローチを目にしてか、勇者さまと出会った日のことが脳裏を過ぎった。勇者さまの方から声を掛けてきたにも関わらず無遠慮で横柄な態度で、事前に耳にしていた情報とは真逆な印象の嫌な人だと知った。最初から散々なことを言われたけれど、それでも、勇者さまとなら"あの人"を見つけられるかもしれないとパーティを組むのを承諾した。ブローチへ用いる石を探しに二人で鉱床へ向かった時、私の魔法に全幅の信頼を寄せ命知らずで破天荒な戦い方をする勇者さまが心配で必死になって前線について行った。勇者さまにはそんな気は無かったと言われるかもしれないけれど、慣れてない――そもそも戦えない私のために血を流して守ってくれた。
その時からずっと身につけてきたものをこんなものと指で弾かれテーブル上にぞんざいに転がされる様に、私は口をわななかせて男の言葉を否定する。
「どこにでもあるようなものなんかじゃありません! 二つを近づければ淡く輝きます。二つが同一のものであると証明できるようそうしたんですから!」
「おっと、危ねえ。」
話をしながら私は明け透けに投げ出されているブローチに飛びかかろうとした。だが、そう甘くもなく伸ばした腕側にいた男の一人に脇腹を蹴られ、よろめきながらそのまま数歩後ろに下がった。悔しさと苦痛に奥歯を噛み締めながら三対一では分が悪いし仕方がないと自分を宥め、落ち着かせる。
「ふん、その話が本当ならそのもう一つを出してみろよ。そしたらお前のだって信じてやるからよ。」
「今すぐには用意できません……。」
もう一つは勿論勇者さまの元にある。お願いして連れてこようにも今は恐らく、その……取り込み中だろうし、乗り気になってくれなかったらと思うと少し怖い。
「それじゃあどうしようも無いな。大体、失くす方が悪いんだよ。」
「盗んだのは貴方たちじゃないですか!」
「俺たちは盗んでない。『人』から譲って貰っただけだ。」
この男の言ったことが事実だったとしても、盗品と知ってなお返す気を起こさないのだから悪いことをしているのに変わりない。むしろ余計に腹立たしく思えてくる。
「そんなことより、僕ちゃん変わった容姿してるな。その目、青じゃあないよな?」
普段なら気にするであろう容姿を揶揄する言葉を投げかけられても、私の勢いは止まらなかった。
「話を逸らさないでください。お願いです、返してください!」
「嫌だね。」
「あ、貴方たちにだって大事なものはあるでしょう。失う痛みがあるでしょう。どうしてそれが分からないんですか……!」
「他人のことは別にどうだって、なあ?」
投げかける言葉を失った私は行き場のない怒りを飲み込んだ。理解し合えない相手に対しての言葉が出てこなかった。それでも苛立ちは込み上げていく。勇者さまにしてもそう、なぜ分かってくれないのだろうか。それと同時に鼻の奥がつんとして涙が溢れた。それがまた情けなくもあり、堰を切ったように涙が落ちるのが止まらない。
「あーあ、泣かせちゃったよ。俺たち悪い大人だねー。」
「そんなに返して欲しいなら力尽くで奪い返すんだな。」
笑いながら言う男たちのその言葉に乗せられて怒りのままに思わず手を振りかざすものの、ハッと我に返って手を引き戻す。
「だめ、だめなんです……。返してください、お願いします……。」
振るうことのなかった手で泣き顔を覆い隠し、私は何度も懇願する。
男たちも最初は楽しそうに私に野次を飛ばしていたが、次第に困惑していく様子を肌で感じた。
「なあ、もう行こうぜ。白けちまったし面倒くせえよ、こいつ。」
「同意。」
「嫌です、返してください!」
そんな会話をしながら男たちが席から立とうとする。焦りに駆られて私は男の一人にしがみつき、男は体を支えきれずに椅子に座り直す羽目になった。舌打ちが頭上に飛んでくる。
「ああ、うぜえな! ぶっ殺されてえか!」
恐ろしい剣幕で間近に吠え立てられても私はしがみつくのをやめなかった。いよいよ手を上げようかといった時、先程から黙ってじろじろとこちらを見定めていた男が手でそれを制す。
「ちょっと待て。見ろよ、こいつの目、やっぱり紫色だ。それに髪の色も灰色……いや銀色っていうべきか。なあ、こいつ高く売れるんじゃないか?」
男は私の長く伸ばした襟足の房を捕えると強く引き寄せた。髪がいくつか抜ける痛みに顔が歪む。そうしているうちに顎が掴まれ、無理やり目を確認される。まるで物のような扱いに不快な気持ちがこみ上げる。
「それじゃあこいつも貰ってくか! いい土産になるだろうよ!」
腕の関節を後ろ手に捻られながらテーブルに組み伏せられ、苦痛に喘いだ。
この男たちは私とは考え方もなにもかもが違う。どちらかもいえば、勇者さまの考え方に近いのかもしれない。なんの後ろめたさに囚われることなく、あらゆることをやってのけるのだろう。そして今、その歯牙に自分もかかろうとしている。
胴に体重をかけられ、肺が押し潰されて呼吸がうまく叶わなくなっていく。しかし、口を塞がれる前に、なんとしても逃げなければならなかった。
「か、ぜよ……!」
息も絶え絶えな私の呼びかけに反応して突風が手から中心に吹きあがり、男たち諸共テーブルをひっくり返した。何かが割れるけたたましい音や悲鳴が響く。私は同時に風で安全に身を運んでいたので事なきを得たものの酷い有様だった。周辺を巻き込んだのか、飛び散った硝子片や折れた椅子の脚との間に男たちや近くにいた客まで倒れている。やり過ぎてしまったと惨状にたじろいだ。しかし、男たちがよろめきながら再び立ち上がろうとする姿にハッと我に返り、すぐに酒場から飛び出した。
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