第1話

 一晩を再び外で明かした後、勇者さまと私は朝方無事に堀を渡ってノギの町へと辿り着いた。

 それから私たちは宿屋へと記帳しに行く前に、簡素なテントが立ち並ぶ市場の出店通りの方へと赴いていた。小腹を満たせるものはないか見て回りましょうと私から提案したからだ。しかし、それが全ての間違いだったと私は後悔する羽目になる。

 吐き出される息が重たい。どうやら一番賑わっている時間帯に来てしまったようだった。明らかに細い道幅に対しての人口密度は高い。その道を挟むようにして呼び込みをする店主の声がぶつかり、混ざり合い、一つの音の塊となってぐわんぐわんと私の頭を揺さぶる。店先まで近寄ろうものならばやれ見ていけ、やれ食べてみなさいなどと休むことなく声が掛けられる。

 こういうお店は一旦反応を見せるとなかなか解放してもらえないのを過去に経験している。私も私で押しに弱いので捕まるとなかなか断れないのだ。はなから無視するのが一番いいのだけれど、それはそれで心苦しい。なるべく反応しないようにと心がけながら、私は町に入るまでの静かな時間を思い返していた。

 普段は口数が少ない勇者さまと二人きりだった数日間。それと比べるとここは目まぐるしいほど騒がしく、お祭りの渦中かと思ってしまう。そんな中で勇者さまとはぐれてしまったことが、何より気が重たくなる理由だった。お菓子の量り売りの店の側で僅かに立往生しているうちに姿が見えなくなっていたのだ。まだ近くにいるのでは、と走って追いかけようと最初は考えたものの、フードを深く被った状態でこんな人混みの中を走るのは迷惑を掛けかねないと思い、潔く諦めた。

 いざとなれば魔法で探しだすことはできるのだ。だから大丈夫。そう自分に言い聞かせる。

 それにここに来てからまだ何も買えていない。色んなことに気を取られ憂鬱になっていたけれど、今は忘れて何か美味しそうなものを食べよう。私は小銭の入った皮袋を握りしめ、先ほどのお菓子の店へ戻ろうとくるりと身体を翻した。途端、鼻先が圧迫される感覚に襲われる。そして弾みでバランスを崩し、私は強かにお尻を打ちつけた。

 何が起こったのか判断できないうちに目の前にすっと手が差し出される。若い手だった。

 それによって私はようやく人にぶつかり転んだのだと察し、顔がにわかに熱くなった。けれど、差し出されたからにはその手を無視することは出来ない。恐々と手を重ねると軽く引っぱり上げられた。


「ごめんよ、君のマント汚れちゃったかな。」

「ええ、私のほうは大丈夫です……」


 視界から僅かに見える身なりと声からして細身の若い男性のようだった。

 それよりも貴方こそ、と言葉を続けようとしたけれど相手の方が動くのが早かった。あっという間に身を屈め私のマントの裾をはたき、乱れてしまったのであろう襟を正してくれた。


「どうだろう、これで大丈夫かな。人ごみで急に止まると危ないからね、これからは気をつけるんだよ、ぼく。」


 一方的にそう告げるとその人はあっという間に立ち去ってしまった。非礼を詫びるための言葉と、ちいさな子ども扱いされて込み上げた不満を舌の上で渦巻かせながらもなんとか飲み下し、落ち着いたところで改めて店へと向かおうとお財布を再び握りしめる。――いや、正確には握ろうとした。

 あるべきはずのお財布がなかった。ぶつかった拍子で落としてしまったのかと、足下を確認するがもちろんない。心臓のあたりに寒気を覚え、行き場のない手で胸元をたぐり寄せて気づく。ブローチもなくなっているではないか。

 どれもこれもぶつかるまではあったものだ。嫌な予感が徐々に思考を占めていく。あの若い男性の「気をつけるんだよ、ぼく」という言葉が頭をぐるぐると回り始める。


「す、すられた……!」


 非常にまずい事態が起きてしまった。

 盗まれたのはお財布と銀細工のブローチ。私が使えるお金はほんの小銭であり、旅の資金自体は勇者さまが管理しているので実際大した痛手ではない。

 問題はそっちではなく、ブローチの方だ。あれは、勇者さまとの正式なパートナーを示す為にギルドから与えられたものなのだ。同じものはお揃いのもの以外に一つとしてない。つまり再度受け取ることも出来ない。なので紛失した場合は再び作り直すしか他に無いのだけれど、私にとって作られた行程こそがあのブローチの真価なのだ。だから作り直すのは認めたくない。

 急いで後を追おうとしたものの姿はとっくにない。逸る気持ちのままに駆け出してみせたが、杖の先を通行人にぶつけてしまい足が止まる。

 落ち着いて考えなくては。フードを深くかぶっていたせいであのスリの顔を見ていなかったのが悔やまれるが、すぐに他所へ流れてしまうことは起きないはず。ならばまずは勇者さまを捜さねばならない。私は露店通りを離れることにした。

 通りを歩いている途中に見つけた細い路地を少し進むと喧噪が遠くなる。周囲に人気は感じられない。

 ――ここならば大丈夫でしょう。

 私は背負った杖を手に持ち、勇者さまの姿をまな裏に強く思い浮かべた。胸に浮かんだ言葉を口にする。ふわりとどこからともなく風が沸き立ち、マントの裾をいたずらに揺らす。それが合図かのように翼を模した杖の先で漂う石が明滅し始めた。あとは杖を傾け、反応を見ながら勇者さまのいる方向を探すだけだ。

 明滅の感覚が短くなった方へと歩き出す。思わぬ勘が働いたのか、どうやらこの路地の近くにいるようだった。

 二、三度曲がったところで、薄暗い裏通りへ抜けた。先程まで歩いていた路地よりは広いが、大人二人並んで歩ける程度の広さしかない。しばらく進んでいるとなにやら怪しい人影を見つける。杖の明滅は依然早いままだ。勇者さまだろうかと近づこうとしてみて、様子がおかしいことに気づく。影は一つに見えたがどうもそれは壁に手を着き重なっていたかららしく、そこには二人いるようだった。

 暗く人気のない場所、重なり合っている二つの影。これらのことで連想し得るのは――顔がぱっと熱くなる。邪推している場合ではない。こちらでは一大事が起きてるのだから、空気なんて読まずになんとかして声をかけなくてはいけない。どうしようか、悩んでいるとふと女性のくぐもった悲鳴を捉えた。そしてそれはその影の方から聞こえた。しまった、と私は奥歯を強く噛みしめる。

 なぜこうも嫌なことばかりが続くのだろう。久々の大きな町に浮かれてしまった自分と自分の運のなさを嘆く。

 ぐっと杖を握り直すと、目を閉じ集中する。私を中心に風が渦を巻き、脇に並ぶ建物の窓がカタカタと揺れる。十分に勢いをつけると覆い被さっている影の方をめがけ、私は呼び起こした突風を放った。風は見事に一人だけを攫い、そのまま随分奥の方まで運び地面へと叩きつける。痛そうに見えるが、あの人ならあれぐらい何てことないはずだ。急いで女の人の元へ駆け寄ったが、彼女は胸元がはだけて露になってしまっていた。慌ててフードを引っぱり、顔を完全に覆うと努めて穏やかに声をかける。


「もう大丈夫です。後は私がなんとかしますから。」


 彼女の返事は聞かずに私はその場をすぐ離れる。本当はなにかしらケアすべきなのかもしれないけれど、自分が男である以上下手に手は出すのはよくないと思ったのだ。それよりも、男なら勇敢に犯人を懲らしめるべきだと思って、風が運んでいった道の先を目指した。

 空の木箱にでもぶつかってしまったのか割れて散らばった木片の中心にその人は倒れていた。案の定、勇者さまだった。勇者さまに使うにはちょっと魔法を強くしすぎたかなと思ったけれど、傷一つない姿を見てそんな心配無用だと悟る。勇者さまが起き上がるタイミングで、私はその傍らに立って腕を掴むとすぐ近くの細い道へと引っ張った。


「勇者さま、貴方って人は……!」

「ちっ、鼻のいい奴め。」


 怒りを露わにして壁に追い詰めるが悪びれる様子もなく、むしろ水を差されたのが不服そうなくらいの態度なのがなんとも腹立たしい。

 勇者さまの能力は確かに素晴らしいものだ。頑健で同性ならば一度は憧れるような体躯を持っていて腕っ節も立つ。第六感ともいうのか人並み外れた勘の良さを持っていて、それによって何度も死線を越えているようだし私も何度も助けられている。それに加えて顔立ちも整ってるし、私と違って男らしくて羨ましい。一見気だるそうに見える垂れ目で微笑まれると同性の私でもドキッとしてしまう。いつでも落ち着いているし、取り乱した様子なんて一度も見たことがない。

 どうして神様は勇者さまにここまで与えてしまったのか。むしろ、ここまで与えたが故に神様は勇者さまにどうしようもない罪深い業を課したのかもしれない。

 勇者さまの素晴らしいところを全て帳消しするほど罪深い業というのは、自分の持つ能力で人を無理矢理屈服させることだ。勇者さまはそれを至上の愉悦としてるし、それが趣味だと言っていた。とんでもなく最悪だし、それは趣味と呼ぶべきものではない。旅を共にしてこれまで何度目にしただろうか。もちろん、犯行は見つけ次第私の方で抑えてはいるものの、自警団ほか警備団体の方からお咎めを受けた試しがない。バレたことがないのか勇者さま自身の功績からして太刀打ちできないと判断されて野放しにされているのだろうか。なんにせよお咎めがないのをいいことに好き放題している。なまじ腕が立つ上、超常的な勘が働く故に私怨で闇討ちに来られたって構わないのかもしれない。

 この人は実に自分の能力を活用している。良い面においても悪い面においても。それでも誰が許そうと私は勇者さまの行いを許すことは出来ない。

 私は怒りのままにもう一度突風を起こして、勇者さまを表通りの方へ吹き飛ばした。

 勇者さまは素晴らしい能力を兼ね備えてる。しかし、唯一弱点があるとすれば魔法に弱いのだ。弱すぎると言っても過言ではない。普通、非力な一般人ですら魔法に対する抵抗力をいくらか持ち合わせているのだが、何故か勇者さまは皆無なのだ。今まで魔法で呼び起こした風も、突風とはいったものの人を簡単に攫える程の威力は持ち合わせてない。現にさっきの女性には何事もなかったし、彼女からすればちょっと身体が揺れるくらいの強風が吹いたくらいにしか思ってないはずだ。それが勇者さまに当たればいとも簡単に身体を持ち上げられる程の威力になる。

 とはいえ、この大陸において魔法を扱う人口は少ないので勇者さまへの抑止力にはならない。何より勇者さまはこの事実を秘匿しているので知る者は少ないし、勇者さまに危害が及ぶのは望んでいないので私も公言するつもりはない。

 こういったお陰で私と勇者さまは良い力関係を保っているが、こういう場面に遭遇する度に私は愛想が尽きそうになる。

 勇者さまは後頭部を掻き乱しながら忌々しそうに私を睨みつけて立ち上がる。さすがに連続で吹っ飛ばされたのは堪えたようだった。


「はあ、容赦ねえな。」

「当たり前です、少しは懲りて反省してください!」


 私の怒号が通りに響き渡ったせいで通行人が冷やかすようにこちらを覗いてきたけれど構わず続けた。


「置いていくだなんてひどいじゃないですか! 私が大変な思いをしている間に貴方はあんな不埒な蛮行を、腹が立つに決まってるでしょう! ……ひとまず、宿を探しましょう。お話があるんです。」

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