03:無敵サキュバスはアヘらない
◇◎△◇◎△◇◎△
それは、透明な壁によって隔てられた、果てしない闇の中だった。
ベラはその闇から、窓越しに部屋の中を覗いている。
そこでは、ベッドに腰掛けて横に並んだ、一組の男女が会話している。
思わず、身が竦んだ。
その女性は、ベラが誰より、そんなことになるのを見たくない相手だった。
『へえ。お姉さん、すごい立場のある人なんだ。偉くて、普段は周りにも弱いとことか全然見せてないんでしょ。いいのかなぁ、それがこんな男についてきて』
『はいはい、わかったわかった(笑)。脅されたから仕方なくだよね。大丈夫大丈夫、約束は守るほうだから。こう見えて紳士だもん、俺』
言いながら、浅黒い肌で、若干くすんだ金髪の、耳にいくつもピアスを開けた下履き一丁なダークエルフの若者は、相手の眼を見つめながら、肉付きのいい太腿を無遠慮に撫でまわす。
……それを見て、ベラは思わず叫んでいた。けれど、それは自分の耳にすら届かない。音が消えている。どれだけ力を籠めて窓を叩いても、衝撃は向こうに伝わらず、気付いた様子も無く、こちらの手が痛むことさえない。
『でもさ、考えてみなよ。向こうだって最近つれなかったんでしょ? それにがっかりしたって言ってたじゃん』
『だから、これも別に悪いことじゃない。あっちもやったこっちもやった、でイーブンだから。ね、安心だろ?』
動けるのに、何をやっても無駄、という感覚。
何をしても、どれだけ止めても、こちらとあちらは隔てられていて、出来ることなど何も無いのだ、という絶望。
これが、恐るべきチートスキル――《アヘ顔ダブルピースビデオレター》。
時も空間も分かたれた場所で、自分の大切なものが踏みにじられ、奪われ、心にある思いが粉々にされていくことを見届けるしかなかった経験は、幻覚であろうと染みつき、現実を穢す。
『ストレス発散だって、こんなのただの。気に病むこともないし、こっちに任せてくれたらいい』
『こう考えるのどうかな? 相手に負担をかけないで傷ついた心を慰めて、明日からもまた、大事な人と笑いあうための配慮だってさ――』
涙が止まらない。ついには見るのも辛すぎて、俯いて泣き続ける。
ベラは確信している。あんな金髪
取られたものは帰らずに、無くなったものは戻らずに、その悲しみは癒えることなく、どんなに楽しさを積み重ねても、いつだって心の底でじくじく膿んで――
――ああ。
こんな世界、どれだけ素晴らしかろうが、滅んでしまえと呪うのだ。
『――――は。何を、らっしくもねー顔してんのよ。かわいいわね』
……え、と顔を上げた。
そこに、ありえないものを見た。
目が、合っている。
声も衝撃も、何一つ伝わらないはずの窓の向こう、闇と隔てた部屋の中――タオルを一枚羽織っただけの彼女が、勝手に肌に舌を這わす男になど目もくれず。
ベラのことだけを、見つめている。
『ねえ。もしかしてだけど、そんなことになると思ってる? よりにもよって、このわたくしが――よだれ垂らしてみっともなく、心で負けて屈服して、相手を欲しがり懇願するなんて、そんなこと有り得るとか思っていらっしゃらないわよね、
そう問われては、ひとつしかない。
ベラが首を振るのは、横しかない。
なぜって、知っているからだ。
彼女は――こと誘惑のし合いに於いて、誰にも負けることなどないと。
それが、それが、ああそれこそが――
「思わない。だって――キュロリアは、世界で一番、えっちだもんね!」
『イエス! いいこと孫姫様、このキュロリアに【欲】という言葉があるとするならば――それは常に、いついかなる時であろうとも【欲しがる】ではなく【欲しがられる】、それだけよ!』
吠え猛りながら、部屋の中にいた彼女――大魔王ヴェラヴィアディスドルファ四天王が一、魔界最強サキュバス【淫貴姫】キュロリアは、金髪チャルフのヌルい攻めを一転、逆に押し倒し、タオルを自ら剥ぎ取り、戦闘形態の裸体をさらけ出した。
決着には、三カウントも必要なかった。
『うはっ!? お、お姉さん、急に大た――ん、え、ええええ!? ちょっ、それ、それだめ、あ、い、イヤーーーーっ!?』
金髪チャラフの絶叫が、部屋を越え、闇に轟き、そしてすべての風景が、幻影の空間が、激しく無数にひび割れて――
◇◎△◇◎△◇◎△
――ぐらりと力なく、前に倒れかけていたベラの身体が、だん、と一歩を踏み出して、体勢を持ち直した。
それを見て、勇者マコトはぴたりと笑いを止める。
「……は?」
ゆっくりと、ベラの顔が上がる。
そこにあるのは、失意でも絶望でもない。もっと強く熱いもの、確かなもの、揺らがないものが、アヘ顔ダブルピースビデオレターを見たはずの彼女に漲っている。
二歩目を踏み出し、勇者マコトに迫ってくる。
「な、ん――なになになになになに、なんでぇっ!?」
中空に回転していた大量のアヘ顔ダブルピースビデオレターが、螺旋を描きながら抉りこむようにベラへと殺到する。
一本につき、流れるのは一
それどころか、受けるごとにその表情の笑みが深まる。あまりの理解不能さに、勇者マコトは「ひぃぃぃぃぃ!?」と悲鳴を上げる……【表裏科】特有の、どちらもが本性であるもう一つの側面が出てしまう。
「ふっざっけないでくださいませんか!? え!? き、きみ、それ効いてますよね!? ぼくのチートスキル、アヘ顔ダブルピースビデオレター、無効化してるとかじゃなくて効果は発動してますよね!? なのにどうしてっ、そんな平気でっ、大切な人がアヘ顔堕ちしてるっていうのにめっちゃ笑ってられるんですかねぇ!?」
「そりゃあ、もう。そんな顔になってないからじゃないですかねえ、勇者マコトさん?」
「……あえ?」
一度に生成できる最大量のアヘ顔ダブルピースビデオレターを食らい切って、ベラは言う。
「何が原因なんでしょう。わたしがもう、『取られたことが心の傷になっていた相手』がいたからかな。それとも――いつも、形見の装備を身に着けてたからかな。分かんないや。分かんないですけど、とにかく、わたしが見せられる幻影に現れたのは……ふふ。ええ、間違っても、
「お、お、おらー! こっ、こここっ、こっちくんなぁーっ!」
歯を食いしばり、フーフーと息を荒げ、腕を振って勇者マコトがベラの接近を牽制する。
「ぼ、ぼくに何かしてみろよ! 言っとくけどな、きみひとりなんか知んないけど解放されたところで、他のやつらはまだ絶賛ダブピー中なんだよ! いいか、つまりぼくがやつらの心を握ってるってことで、人質だと思っ」
「……うん、わかった。こうだね、キュロリア」
少しだけ目を閉じていたベラがおもむろに掌を前に出し、次いで起こった現象に、勇者マコトが絶句する。
そこに生じたのは、他でもない、アヘ顔ダブルピースビデオレターだ。自分のチートスキルであるはずのそれが、なぜか、他人の手の上に現れていた。
考え付く理屈があるとすれば、自分が大量に食らわせてしまったアヘ顔ダブルピースビデオレターのエネルギーがベラの中に残留し、それを利用して創り上げられてしまった……そんなことは、しかし、彼女にとってどうでもいい。
溢れ出す、溢れ出す、溢れ出す――アヘ顔ダブルピースビデオレター。
それは、次々と狂乱と絶望の最中にある被害者たちへ吸い込まれていく。
そして、いっぺんに反応した。
「ぶっはぁっ!」「うおおぉっ!」「あっふぅん!」「ンもっとぉ!」
憑き物が落ちた――いや、それは、新たなる憑き物で上書きされた反応だ。
誰もがぱちぱちと目を瞬き、きょろきょろと周囲を見渡し、それから、老若男女が口を揃えてこう叫んだ。
「「「「さ、さっきの考えられないくらいドスケベなお姉さんは!?!?!?」」」」
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