02:襲来、アヘ顔ダブルピースビデオレター



 ◇◎△◇◎△◇◎△



「……ど、どうかされましたか、ベラさん?」


 ふと声をかけられて、ベラはようやく、自分がぼんやりと考え込んでいることに気が付いた。

 隣を歩く、こちらの顔を覗き込んでいる相手に、かぶりを振って言葉を返す。


「あ、い、いえ……大丈夫です、コトさん」


 彼女はベラたちが泊った宿の受付嬢だ。しかし、実はそれだけではなかったことが、昨夜の遅くに発覚した。

 王家として落ちぶれはしたものの、精霊女王の末裔たる姫としてプロミステラ中に人脈を持つマリーの知り合いであったらしい。


 書簡のやり取りのみで実際に会ったことはなかったらしいが、手紙に書かれていた特徴から、金髪で高貴な利用客が『あのマリーではないか』と気付いたコトが、昨晩ベラとマリーが泊まる二人部屋に尋ねてきて分かったのである。


 二人は初めての出逢いに喜び、そして出立前に【約束の鐘】の音を聞きたいと思っているとマリーが話したところ、ガイド役を申し出たのだ。


『そ、それならぼくがご案内します。この町で働いてる従業員として顔がききますし、れ、レアな解説とかも出来ちゃうかもですよ……自信ないですけど……』


 この道中、色々な危険も伴う勇者送還の旅の間は、たとえ見知った相手であってもなるべくは外部の者と関わらないようにするのが決め事だったが、相手の必死さに根負けする形でマリーが了承した。


「ま、マリーや、パットさんは何か、こういうのも失礼かもなんですが、今、どこか近寄りづらくって……」


 コトは小声で言いながら、おどおどと前を歩く二人の背中に視線をやる。


 カフェを出たあたりから、二人の様子は確かにおかしい。話しかければ普通に返してくれるし、素振りにも変なところはない……しかし、その態度が逆に『普段通りに振舞おう』と努めているものなのが、ここまで共に旅をしてきたベラにははっきりとわかってしまう。――得意なのだ、そういう、人の顔色を窺うのは。だって、珍重される希少種であるのと同時に、常にあらゆる勇者からレアモンスターだと狙われる魔王だから。


「ま、まあ、こういう日もあります、よね。なんだか気分が乗らない日とか、意味も無く人と笑うのがしんどい日とか、誰だって急に来ちゃうから、えへ、えへへへへ」


 コトは、なんとも奇妙な人物だった。喋りかたは若干怪しく、話す相手とも頑なに目を合わさず、その態度がまた、かっちりと着込んだ宿の受付嬢の規定らしい礼服とミスマッチだ。外見的には凛々しく男装しているふうではあるものの、心が猫背になっている、みたいな。


 ……本人には言えないけれど、そこに漂う負のオーラ、卑屈さと怖がりをミックスした雰囲気に、ベラはどことなく自分と似たものを感じている。マリーと合う以前、勇者に怯え彷徨っていたころを、どうしようもなく思い出す。


「――それにしても、なんだか、あんまり……」


『見に来る人がいないんですね』と言いかけて、失礼に当たると気付き、ベラは慌てて口をつぐむ。

【約束の鐘】は縁起のいい観光スポットであると同時に、高名な魔法具職人(マジックスミス)が作り上げた逸品でもある。


 日に一度、朝に一回鳴らされる鐘の音を聞いたパーティは【今組んでいるパーティのメンバー数×信頼度】に比例するステータス・バフを得られ、ベラたちがラクベルを訪れたのはその効果を旅の補助とするためだった。ラクベルを立ってすぐ、荒れる運河をボートで渡らねばならない場所に差し掛かるので、その渡河を安全に、ここに立ち寄ることが不可欠だった。


 タイミングによっては多くの人が詰め寄せ、一日目だけでは【約束の鐘】の効果を受けられる範囲である広間に入れないことも懸念されたが……しかし結局、一行はするりと広間に入ることが出来てしまった。早めに行って場所取りをしよう、と出発時間を早めていたのも、完全に無意味だった。


「……あの、コトさん。これ、何かおかしくないですか……?」


 失礼だと分かっていても、ベラの中では不信感や胸騒ぎが勝った。マリーに聞いた話でも、事前に作成した聖地神殿までの観光案内マップ――もとい【プロミステラらくらく救済チャート】でも約束の鐘の広間がここまで寂れているという情報は一切無く、目の前に広がっている誰もいない空間は、ベラの眼に明らかな異常として映った。


「だ、大丈夫です。心配性ですね、ベラさんは。ここからですよ」


 コトの言う通り、鐘の鳴る時間ギリギリになってから人が現れ始めた。

 しかし、それもベラを安心させられるものではなかった。


 本来ここに来ようとするのは仲睦まじい、信頼で繋がれた者同士なはずだ。

 なのに、距離がある。どこかよそよそしく、びくびくと――共にいるはずの相手に怯え、様子や顔色を窺っている雰囲気がある。


 ……それは、まるで。

 ……ベラにとって、今朝のパットや、マリーのような――


「鳴りますよ、ベラさん。さ、一緒に味わいましょうね……すべてをみぃんな、明らかにしちゃう一瞬を。ひ、ひひ、ひひひひひひっ!」


 鐘が、ひとりでに震える。

 魔法具である【約束の鐘】は、自分を鳴らすための外部からの力を必要としない。込められた魔法の力が働き、決まった時間に、自ずから動き出し――


 ――良き一日でありますように、と願いと祈りを捧げるような澄み渡った音が、広間に鳴り響いた。


「……え?」


 だが、その鳴り響いた快音は、しかし何処にも染み渡らない。

 ベラはぐるりと辺りを見渡す。そこら中に、鐘を見上げる人々がいる。

 そこに、約束の鐘の魔法効果が発動したことを示す発光は、まったく発生していない。


「――やっぱりだ」


 どこかで、誰かが呟いた。


「鐘の音を聞いたのに、光らなかった。おまえと俺の間に、信頼なんかありゃしない。……だって! おまえはもうとっくに、身も心もあいつのものになってるんだから、だろうっ!?」


「それはこっちの台詞よ! 先に裏切ったのは、あなたのくせに!」


 着火した怒号に歯止めは聞かず、人々はもみ合い、互いに対する罵り声をあげながら取っ組み合い、気が付けばこの場には、“そんなもの”は何もなかった。

 信頼も、約束も、何処にも存在しなかった。


「……くふ」


 そうして。

 広場を埋め尽くす、濁った争いの声の中で、それはそれは爽快な――腹の底から愉快を示す、笑い声が発された。


「くっきゃっきゃっきゃっきゃっきゃっ! ざまみろ、ざまみろ、あー楽しい! これだからやめらんない、心をさらけ出させるのって!」


 手を叩き、指を差し、髪を振り乱し、猫背を仰け反らせて哄笑する人物の名を、ベラは呼んだ。


「コトさん」

「違うよぉ」


 ぐりん、と奇怪に首が動き、じっとりと相手をねめつけるような眼差しが、ベラのほうに向けられた。


「もういいから教えてあげる。ぼくはねぇ、【コトさん】じゃないんだよぉ」


 奇怪な体勢のまま、バチン、と指が鳴らされた。

 その瞬間、ベラは頭から霧が晴れるような、蜘蛛の巣が取れるような感覚を味わい、口からは思わず「ぁ、」と吐息が漏れた。


 ……今の今までコトに対して抱いていた、“この人は警戒しないでいい”という根拠のない認識が、薄皮を剥がすように消えていく。


「あなた――誰、ですか?」

「調べてみればぁ? きみが持ってる大事なやつで。くきゅ、くきゅきゅきゅきゅきゅっ。でも、ノーヒントだと時間かかるかなぁ、わっかんないかなぁ。きみぃ、見るからにトロそうでバカそうでどうしようもなさそうだもんねぇ」


 ローブの中に広がっている、魔王の魔法を応用して作成してある空間から、ベラは分厚い本を取り出す。

 それは外来種勇者大辞典――プロミステラの住民たちが蹂躙されながらも調べ上げた、勇者たちの恐るべき特徴を記した三百年の知識の結晶が、凄まじい早さでめくられ、目まぐるしく目を通され、そして、震える声で言葉が紡がれた。


「……《サムワン目》、《表裏科》、《きれいは汚い属》」


 その分類で呼ばれ、今もまだ逸らしたままだった視線が、大きく見開かれ、ベラの眼を捉えた。


「なぁんで? どうしてわかったのぉ?」

「わ、わたしたちの旅では……ラクベルの町で、勇者に出くわす可能性は、極めて低かった。なのにここで【外来種勇者事例】が発生し、その内容は【群衆に発生した不和・信頼感の異常喪失】と【対象に自分は近しいものと誤認させる認識の変異】で、容疑者は女性勇者……だとしたら、候補はあなたに、絞られます」


 内の恐怖を抑えるように歯を食いしばり、それでも視線はそらさないまま、ベラは指と答えを突き付ける。


「英雄ポイント上げに熱心な、プロミステラ勇者ランキング上位ランカー――チートスキル/《アヘ顔ダブルピースビデオレター無双》の所有者、勇者マコト!」


「くっきゃきゃきゃきゃきゃきゃっ! 何こいつ、急にイキり出しちゃって! あーダメだ、ぼく、一番嫌いなんだよね、《やるときはやる属》とか! だって、表裏科とキャラかぶってんだもんでさー!」


 身体を横に傾けて曲げた奇妙な姿勢で、もう一度コト――勇者マコトが指を弾く。

 すると、中空から大量にそれが現れ、罵声をぶつけ合う人々の頭に、落下してぶつかった。


 黒い板状の長方形物体……勇者マコトのチートスキルが。


「ぁ、」


 触れた瞬間、人々がかすかな呻き声を上げて次々と倒れ伏していく。


「どうやらきみぃ、知識が自慢のポジっぽいけど、ぼく親切だから改めて教えたげるよぉ。チートスキル――《アヘ顔ダブルピースビデオレター》は、この【ビデオテープ】に触れることで発動する」

「……っ!」


 無論、ベラは知っている。勇者ランキングの上位ランカーとその能力など、彼女(まおう)にとってはどれだけ警戒してもし足りない恐怖と事故の象徴であり、ざっと百位までは期ごとの暗記を怠らない。


 だから、その“説明”が何を意味しているのかも分かっている。分かっていながら、この現状ではどうしようもない――既にそこに、他の住民や鐘を聞きに来た客と同じく、倒れ伏している仲間二人がいる以上は。


「ビデオテープに触れたら何が起こるのか。簡単さ――"アヘ顔ダブルピース”、それを見せられる。対象者が最も見たくない人物が、無残に無様に心も身体も奪われてしまう、サイッコウの幻影をたっぷりねぇ!」


 三百年前の、一万の魔王軍と数も把握しきれていない大量の召喚勇者の戦いで、彼女の武勇伝は一際禍々しく語られている。


 勇者マコトが迎え撃ったのは、多くの魔王が功績を求めて寄せ集まった愚連隊もどきだった。統率は不完全ながらも数と力は凄まじく、触れることもままならない、逃げ場所すらない溶岩の噴火にも例えられたほどの脅威であったのだが……その魔王たちは一匹残らず、配下の魔族・魔物に至るまで討伐された。


 すべてが、本人の手を一切汚さぬ【同士討ち】によって。

 精神汚染、信頼反転――失望と絶望の強制付与。それは種族に例外無く、空を焼き、地を裂き、海を汚せる、どんな戦士も敵ではなかった荒ぶる魔王の軍団は、互いの不和と不信をぶつけ合って全滅したのだ。


「信頼、約束、くぅだらなぁい。そんなものがあればあるほど――反転の衝撃は増大するだけさ。ぼく、それがとっても好きなんだ。その風景を、特等席で眺めるのが。そのおかげか知らないけど、ぼくのチートスキル、自分の口で相手に説明しないと、発動できなくなっちゃったんだけど!」


 それを成し遂げるための能力も、スキル《アヘ顔ダブルピースビデオレター》に含まれている。

 彼女は能力を発動するまで、自分が許可する以外の行動で相手に正体を見破られることがなく、さも知人であるかのように振る舞うことで、相手はそのように誤認させることが可能なのだ。マリーが、勇者マコトを文通の相手だと思い込まされたように。


 ――そして。

 往々にして呪いというものは、科せられた手順しばりが多いほどに効力を増す。


「うぅぅぅ……無理だ……」

「ぁぁあ……りゃめぇ……」


 一体、どこで引っかかってしまっていたのだろう。今となってはベラも自分の迂闊さを後悔するしかない。


 機会はいくらでもあったはずで、今朝からの挙動不審で気付くべきだった……パットもマリーも、既に勇者マコトの罠にかかり、《アヘ顔ダブルピースビデオレター》を視聴させられていたことを。パットの部屋を開けた時にちらりと見えた黒いものが、彼が触ってしまったビデオテープであったことを。


 地に伏して頭を抱えるパットと、自らの身体を抱いてもじもじと身をよじらせるマリーは、既にチートスキルの術中に落ちている。


「あのね、ぼくね、知ってんだよぅ。トッカラケに巣を張ってたいっけすかないハーレム勇者、タケトをやったの、きみたちでしょ? あいつ、もう少しで《勇者百傑》のランキングにナマイキにも上ってくるとこだったからさあ、警戒してたんだよねえ。ありがとねぇ」


 くきゅきゅきゅきゅ、と手を叩いてマコトが笑う。同じ勇者が倒された、踏みつけられる立場であるはずのプロミステラ住民に脅かされたというのに、その様子には怯えや警戒が見られない……とことんまでに、見下している。


「だからねぇ、喜んで。生け捕りにしてあげる。英雄ポイントってさあ、勇者功績やったことじゃなくって報酬生物もってきたものの場合は、生きたままのほうが高いんだあ。――あ、でもねでもね、それだけじゃないんだよぅ」


 パチン、と指が弾かれる。

 今や唯一、この場で正気のままな……わざと残されていたに違いないベラを、中空に浮かぶ、無数のビデオテープが取り囲んでいる。


「町に来た時からこっそり観察してたけど、きみたち、とっても仲良しだったみたいだから。末永く、ぶっ壊しながら遊んであげるねぇ」


 四方八方を回転しながら浮遊するビデオテープに触れず逃げるなど出来ず、そもそも仲間を置いてもいけない。ベラは一か八か、勇者マコトに対して手を伸ばし、混沌魔法の詠唱を開始する。


「《万物が秘めし闇、光の下に落ちる影、」

「はい、おっそ


 いつのまにか傍にいて、いつのまにかその手に持っていたビデオテープを、勇者マコトはベラを殴るように振り抜ける。

 頬から、浸透する衝撃。

 ぐらり、と揺れる視界。


られちゃえ。きみが一番尊敬する人が、情けなぁくアヘっちゃうところ、たっぷり堪能しておいで」


 勇者マコトの嘲弄を、彼女はもう聞いていない。

 ビデオテープに接触されたその瞬間、意識は既に奪われて、身体は無抵抗に、ぐらりと力なく前へと倒れ――


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