8.夕焼け

 二人ぼっち。楽園ごっこ。拙く原初の真似をして、現実への反逆遊び。あれからあっという間に5年が経った。


 最初はどうしようかとぎこちなく、数年ぶりに手を繋いで歩いてみたり、二人で買い物をしてみたり、旅行に行ってみたり。大学進学をきっかけに二人暮らしを始めてみたり。


 時には迷走して、互いの服を交換してみた事もあった。流石にスカートはお断り申し上げたけれど。そんな迷走も楽しかった。


 そうして楽しいことを探しているうちに段々と今の形に落ち着いた。


『アダムとイヴは夫婦だったけど、半人前の私達はせいぜい恋人同士かな』


 恋人同士になったのは、確かそんな彼女の言葉がきっかけだったと思う。


 とは言え、こんなのはただの現実逃避だ。逃避される現実が悪いと駄々をこねたところで、いつまでも続けられるはずもなく。


 だからユイに「終わりにしよう」と言われたとき、遂にこの時がやって来たかと、感慨深くそう思った。



 楽園の終わり。僕らは吐き捨てたはずのリンゴをまた食べて、脱ぎ捨てた男女を纏ってエデンを出る。



***



 波を蹴り上げ、海水を掛け合い、ワカメを拾って放り投げ、綺麗な貝殻をポケットに仕舞って、波打ち際で散々ふざけて。


 いつの間にほどけた彼女の髪が、海風に遊ばれて舞い上がる。大きな口を開けて力一杯に笑う彼女の頬は、いつかのように潮水で濡れていて、陽の光にキラキラと輝いている。僕の頬も、そうかもしれない。


 楽しい時間はあっという間に過ぎる。


 思う存分遊んで疲れた僕らは砂浜の入り口、階段まで戻る。


「そうそう、ハジメここでこけたんだよねぇ」

「暗かったからなぁ」


 砂を払って腰かける。もう大分陽も傾いて、青かった空も海も今は赤く煌めいている。


 ハンカチを渡すと彼女は手と顔を拭った。


「終わりを此処にしたのは、平成が終わるから?」


 僕はてっきり大学を卒業する来年だと思っていたから、そう尋ねてみると、ユイは頷いた。


「まぁさ、元号が変わるって言ったって、別に幕府が立つわけでも、天下が統一されるわけでもないし。だから来年になっても時代が急に変わる訳じゃないけど。でも確かに1つの『終わり』がここにあると思ったから、私達も区切りをつけるのにはちょうど良いかなって思ったの」


 現実は変わらない。だけどきっと彼女は彼女の中に、彼女なりの維新を起こそうとしているのだ。


 世界を見る目を変えて、締め出したものを受け入れて、またこの先を歩いていくために。


「それにしても、結局私達『二人ぼっち』にはなれなかったね」


 彼女が笑う。僕もそれに笑い返す。


「そうだなぁ。『二人ぼっち』を始めて、その帰り道で会ったアイス売りのお婆ちゃんに今日まで覚えられてたわけだしな」


 枠を出て、全部をいくら締め出そうとしても、世界はどこまでも広がっていて。せいぜい僕らにできたことは、僕らに都合の悪いところに目をつむり耳を塞ぐことくらいだった。


「でもねそれって、私はこの先何があっても、ハジメがいない場所でだって、一人ぼっちになんてならないってことだよね」


 けれど彼女はそう言って、本当に嬉しそうに笑っている。だから僕まで嬉しくなる。彼女がまたこうして笑えていることが、心から嬉しい。


「私ね、やっぱり自分は女の子だなぁって、そう思う」


 ユイは自分の掌を見る。


 よくいる女の子には少し大きくて、僕よりは小さい。掴めるものの限られた彼女の掌。


「それが私の在り方だから、他の人がどう思おうと関係ないの。女の子の枠、男の子の枠、そういう括りで私を縛る事は難しいけど、私の立っている此処が私なりの女の子。もしかしたらこの先も、私は女の子の枠に入れない事もあるのかもしれない。だけど、枠の外にも世界は広がっていて、枠の外にも幸せはたくさんあったから。枠に嵌まらない所全部含めて私は私だから、それで良いの」


 ユイが顔をあげて僕を振り返る。


 海の中に沈む太陽が一段と強く、赤く、彼女を照らした。


「私、二人ぼっちになって良かった。だからありがとう、ハジメ」


 夕日に染まる彼女の笑顔はどんなものよりも眩しく、美しく、僕の目に焼き付いた。


 少しだけ。それを手放すのを少しだけ惜しく思う事だけは許して欲しい。歩み行く彼女の道のりを邪魔はしないから。ちゃんと手放すから。


 詰まった息を、ゆっくりと吸う。


「どういたしまして、ユイ」



 さようなら、僕達のエデン。

 さようなら、僕だけの美しい人。


 さようなら、海の泡より儚く壊れた僕の恋心。

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