3.向日葵
鬼が1分数える間に子供が隠れて、10分逃げ切ったら子供の勝ち。
じゃんけんに彼女が両手で目を覆い、1つ2つと数を数える。その声を背に、向日葵畑の中で隠れる場所を探す。向日葵は不規則に植えられていて、畑の中はまるで迷路だ。入り組んだ向日葵の道を歩きながら、大人でも隠れられそうな場所を探す。
奥に進むと良い感じに高さの違う向日葵が密集しているその下に、丁度隠れられそうな隙間があって、隠れ場所をそこに決めた。大きな体で花を倒さないよう気を付けながら、向日葵の群れに入り込み身を隠す。
それと同時に鬼の数える声が止む。
「もーういーいかい」
僕は声を返さない。鬼が僕を探し始める。
かさかさ、かさかさと、風に揺れた向日葵が音を立てる。向日葵の密集地は体を隠すのには良いが、僕が動けば向日葵が鬼に居場所を教えてしまう。
だから僕は息を潜め、心を無にすることだけに集中する。石になったように、動かないように、動かないように。聞こえてくる軽い足跡にも動揺しないように。
「はーい見っけ。ジュースおごりね」
向日葵の群れがそっと分けられ、彼女の満面の笑みが上から降ってきた。
「まじかよ」
始まって2分もたたずに見つかってしまった。ユイが自慢げに腰に手をやり、胸を張る。
「私がハジメを見付けられないわけないんだなぁ」
言われて思い出す。そう言えば、昔ここでかくれんぼをした時も、あっという間にユイに見付かっていた。
そして必ず彼女は言う。
「『私が誰より一番ハジメのこと知ってるもんね』」
思い出の声と、ユイの声が重なった。あまりに変わらないその姿に、つい笑いを溢すと、ユイがキョトンと首をかしげる。
「じゃあ次は僕が鬼な」
向日葵から這い出ながらそう言うと、彼女は漢らしくサムズアップして頷いた。
「受けて立つ」
僕はその場にしゃがんで目を隠す。カウントダウンの声に混ざって、彼女の足跡が遠ざかるのが聞こえる。15、14、カウントダウンが進んであっという間に1分が経過する。
「もーういーいかい」
耳を澄ます。声が返らないことを確認して、僕は両手を離して目を開く。
夏の強い陽の光に目が眩んだ。空の青さと向日葵の黄色が目に眩しい。手で陽を遮りながら、向日葵畑の合間を縫って隠れた子供を迎えにいく。
じっとしていられないユイのことだから、密集したところには隠れないだろう。向日葵畑と見せかけて、その外周にいたりして。もしくは入り組んだこの迷路の先とか。
僕だって、誰よりもユイの事を知っている。それ以前に、全長172センチを誇るユイを相手に正直負ける気はしなかった……のだが。
「全っ然見つからん……!」
タイムアップまで後1分。
いくら向日葵が大きいとはいえ、密集しているとはいえ、そこまで広くないはずのこの園で、大の大人がこうも見つからないものか。
探してないところは後はどこだと頭の中に地図を浮かべながら、近くの向日葵の根本を覗く。と、ピピッと高い電子音がして、背中に柔らかい感触が乗った。
「はーいタイムアップ! ジュース2本ね」
後ろを振り向けばどや顔の彼女が背に抱きついていた。暑い、と肩を押せばすんなりと離れる。
「どこにいたのさ」
この辺りは何度も通ったと言うのに、と思って聞けば、彼女は何でも無い顔でこう言った。
「ん? ハジメの後ろ」
音も立てずに僕の後ろを追跡していたと彼女は言う。なんだそれ、女スパイか。と言うか何より。
「ずっけぇ」
それでは、見つけられる筈がない。
「大人になると狡賢くなっちゃうねぇ」
しかし詫びれもせずにそういう彼女に僕はため息をつくしかない。
彼女を誰よりも知っているつもりだが、それでも彼女は僕にも計り切れないようだ。
***
駐車場の自販機でジュースを3本買って、2本をユイに渡す。梨ジュースと葡萄ジュース。僕は梅ジュース。ユイは梨を開けて手を腰に、ごくごくと豪快に飲み干す。
「あー……生き返る。そっち一口頂戴」
「はいはい」
梅も美味しいと顔を綻ばせるユイから梨ジュースを貰う。甘くて美味しい。
「そろそろ出よっか」
声をかけて、僕達はまた暑苦しい重装備に戻る。残ったジュースを彼女のリュックに詰め込んで、僕らはバイクに股がり彼女の腕が僕の腰に回る。
細い腕だ、とふと思う。昔はもう少し筋肉もあったけれど、バレーボールをやめてから細く、弱くなった。
エンジンを回す。低い音が機体から鳴る。それを掻き消すように、耳の奥で雨の音がちらつく。
そう、あの日も夏だった。夏の、酷い夕立の日だった。雨の中、彼女はびしょ濡れで帰って来た。
『もう、部活辞める。なんか……男とか、女とか、よく分かんなくなっちゃった』
「何か悲しいこと考えてるでしょ」
彼女の声に彼女の声が重なる。例え背を向けていても、彼女には何もかもお見通しらしい。
「何考えていたのか知らないけど、悲しいことも、一緒にさよならするんだよ」
出来るのかな、と思う。楽しいことですら悲しいことを塗りつぶせなかったのに。でも他でもない彼女がそう言うなら、さよならするしかない。誰より悲しくて苦しいのは彼女のはずなんだから。
「ごめん、何でもない」
エンジンを吹かし、アクセルを踏み入れる。晴れ渡る空の下、暑いアスファルトの道を走り抜ける。
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