ロジェ編 その1 好都合な『真実』 大陸新暦308年6月
好都合な『真実』(1)
■ここまでのあらすじ
フェンディル王国の貴族の子ロジェ・エルシャレードは<知識神>インジェの神官の扇動に踊らされ、蛮族を許容する“境界都市”テルミナに向かった。
偶然遭遇したテルミナ議長の息子、リヒト・ヘルシェルの一党に対して怒りをぶつけるものの、軽くあしらわれてしまう。
お付きの従者のペネロペの取りなしで解放されたが、ロジェは釈然としない思いであった。
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「私はあくまで使用人ですので、差し出がましいとは思うのですが……」
眼鏡をかけたメイド服の女性は言った。
テルミナとルキスラ帝国の港町ローラシュタットを結ぶ、定期連絡船の特等船室。
貴族や富豪ぐらいしか利用しないため普段は空き部屋のこの船室に、ロジェ・エルシャレードと従者のペネロペはいた。
「お友達は選ばれたほうがよろしいかと」
ロジェに“
「……ああ、わかった」
不承不承ロジェはうなずいた。
ルーンフォークの女性、ペネロペとロジェの付き合いは長い。7年前、ロジェの父親が彼女を事実上身請けする形で旅行先のバルナッドから連れ帰ってきた。バルナッドでは、ルーンフォークを奴隷のように過酷に扱う輩が少なくないそうだ(※バルナッド人の名誉のために一応言っておくと、全てのバルナッド人がそうであるわけではない。だいたい、そういう輩は世界中どこにでもいる)。それからずっとペネロペはロジェの世話係を務めているが、彼女はロジェが一番頭の上がらない相手だ。
僕より年下のくせに……と、ロジェはしばしば思ってしまう。自分でも子供じみた事とはわかっているのだが。ルーンフォークは外見はともかく成人として生まれてくるので(働く前に一年から数年、職業訓練などを受ける場合もあるが)、社会人としては彼女の方がずっと長い。
「それでいいか?」
「よろしゅうございます」
ペネロペはにっこり笑ってうなずいた。
「……尻たたきの案件じゃないのか」
以前は、いたずらをしたら、容赦なくゲンコツや尻たたきが来たものだ。
「ロジェ様も16になられました。法的には成人でございますので」
その笑顔が、かえってプレッシャーになる。これからは何をやるにも大人として責任を取らなければいけないぞ、ということだろう。
「……わかった」
「ところで、ロジェ様。全く話は変わるのですが」
不意に美しい顔を近づけてきたので、どきまぎしてしまう。彼女を女性として意識し始めたのは、いつからだったろうか。
「な、なんだ?」
「ベッドの下というのは……その、あまりに古典的かと」
蒼白になるロジェに対し、ペネロペは意味ありげな笑みを浮かべた。
「ああいう感じを、お望みでしょうか?」
「違う!あれはヴィーヴが渡してきたんだ!!」
くすくすと笑う従者に、ロジェは必死に弁解した。
そう。彼女は自分が一番頭の上がらない相手なのだ。
ローラシュタットより馬で2日半走ると、フェンディル王国の王都ディルクールが見えてくる。
ディルクールがある一帯は“遺跡と花の丘”と呼ばれている。魔法文明期、ここは古フェンディル王国の都だった。当時、一年中花が咲き乱れる魔法をかけられたらしく、その効力が現在でも続いている。フェンディルが“花の国”と称される所以だ。
王都の東門をくぐると、ロジェとペネロペはよく見知った顔を往来の中に見つけた。
「父上」
アルゴル伯爵マテュー・エルシャレード。フェンディル王国農林大臣を務める、ロジェの父だ。かつては現在のロジェがもっと背を伸ばしたような感じの美男子だったらしいが、現在はその容貌に長年の疲労が影を落としている。
「ロジェ、怪我はないか?」
「いいえ」
「あまり、無茶をするものじゃないぞ」
30歳になってようやく生まれた一人っ子ということもあり、アルゴル伯はロジェに甘い傾向がある。
「はい」
この父親を、ロジェはあまり尊敬していなかった。エルシャレード一門はマテューの従兄弟ブレストル男爵レオノール(フェンディル空軍将軍)のように、武官として名を挙げた者も多い。大臣というのは立派な役職だろうというのは頭では分かる。だが、武官として名を成しているブレストル男爵や叔父のほうにより強い魅力を感じるのは、ロジェくらいの年頃なら無理もなかった。
「兄上、ロジェ。やはり、ここにおられましたか」
振り向くと、その叔父がいた。
ユラスハル子爵リシュー・エルシャレード。アルゴル伯爵マテューの年の離れた弟である。フェンディル王国最強を謳われる剣豪で、アルゴル伯爵が先祖代々受け継いできた世襲爵位であるのに対し、ユラスハル子爵はリシューが己の剣で勝ち取った爵位だ。
単なる武人にとどまらず、思慮深く豊かな見識、優雅にして洗練された物腰は社交界でも人気が高い。その武功の大きさから、いずれはエルシャレード一門の頭首になるのではないかとも言われている。ロジェも、全く異存は無かった。
「叔父上」
「おお、リシュー。どうだ?この後、食事に来ないか」
「ええ、そのつもりでお声掛けしました」
アルゴル伯とリシューの兄弟仲は良好である。アルゴル伯は村人の請願にも欠かさず耳を傾ける温和な人柄で知られており、リシューが将来自分の上に立つとしてもアルゴル伯は一切気にしないだろう。
フェンディル王国に限らず、領地を持っている貴族は自身の領地と首都にそれぞれ館を持っている事が多い。アルゴル伯は大臣ということもあり、一年のほとんどを王都の館で過ごしていた。ロジェも同様である。
「ロジェ、無茶をしたそうじゃないか」
テルミナでの一件は、すでにリシューの耳にも届いていたらしい。
「少々、現地の少年と諍いになりまして」
ロジェの給仕を務めていたペネロペが頭を下げる。どうやら、彼女は現地で地元の少年と諍いになって拘留されたとだけ<通話のピアス>で報告したようだ。
「大事にならず、怪我もなかったようだから、何よりだよ」
アルゴル伯はすっかり安堵した様子で言った。
「叔父上は」
ロジェは一旦言葉を切り、言葉を選んだ。
「……テルミナをどう思いますか」
「そうだね」
リシューは少し考え、
「私としても、蛮族を平然と受け容れる彼らの思想については思うところがある」
「……」
「だが、我が国は平和を愛する国だ。戦を仕掛けられたわけでもないのに喧嘩を売って回るのは、花の国の騎士としては良くないね」
「……はい」
叔父らしい、非の打ち所のない正論だった。
「揉め事を起こした相手もテルミナの御曹司だと聞いたが?『雨降って地固まる』とも言うだろう。次に会ったときは良い縁にできるといいな」
「……はい。そうですね」
あっちは確かに気にしていないようだった。
だが、次に会ったときにリヒトとまともに顔を合わせられるほど、ロジェは厚顔ではなかった。
こっちは明確に殺意を向けたというのに、あっちは全く気にしていない……という事実が、かえってロジェの心をえぐるのだ。
「良い縁といえば、あなたも30を過ぎたのだから、そろそろ身を固めたらいかが?」
ロジェの母である伯爵夫人が口を挟んだ。
「おお、そうだな。私が今のお前の歳には、もうロジェは生まれていたぞ」
「これはしたり。藪をつついて蛇を出してしまいましたね」
リシューは肩をすくめた。人間は15歳で成人となるこの世界では、10代後半で結婚することも決して珍しくはない。
「なかなか良い縁に巡り逢えぬもので」
「お前なら引く手数多だろうに。それともなんだ?噂通りに殿下を狙っているのか」
からかうように、アルゴル伯は言った。
噂。
その言葉に、ロジェの心はかき乱される。
双子姫のコークル姫、もしくはラフェンサ姫がリシューと結婚し、将来エルシャレード一門の頭首になるリシューが王配(女王の配偶者)となれば、双子姫はリシューとエルシャレード一門を後ろ盾にすることができるだろう。
現在双子姫は二人の共同即位を主張して元老院と次期王位についてもめているが、エルシャレード一門が双子姫側につけば、元老院も認めざるを得まい。
「ただの噂ですよ。殿下も、20歳近く年上の男には御興味を持たれていないと、明言されています」
リシューはあっさりと否定した。
だが政略結婚となればーもちろん、可能なら歳の釣り合う相手を選ぶだろうがー20歳近く年齢が離れていようが、何の問題もない。
「むしろ、狙うべきはロジェでは?」
「な、何故僕が?あり得ません!」
嘘だ。
ロジェぐらいの年頃で……いや、ロジェぐらいの年頃でなくても、フェンディル王国に生まれた男で双子姫に好意を持たない者がいるだろうか?
そしてロジェには、他の大多数よりもいくらか先鋭化した想いがあった。
「5年後を考えてみろ。殿下は19歳でお前は21歳。血筋はエルシャレード一門で大臣の息子。あとは功績次第だな」
叔父は冗談めかして言っているが、ロジェは目が笑っていない気がした。
そしてリシューの指摘は、ロジェの図星を衝いていた。5年かけて功績を挙げれば、自分にも花婿(文字通りの花婿ということになる)に名乗りを上げる権利はあると思っていた。
「勘弁してくれ。王女殿下の、もとい未来の女王陛下の義父などになったら、私は胃痛で死んでしまうよ」
冗談ではなく、アルゴル伯は心の底からそう思っているのだろう。
「まだ決まった話でもないのに、あなたは本当に心配性ね!」
どっと、一同が笑う。
ロジェは、なんとなく叔父との間に溝ができた気がした。それは正しかった。そして、その溝が埋められることは、ついになかった。
『やぁ、おつかれさま』
部屋に入って椅子に座った途端、どこからともなくその声は聞こえてきた。
ロジェが周囲を見回すと、天井の一角に不思議な物体……手のひらに乗るサイズの正二十面体が浮遊している。なんでも、魔動機文明で使われていた通信装置らしい。
「“教授”。ペネロペが、お前のことを探してるぞ」
『だろうね』
正二十面体は何故か楽しげに浮遊している。“教授”と呼ばれたこの装置の主こそ、<知識神>インジェの神官だった。
「<知識神>って、二の剣の神らしいじゃないか。騙したのか?」
二の剣とは、始まりの剣の二本目、解放の剣イグニスのことだ。イグニスに力を与えられた神々はダルクレムを筆頭として、ほぼ全てが人族の敵である。
『二の剣?二の剣……ははははっ、とんでもない。ずいぶんいい加減な知識だねぇ。さすがは神を知らないヒトの紛いもnおっっと』
ロジェが怒りにまかせて投げつけた本を、二十面体はするりと回避した。
「ペネロペを侮辱するな」
『話し合いをしている最中に暴力を振るうなんて、まるで蛮族じゃないか?』
「……そっちが侮辱するからだ」
『はっは……まあそれはともかくとして、僕の知る限りでは三の剣の神なんだよ。少なくとも、僕の知識ではね』
三の剣は叡智の剣カルディア。<賢神>キルヒアを始めとする神々に力を与えたことで知られる。
「どういうことだ?」
『確固たる事実なんて、そうそうないんだよ。学者にとってはね。あくまでも実験と観察と理論で“おそらくこれが正しい”というところにたどり着くしかないのさ。だから、君は君に都合のいい真実を信じていればいいんだよ』
「……ふん。どっちでもいい。お前とは縁を切る」
『おや、“爪鳥”は役に立たなかったのかい?』
「違う」
ロジェは頭を振った。
リヒトたちを襲った“爪鳥”に罪はない。ロジェが命じたからだ。一方でそれを殺したリヒトたちにも当然罪はない。自衛のためだ。罪があるとすれば、それは。
「やっぱり僕の趣味じゃなかった」
『ふうん?まあ、たまには距離を置くのもいいかもね』
「おい、人の話を……」
『僕は“教授”。教え授けるのが使命さ。まあ、気が変わったらまた声をかけておくれよ』
言いたいことだけ言って、正二十面体はふっと消えてしまった。
(つづく)
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