3-4 地底王国の末姫(4)
ダーレスブルグ市内をあちらこちら行ったり来たりした後、日が沈みかけた頃に訪れたのが海軍本部だった。
「大変申し訳ございませんが、現在提督閣下は遠征中でして」
トリシェラ・マーストリヒ提督は、ダーレスブルグ西南の街テイブリッジを治める伯爵家の出身で、母方でダーレスブルグ公家の血を引く。本来ならば、マグダレーナ・イエイツ将軍よりはずっと後ろになるが、公王位継承権もあるはずだった。
トリシェラとエディンは一応縁戚に当たる。エディンの叔父が、トリシェラの伯母の夫だったのだ。幼馴染というほど頻繁ではないが、昔は毎年のようにテイブリッジを訪れていた。
「海賊討伐ですか?どちらの?」
「鮫ですよ」
エディンが問うと、海軍軍人は、ため息をついた。
“アレスタの黒い鮫”はアレスタ海の人族海賊の盟主だ。クーデリア侯爵領から通行税の徴収権を得ており、アレスタ海西部を事実上支配している。だが、その全てがクーデリア侯爵領の領海ではない。それゆえにダーレスブルグや他の国家は“アレスタの黒い鮫”を目の敵にしている。
だがダーレスブルグ海軍の船は少ない。正面からぶつかれば負けはしないが、あっという間にバラバラに逃げ散ってしまい、なかなか戦果を上げられずにいるという。
「大変ですねぇ」
「海軍としては、奴らを野放しするわけにはいかないですから」
苦笑いする軍人に、エディンは礼を言って別れた。
ダーレスブルグ海軍本部からしばらく歩いたところで、レヴィアが言った。
「言っちゃ悪いけど、ボロい建物よね……」
「よく、手紙で愚痴っていましたよ。本部の修繕に回す金もないと」
「……どうして?」
「ここに限らず、ザルツ諸国は海軍に力を入れてないんですよ」
首をかしげるリヒトに、エディンは説明した。
“ザルツ博物誌”においても陸軍と空軍については触れられているが、海軍にはほぼ言及がない。小説『剣をつぐもの』において、レーゼルドーン大陸への遠征に海上船団が使われているが、どちらかというと兵員輸送が目的であった。
皮肉にもグリュック大橋の存在が、海軍の存在意義を弱めていた。レーゼルドーン大陸に人や物資を送り込むには、陸路でもなんとかなるのだ。
ナイトメアであるトリシェラが提督という重職に就いているのも、海軍がほとんど顧みられていない証拠だ。
「ダーレスブルグの方々は、誰も彼も北ばかり見ていますからね」
保守派も開放派も、彼らは、足下の重要性を忘れている。
グリュック大橋の東西には、広大な海が広がっているのだ。今のところ、北のレーゼルドーン大陸側はほぼ敵地であるとしても。テラスティア大陸の東西を北回り航路で行き来したいならば、必ずこの海峡を通らなくてはならない。現実世界で言えば、スエズやパナマ、あるいはジブラルタルやシンガポールに匹敵する
仮に北回り航路が活発になれば、わずかな通行税をかけただけでも莫大な収入がダーレスブルグの国庫に転がり込むだろう。
ただ、そうするためには海路の安全を確保しなくてはいけない。“アレスタの鮫”を始めとするアレスタ海の人族海賊たちも、本来は蛮族海賊から自衛するために武装した者たちだった。彼らがそうせざるを得なかったのは、陸上の国々が海上まで手が回らないからだ。
ザルツ諸国としては、海とはレーゼルドーンとを隔てる障壁であり、防壁でもある。エイギア地方への侵攻は最悪カシュカーンに退いて迎え撃てばよいし、わざわざ海を渡ってくる連中は陸に上がったところで迎撃すればよい、となればあまり海軍に金をかけなくても……となる。
それでは困るのがロシレッタを始めとする商人たちの貿易商船で、彼らは自衛するほかない。テルミナの冒険者たちにとっても、商船の用心棒は重要な仕事の一つになっている。
「言ってあげないの?」
「現状、ダーレスブルグに強くなられても困りますし」
「そうじゃなくて、幼馴染の彼女」
「シェラは理解していますよ。ただ、ナイトメアである以上海軍の外への発言力が皆無でしてね……」
「……」
レヴィアは思わずリヒトとセシルを順に見た。二人とも困った顔で顔を見合わせた。
「分かってるとは思うが、こいつは悪気無く言ってんだ」
「だから問題なんじゃない……」
ゴードンの言葉に、レヴィアは額に手を置いて応えた。
ダーレスブルグ公国の最高会議が開催されたのは、2日後の夜。
大広間に長大なテーブルが置かれ、貴族、軍人など公国の要人がほぼ揃っている。海軍提督のトリシェラは遠征中のため欠席。もっとも、発言権など最初から無いが。
ミノタウロスの襲撃未遂事件のせいで、大広間はもちろん、城の外まで物々しい警備がついている。
最奥に座っている、本来会議を主宰するはずのダーレスブルグ公王アルフレートⅢ世は現在すっかり老いており、記憶や思考も曖昧な有様である。隣に座っているのは孫のテオフィル公子。一応継承権第一位に据えられてはいるが、13歳という年齢と、公王の長男と愛妾との間に生まれたという経緯もあり、その継承権に疑問符を付ける者も少なくない。
つまり、この二人はお飾りということになる。実際に会議を運営するのは、貴族たちだ。
テルミナ側で出席を認められたのは、リヒトとエディン。それにセシル、となる。
「彼女のご兄姉は人族です。ライフォス神に誓って保証しましょう」
ライフォス神殿の大神官は請け負った。
「しかし……」
貴族の一人が口を挟んだ。
「彼らは別室にいる。気になるならば御自身で<バニッシュ>でもなんでも試されるとよかろう」
「い、いや、大神官殿を疑ったわけでは無いのだ」
マグダレーナの鋭い視線に、貴族は弁解した。
イエイツ将軍は相手がそれ以上話すつもりがないとわかると、一同に向き直って言った。
「ピルクスが敵に回ると、我々は腹背に敵を抱えることになる。公国の傘下に加わるのなら、臣民として認めてもよいのではなかろうか」
「敵に囲まれたならば踏み潰すまでだ。姫、貴殿は先の失敗を糊塗するつもりでその者たちの肩を持っておられるのではあるまいな」
第二軍の将軍が、挑戦的な口調で言った。
マグダレーナは内心ムッとしたが、安い挑発に釣られてやるつもりはなかった。
「先の失敗とは?」
「ミノタウロスの一件だ」
「たしかに、若輩者である私に至らなかった点は多いかもしれない。しかし、首都の防衛にもっと重きを置くべきとは繰り返し申し上げていたはずだが」
マグダレーナは、態度だけは殊勝に述べた。
エイギア地方の開拓が始まって以来、開拓村の防衛に戦力が取られて首都が手薄になっているという構造上の問題は、誰もが知っているが、開拓を止めるわけにも行かずどうしようもならない状況に陥っていた。
「それは責任転嫁というものだろう!」
「責任転嫁、ですか。おや?成り代わられた者の中で、最も重要な役割を果たした者は……たしか?」
第二軍の将軍は歯ぎしりをした。彼の配下であるダーレスブルグでも有数の名のある騎士が殺されて、よりによってミノタウロスに姿を奪われていたのだ。
「いやぁ、ミノタウロス事件の責任追及は、今回の件とはまた別の席で行われては?」
エディンの意外な助け船に、第二軍の将軍は咳払いをした。
「ご、ごほん……小官が余計な発言をして話がずれてしまったな。姫、申し訳ない」
「いいえ」
マグダレーナはすました顔で答えた。
「それで……勉強不足で恐縮なのですが、ピルクス征伐は如何になさるのでしょうか」
「……それは」
「彼らは砂漠の各地に隠された地下道から攻撃してきます。そしてもうじき砂漠は乾期に入ります。地上から攻め込むのは困難ではないかと」
実は対処法はある。セシルたちは地下道の配置を知っている。しかし、それをカードとして切るのは、どうしようもなくなったときの最終手段だ。
「ぐっ……」
「雨期になるまで、あっちは貴国を殴り放題、反撃に出れば砂漠に逃げ込まれるのではないかと。……もちろん、私は専門外なので、見当外れな意見かもしれませんが」
「雨期になるまで待てばよい!これは我が国の会議だ、貴公は発言を求められたときのみ発言されよ!」
将軍はとうとう声を荒げた。
議論は続けられた。
マグダレーナを筆頭に、何人かの貴族が論陣を張ってくれたが、どうにも旗色はよくなかった。
やはり、
エディンが賄賂について提案すると、「いやよ」とテルミナ評議会議長のネリスは言った。
「どんな権力もいずれは腐敗するわ。でも、ヒトは自浄できる生き物よ。ルキスラを見なさい」
たしかに、弱体化し凋落の一途をたどっていたルキスラ帝国は、ユリウス皇帝の登極により、多少荒っぽい方法ながら改革を成し遂げている。
そしてフェンディル王国も、先王を若くして失い幼い双子姫が国政を担うことになり、元老院との対立もあるが驚くべき政治手腕を以て改革を進めている。
「つまり、ダーレスブルグもいずれ改革者が現れるから、腐敗に加担すべきではないと。しかし、今回の件が片付くまでには間に合わないでしょう」
「だったら、別の手を使うのよ」
ネリスは不敵な笑みを浮かべた。
「見てなさい。手なんて、いくらでもあるから」
「も、申し上げます!」
固く閉められているはずの入り口のドアが開け放たれ、兵士が言った。
「どうした?」
「そ、その、公王陛下にお目通りを願いたいと……」
「馬鹿な!今は重要な会議中だぞ」
大臣の一人が、立ち上がって叫んだ。
「あら、でもどうしてもお目にかかりたいのですけど」
「なっ」
聞き覚えのある声に、その大臣ばかりか他の出席者たちも言葉を失った。
「こんばんは」
リヒトやセシルと年が一つしか離れていない美少女が、優雅に礼をした。
フェンディル王国の双子姫の姉のほう、コークル王女。そしてもう一人は……
「このような夜分にすみません。しかし、ザルツ地方の重大な問題であると主君に命じられまして」
ゲイリー・マクファーレン。ルキスラ帝国皇帝ユリウスの腹心であるルーンフォークだ。
「ふむ、確かに」マグダレーナはわざとらしく言った。
「漆黒の砂漠は我が国のみならず南はルキスラ、海を隔ててロシレッタ、フェンディルにも近い。我が国だけで決めるわけにはいかないな」
「我が主君も、漆黒の砂漠の問題については心配しております。我が国はザルツの平和のために協力を厭いませんよ」
きわめて穏やかな笑みを浮かべて、ゲイリーが言った。
ああ、そういう狙いですか。エディンはネリスの狙いに気がついた。
ーダーレスブルグが取引に応じないならば、漆黒の砂漠ごとルキスラに売り渡す。
その意図に気づいた、貴族の何人かがエディンをにらみつけた。
いやはや、悪い顔をすべきなんですかね、ここは。
「ピルクス一族の姫よ」
その言葉に、一同は思わず奥を向いた。
声の主は、アルフレートⅢ世であった。
後から聞いた話だが、ミノタウロス事件の後、城の庭で若い頃『剣豪』と呼ばれていた時のように剣を振るうアルフレートⅢ世の姿が目撃されたという。剣を握っているとき、あるいは握っていなくても時折、このように昔の自分を取り戻すことがあったのだと言われている。
「貴公の姉君が交渉に応じず我が国に牙を剥いたとき。先陣を切る覚悟はあるか?」
どこか、鬼気迫る視線で公王は言った。
リヒトがセシルを見ると、手が震えていた。そっと手を伸ばして握ってやると、震えは収まった。
「……もちろんです」
「そうか。貴国は?」
公王がリヒトとエディンに視線を移す。むろん、この事についてはすでに検討済みだ。リヒトは堂々と表明した。
「テルミナは彼女の盟友として戦いましょう。貴国とルキスラ帝国にはグレース殿の後背を脅かしていただければ」
ダーレスブルグとルキスラには、積極的に戦うことすら求めなくてよい。両国が軍を展開するだけでピルクス軍は南北に防衛戦力を割かざるを得ず、テルミナ単独で戦える。
「もちろんですとも」
ゲイリーは請け負った。おそらく、ネリスが皇帝ユリウスに働きかけたのだろう。
「そうか。……諸卿、いかがか?」
間髪入れずに、マグダレーナが反応した。
「臣下一同、公王陛下の御意のままに」
「よかろう。ピルクスの者たちに、我が傘下に降るように申しつけよ」
「ティレル侍祭」
会議が終わった後。エディンに声をかけてきたのは、意外な男だった。
「これはこれは、バルクマン殿」
いつも通りの仏頂面のバルクマンは、会釈した。
「この度の御尽力、感謝いたします」
「姫の御意志だ」
バルクマンはぶっきらぼうに言った。
「しかし……水を差すようだが本当にピルクスの長はダーレスブルグに降るだろうか?」
「まあ、難しいでしょう」
エディンはあっさりと認めた。
「ですが、少なくとも、これで彼らはバルバロスもどきの化け物ではなく、人族として扱われます。この違いは大きいですよ」
「彼らが降伏した後、助命されることを期待しての措置か」
「ええ、それだけではありませんが。それに……」
エディンは目を伏せた。
「エリアーヌさんもアロイスさんも、自分たちの子孫がヒトと認められたことを知れば、浮かばれましょう」
「……!」
バルクマンは、呆気にとられた表情だった。
ヒトが生まれながらにヒトであるというのは普通、自明の理であるが、ピルクス一族はそうではなかったのだ。
(つづく)
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