3-3 地底王国の末姫(3)



 その街を象徴するのは巨大な『橋』グリュック大橋である。

 魔動機文明期、軍事大国だったダーレスブルグ王国が北のレーゼルドーン大陸に覇権を及ぼすために建造した橋で、徒歩で渡りきろうとすれば3時間を要する。

 “大破局”においてはレーゼルドーン大陸部の領土を失うとこの橋にまで攻め込まれ、王都すら攻め滅ぼされることとなった。“大破局”が終わり、ダーレスブルグ市が人族の手に奪回されて以降、20年ほど前に<北征>を決行するまで、この橋に続く門は閉ざされたままであった。


 その橋を遠くに望む建物の2階の一室に、テルミナからの特使一行は通された。 

「本日は、お忙しいところをお時間を作っていただき、ありがとうございます」

 名目上の副特使ー実質上の特使ーであるところのエディン・ティレルが言った。


「いや、我が国にとっても重要なことだ」

 そう応えたのは、ダーレスブルグ陸軍第4軍の将軍である“姫将軍”マグダレーナ・イエイツ。

 ダーレスブルグ公王アルフレートⅢ世の姪に当たり、父親が北征の英雄オトフリート・イエイツ将軍という血筋の良さと、その美貌から、男女問わず国民的人気を持つ。

「ダーレスブルグへようこそ。テルミナ市特使ヘルシェル閣下」

 使に、マグダレーナが声をかける。

「ありがとうございます。イエイツ将軍閣下」

 片目を隠す眼帯がどうしても目立つが、リヒトは貴人に対する礼の仕方は心得ていた。

「……」

 無言でマグダレーナの脇に控えているのは彼女に幼少より仕える股肱の臣“鋼鉄の騎士”ハウル・バルクマン。厳しい表情でリヒト一行を見つめている。『少しでも妙な真似をしたら、斬る』と顔に書いてあった。

(まあ、つい先日起きたことを考えれば無理もありませんが)

 エディンは先日テルミナでネリスと話したときの事を思い出していた。




「間が悪いわね」

 エディンがリリア・ナバロ救出にまつわるピルクス一族との顛末を話すと、ネリスは言った。

「間が悪い……?」

「ええ、最悪だわ」

「何か、あったのですか?」

「ええ。実はね、あなたたちが漆黒の砂漠で冒険してる間に、ミノタウロスがダーレスブルグ公国首都ダーレスブルグ市を襲撃しようとしていたことが発覚したのよ。なんとかけどね」

「それはまた……」

「でもおばさま、ミノタウロスって<守りの剣>の範囲には入れないんじゃない?」

 レヴィアは首をかしげた。


 <守りの剣>とは、魔動機文明期に作り出された魔剣である。この魔剣の効果範囲内では穢れを多く持つ者は苦痛を感じ、限界近くまで穢れを持っている強い蛮族や、穢れきったアンデッドはろくに身動きできなくなる。リヒトのウィークリングやレヴィアのラルヴァも穢れを持ってはいるが、穢れが弱いため<守りの剣>の影響はほとんど受けない。

 ちなみに、この効果は穢れに対するものなので、人族でも蘇生を繰り返すなどして穢れがたまってしまうと、守りの剣の範囲に入れなくなる場合がある。

 ミノタウロスは牛のような頭をしたパワータイプの蛮族だ。だが、複数種の魔法を使いこなし、暴力と知恵を兼ね備えたさらに恐ろしい者も居り、ミノタウロスキャスターと呼ばれている。


「<守りの剣>の儀式に失敗してたみたいでね。レッサーオーガに潜入されて、衛兵にすら食い込まれていたらしいわ」

 レッサーオーガはオーガ族の下級種で比較的弱い蛮族だが、それゆえに<守りの剣>の範囲に侵入することができる。しかしこの蛮族の真に恐ろしいところは、人族の心臓を食べると、その人族の姿に変身できるというところだ。<サーチ・バルバロス>や<バニッシュ>など蛮族に有効な魔法でも使わない限り、見抜くことは困難である。ゆえに彼らは密偵や破壊工作員として、人族との戦いで猛威を振るっている。

 そして<守りの剣>も完全ではない。先に述べたとおり穢れの弱い蛮族は侵入できるし、何もせずに半永久的に稼働できるわけではない。機能を維持するためにはマナの結晶<剣のかけら>を砕いて定期的に儀式を行う必要がある。

 たまたま必要な<剣のかけら>が手に入らなかったばっかりに強い蛮族の侵入を防げず、街が滅ぼされてしまった……というような悲劇も過去には起こっている。

 なお、有効時間がごく短時間で、希少で高価ではあるが、強い蛮族も守りの剣の範囲に入れるようにするアイテムというのもある。

 ちなみに、2.5では蛮族の魔物データに穢れの点数が明記されるようになったので、『どの蛮族が守りの剣の範囲に入れる・入れない』が明確化された。実は、レッサーではない通常のオーガ(!)もなんとか侵入可能だったりする。


「ば……バーッカじゃないのー?」

 レヴィアは吹き出した。

「領土回復とか言って、守りを薄くした首都に攻め込まれてちゃ世話ないわね」

 テルミナとダーレスブルグとは一度独立戦争でやり合った仲であり、その後もあまり関係はよくない。『ざまあみろ』という感想を抱くのも無理はないかもしれない。


 ちなみに筆者は『剣をつぐもの』を読むまで『第1軍から第3軍はテラスティア大陸側、ダーレスブルグ市周辺を守っていて、第4軍だけカシュカーンに本拠を置いてレーゼルドーン大陸側を守っている』と誤認していた。

 実際はそのほぼ逆で、第1軍から第3軍の大半は北方の開拓地の警備を行い、第4軍がカシュカーンおよびダーレスブルグを防衛するという体制のようだ(『剣をつぐもの』1巻参照)。


「レヴィア」

 レヴィアのみならず、リヒトとエディンはびくっ、と肩を震わせた。顔はにこやかだが、あれは叱るときの声だ。

「テルミナに稼働中の守りの剣は何本あるかしら?」

「……1本もないわ」

 一応、物体としての守りの剣は何本か保有してはいるのだが、バルバロスをも受け容れるという国是から、<守りの剣>は稼働させていない。今後も、おそらくはよほどのことがなければ、稼働させることはないだろう。

「そ。だからレッサーオーガどころかドレイクもバジリスクも入り放題♪」

 おどけるようにネリスは言った。

「うっ……」

「その上、この街では角や翼を隠す必要すらないわ。霧の街からのスパイだって、大手を振って入り放題よ」

 両手を『お手上げ』のように突き出して、ひらひらさせる評議会議長閣下。

「ううっ」

「もちろん、それなりに気をつけてはいるけどね。人の振り見て我が振り直せ、よ?」

「はーい……」

 ある意味、怒鳴りつけるよりもずっとこたえる叱責であった。

「それに……人族だって、時には裏切るわ。場合によっちゃバルバロスに祖国を売ることだって、ね?」




「先日の件は、犠牲になった兵にお悔やみ申し上げます」

「ああ、さすがに貴殿らも知っているか」

 マグダレーナの顔に、一瞬暗いものが差す。一応、民間に対しては箝口令は敷かれてはいるが、レッサーオーガに何人も衛兵が殺され、ミノタウロス討伐には多数の冒険者が活躍したとあれば、人の口に戸は立てられない。

 なおテルミナ政府へはダーレスブルグ政府からの通告よりも、冒険者ギルドからの情報の方が届くのは早かった。


「ダリウスたちがうまくやってくれた」

 マグダレーナの口からダリウスという単語が出ると、バルクマンの厳つい表情が、ますます厳しくなった。

 ダリウス・ガノッサはルキスラ帝国出身の腕利きの冒険者である。ナイトメアとして生まれたため早くに養子に出されたが、実の兄とは、意外と仲は悪くない。なお、この世界では『彼』と仲違いしていないので、小説『剣をつぐもの』の冒頭のようにドロップアウトはしていない。エディン自身は会ったことがなかったが、ネリスとも面識はあるそうだ。

 マグダレーナとダリウスは、以前は冒険を共にしたこともあったらしい。バルクマンからすれば『姫様に付く悪い虫』ということで忠臣として警戒しているのだろうか。あるいは、それとも……?


「レッサーオーガの潜入は、ザイアの若い神官戦士と魔動機師の若者が突き止めたそうですね」

「ああ。頼りになる若者がいるということは、ありがたいことだ」

 マグダレーナの口が少しだけ緩む。かつては軍事大国であり、現在でもザルツ地方の北方の守りを担うことからダーレスブルグでは騎士神ザイアを信仰する者が多い。マグダレーナ自身、ザイアの神官戦士である。


「それで」

 姫将軍は表情を引き締めた。

「本題に入ろう」

 ピルクス一族の存在については、既にダーレスブルグ政府には通告済みだ。


 エディンがピルクス一族にまつわる事情を改めて説明すると、マグダレーナは難しい顔をした。

「貴殿らとしては、ダーレスブルグ公国に何を要求するつもりだ」

「一つは、彼らピルクス一族をダーレスブルグの民と認めること。もう一つは、漆黒の砂漠の自治権をピルクス一族に認めることですね」

「ダーレスブルグにクーデリア侯爵領のようなものを作れと?」

 マグダレーナは、あえて最悪の例を挙げてみせた。クーデリア侯爵領はヘルヴェル王国を謀叛で滅ぼしたギュスタフ・クーデリアにルキスラ帝国が侯爵位を与えたのが始まりで、形式上帝国の傘下にあるものの、ほぼ独立状態にある。

「あれは、当時のルキスラ帝国にクーデリア侯爵領を御する力がなかったからでしょう。無論、ピルクスには兵や文官の立ち入りも受け容れていただきます」

「ふむ……それで、貴殿らは、これで何の利益を得るのだ?」

「隣国である漆黒の砂漠が安定すること自体が、当国の利益です」

 リヒトの言葉に、エディンが付け加える。

「それに、まあ、利権も多少は」

 ロシレッタの大富豪ロドリゴ・ナバロに仲介を依頼し、ピルクス地下の魔晶石鉱山への共同出資を各国の商人に求めるつもりだ、とエディンは述べた。他国の商人を巻き込むのは、テルミナが利権を独占したという誹りを回避するためだ。

 ただし、ピルクス女王グレースが和議に応じないかぎりは空手形であるが。

「それを聞いて安心した。何の利益も無しに国家が他者に世話を焼くことはあるまい」

「イエイツ様」

 それまで黙っていたセシルが、ようやく口を開いた。

「我々ピルクスはダーレスブルグを元々憎んで居らず、むしろ恩義を感じておりました。御寛恕いただければ、姉も自らの過ちに気づくはずです」

「……」

 マグダレーナもまた、生まれながらの姫であり、血筋によって背負わなくてはならない重圧は理解できた。

 姫将軍は、ピルクスの末姫に優しく声をかけた。

「頭の固い連中を説得するのは困難だが、できるだけやってみよう」




 ライフォス神殿からそびえ立つ尖塔。普通の建物なら3階ぐらいに当たる高みに、リヒトとセシルはいた。

 地上を見下ろすと、大勢の見物人たちが自分たちを見上げているのが見える。

「リヒト兄様……心の準備ができました」

「うん……行くよ?」

 リヒトが隠れてない方の眼でセシルを見つめると、彼女はうなずいた。

「はい、兄様」

 リヒトはセシルを強く抱きしめると、そのまま窓べりを蹴って宙に身を躍らせた。


 下から見ていた見物人たちの上げた悲鳴が、どよめきに変わる。セシルの背と足首から美しい光の羽が大きく広がり、落下速度を緩和したのだ。

 セシルの方もリヒトを絶対に離すまいと強くしがみついていた。セシルはヴァルキリーである以上転落死の心配は皆無だが、万が一、2人が離れてしまえばリヒトは運が良くても大怪我だろう。

 ふわり、ふわりと羽が舞い散るような速度で、リヒトの足がゆっくりと地面に降り立つと、あっという間に観衆に取り囲まれてしまう。


「うん、大成功ね」

 観衆の後ろから様子を見ていたレヴィアが満足げにうなずいた。

「しかし……いいんですか?」

「何が?」

 エディンの言葉に、レヴィアは首をかしげた。

「リヒトさんがセシルさんと接近することです」

「ふふん」

 元々、二人で飛び降りるようにけしかけたのはレヴィアだ。セシル一人が飛び降りてみせるより、絵的に映えるという判断だ。

「可愛い妹だもん。好きなものは仲良く共有するわ」

「はあ、そうですか……」

 バルバロスでもドレイクは基本的に一夫一妻だが、バジリスクなどはそもそも婚姻関係に囚われないようだ。

「まあ、仲良くできればそれでいいですけどね」


「これで……よろしいですか?」

 セシルが声をかけると、ライフォスの大神官は申し訳なさげに言った。

「ええ、疑ったりして申し訳ございませんでした」

「いいえ」

 そもそも、ヴァルキリーという種族は非常に珍しい。わずかに穢れを持つナイトメアは人間やエルフ、ドワーフなどからまれに生まれるが、それよりも誕生する確率は低いという。

 大神官は確認するように言った。

「それで……おほん、貴女はライフォス様に帰依したいのですね?」

「はい」

 元々、太母エリアーヌもライフォス信徒だったらしい。エディンは、それを政治的に最大限活用することにした。

 ライフォス神殿はダーレスブルグ公国では多少割を食っている。普通の国では君主や貴族など上流階級の多くはライフォスに帰依しているが、この国ではほとんどがザイア信徒だ。もちろん、ザイアはライフォスの腹心でもあるため、ザイア神殿やザイア信徒たちもライフォスを蔑ろにはしていない。それでも、ザイアの神殿の方が大きく立派だというのがこの国における両神殿の力関係を示している。

 ライフォス神官も人の子である。内心は決して面白くないだろう。

 ライフォス神殿は格好の広告塔を手に入れ、ピルクスは後ろ盾を得る。双方利益のある取引だった。




(つづく)


 作者註:なお、『公式設定は拾ったり拾わなかったりする』ので小説『剣をつぐもの』の設定を全て導入しているわけではありません。例えば『実は〇〇〇〇〇の正体はなんと×××××!』とか……

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