リヒト編 その3 地底王国の末姫 大陸新暦308年7月

3-1 地底王国の末姫(1)


 「時間が無いので、手短に説明します」

 セシル・ド・ラマルク・ラ・フォルトゥーナと名乗った少女は言った。


「私たちの母、太母エリアーヌはウルキア連邦からの避難民でした」

 ウルキア連邦というと、魔動機文明期にレーゼルドーン大陸のエイギア地方から見て竜槍山脈を越えた西側に存在した大国である。大破局によって壊滅し、その余波で気候も変化してしまったのか現在は熱砂の砂漠となってしまっている。

「ダーレスブルグ王国のピルクス市に難民として受け入れられた母は、ダーレスブルグ軍のある実験に志願しました」

付加計画プロジェクト・アネックス。言い換えれば、人造蛮族計画ですね」

「御存知でしたか……」

 セシルの言葉に、エディンのみならずリヒトもうなずいた。

「ペーネムン国防研究所にも、資料がありましたから」

「えーっ?小母様、あたしには教えてくれなかったわ」

「国家機密ですから……」

 むくれるレヴィアを、エディンがなだめた。

「ダーレスブルグ公国との早期講和への重要な切り札になりましたからね」

 もっとも、当時のテルミナ市政府は『我々はペーネムン国防研究所遺跡の調査を完了している』とだけダーレスブルグに通告したのだが。

 大破局当時の状況からすれば、蛮王率いるバルバロスの攻勢を撃退するためには手段を選んではいられなかったのだから、単純に非道な行為とも言い切れない。もっとも、軍事大国だったダーレスブルグ王国は、大破局の起こる遙か前から研究を進めていた節はある。大破局が起こる前、バルバロスの脅威が無かった頃の計画の標的は言うまでもあるまい。

 資料には人造蛮族化のために第四の始まりの剣、フォルトナ系の魔剣を使用したとされている。彼女がフォルトゥーナを名乗るのはそこから来ているのだろう。


「しかし、ピルクス市の滅亡と運命を共にしたとばかり……」

「ピルクスは滅んでなんかいない!」

 シモーヌは思わず声を荒げていた。一同に緊張が走る。

「おい、馬鹿っ」

 ダヴィドに小突かれ、シモーヌは我に返ると、慌てて頭を下げた。

「ご、ごめんなさい……」

 エディンも頭を下げる。

「あ、いえ、こちらこそ……『ピルクスは滅亡していない。なぜならあなたたちがここにいるから』。こういう認識でよろしいですね?」

「はい」

 セシルが、少しだけ表情を曇らせる。


「おっかねえ、おっかねえ」

 ゴードンが肩をすくめた。

「認識の違いは、時に殺し合いに発展することもありますからね」

 例えばの話、ある文化圏では何気ない仕草が、別の文化圏ではとてつもない侮辱であるということもよくある話だ。

「失礼しました。お話の続きをどうぞ」

 エディンが促すと、セシルは話を続けた。

「ありがとうございます。母と一人の男性……太父アロイスのみが、ピルクス市への蛮族の攻撃を生き残りました。彼らの体に合成されたピルクス固有種のアリが、毒砂化による毒素への耐性を持っていたためです」

 ピルクス地下には豊富な地下水が流れており、また魔晶石の大規模な鉱脈も存在した。地下避難所にあった人工食糧生産装置を使い、二人は細々と生き延びた。

「それで、ニフリートさんの地元がここなんですね」

「ええ、ええ」

 ニフリートが言う地元で起きたトラブルとは、すなわち魔航船の飛来と撃墜だったのだろう。


「太父は10年ほどで亡くなってしまいましたが、母はその後も子を産み育てていきました。兄姉たちはアリの特徴を強く受け継ぎ、アリとヒトの両方の形態を取ることができました。しかし……」

「あなただけが、ヴァルキリーとして生まれたんですね」

「……はい」

「さっきから、羽がちらちら出てたからね」 

 カリオペの指摘に、セシルは頬を赤くする。ヴァルキリーは人間からごくまれに生まれる種族で、特に優れた魂が誤って転生してきた者とも言われている。背中とくるぶしから光の羽を展開し、自身が落下する速度を自在に操ることができる。一方、階段程度の段差でも光羽が見えてしまうことがある。

 改めて彼女の顔を見てみると、彼女の髪型はアリの触角と顎を思わせるものがあった。そういう形で家族への連帯を示しているのだろう。


「私が生まれると、母は姉のグレースに女王の座を譲りました」

 三百年の間に、ピルクス一族は漆黒の砂漠の地下に地下道を縦横に張り巡らせていた。ちょうど同じ頃、ヴィラム・ランダールという名のダーレスブルグ出身の冒険者が地下道に迷い込んできたのである。

「グレースは彼をいたく気に入り、婿として一族に迎えました。……そこまではよかったのですが」

 ダーレスブルグ王国が一度ルキスラ帝国に併合されていたという事実を教えられ、グレースは激怒したという。そして、グレースとヴィラムの間に生まれた第三世代が急速に増え、ピルクス一族の大半を占めるようになると、ピルクスの方針にも変化が生まれた。

「私たちも周囲が人族の支配に戻ったということは知っていました。人造蛮族である自分たちが他の人族に存在を知られると問題になる。ならば、姿を隠しひっそりと生きていこうというのが母の方針でしたが……」

「お姉様はそうはお考えにならなくなった、と」

「はい。ルキスラは大破局後の新興国。そのルキスラに一度は併合されたダーレスブルグもフェンディルももはや正統性は失っており、何を憚る必要があるか、と」

「ふうむ」

 ピルクス一族は、というよりグレースは当初、ダーレスブルグ王国を憎んでなどいなかったのだろう。彼らの父母が生き残ることができたのは、人造蛮族化のおかげだったのだから。むしろ、難民であった母を受け入れてくれた恩義があり、敬意を抱いていたに違いない。

 しかし、敬意は容易く反転するものだ。自分より相手を上に見ていたところを、自分たちが相手を上回ったと考えれば、下に見ることになる。

「義兄ヴィラムが来てから以降、地上への出入り口は慎重に隠蔽されるようになりましたが、年々冒険者の探索範囲は拡大し、我々の存在の露見も時間の問題になりました」

 テルミナもまた、タカナ半島を拠点化して砂漠西部地域の探索に一役買ったことになる。

「しかし、いきなり攻撃的になられずとも。我々テルミナを仲介に平和的に交渉もできたでしょうに」

「おそらく、それが賢明なのでしょう。ですが、姉は六星協定に参加を決めました」

「六星協定?」

「オッド山脈のバルバロスの顎、クーデリア侯爵領、ファルブレイム島、エレディア大三角州、レイラ樹海……ザルツ地方の蛮族諸勢力とクーデリア侯爵による同盟です」

 それまでは五星協定で、ピルクスの加盟によって六星協定になったという。

 クーデリア侯爵領といえばルキスラ帝国に形式上従属している自治領で、盗賊ギルドが事実上分割統治している上に、何かと良くない噂の絶えない土地だ。先日はアンデッドの軍団を作り上げようとしたが、ルキスラ帝国の冒険者の活躍で阻止されたという。一応、小さな盗賊ギルドに濡れ衣を押しつけて断罪し、無関係を装っているが、真の首謀者がクーデリア侯爵であったということは公然の秘密だ。

「ヤーハッカゼッシュさんとも、協力関係にあるんですかね」

 ヤーハッカゼッシュは霧の街ジーズドルフを支配している高位のバジリスクで、エイギア地方に盤踞するバルバロス諸勢力に強い影響力を及ぼしている。

「……おそらくは」

「つまり、本格的に人族と交戦する腹をお決めになられたと。御母上はなんと?」

「太母エリアーヌは半年ほど前に……」セシルは目を伏せた。

 自然死か。あるいはそうでないとしても、グレースを掣肘できる存在はいなくなったわけだ。

「なるほど。それで」

 エディンはセシルの目を見た。

「我々に何をせよと?」

「ピルクスを助けていただきたいのです」

 ふむ、。エディンは皮肉っぽい目でセシルを見た。彼女は、のだ。

「エディン……」

 リヒトはエディンの方を向いて、同意を求める仕草を見せた。

「いいんじゃない?」

 レヴィアも助ける気満々のようだ。一個人としてはそれでいいのだが。


「それは、少々検討させていただけませんかね」

 意識的に作った冷たい声に、セシルはびくっと身を震わせた。

「おいおい、そりゃ不人情ってもんだろう」

「窮鳥懐に入れば……って言うじゃないかい?」

 ゴードンとカリオペが非難めいた声を上げる。

 いやはや、孤立無援ですかね。エディンが順繰りに周囲を見回すと、セリム一人が肩をすくめて首を横に振って見せた。『』という態度だ。それはその通りなのだが。

「彼女が頼んでいる相手はリヒトさんでも僕でもありません。。違いますか?」

「……その通りです」

「リヒトさん、テルミナ1万2000の民はどうなりますか。彼らは何も知らないんですよ」

「……それは」

「今回の件、一歩間違えば、テルミナの民を窮地に招きかねないのです。軽々しく首を縦に振っては先方にも失礼ですよ」

「……ごめんなさい」

 しょんぼりした表情のリヒトと、この世の終わり、と言いそうな表情のセシルを見て、エディンは首を横に振った。


「あのですね、早まってはいけませんよ。僕は拒否するとまで言った覚えは無いんですが?」

「あっ……!」

 エディンはセシルに問いかけた。

「我々が介入した場合、グレースさんが開戦を思いとどまる見込みはありますか?」

「それが一番望ましいと思っています」

「次善の策はありますか?」

「その時は……」

 セシルは一旦うつむいて、意を決して顔を上げた。


「姉に同意しない者たちの亡命を受け入れていただければ」

 最悪の場合、グレース一派を切り捨てるということだ。セシルも、それだけの覚悟はしているのだろう。

「それについては、問題はありませんね」

 リヒトが、ほっと息を吐いた。


「我々としても、溺れた方を岸に引き上げるぐらいのことはできましょう。ただ、鎧を着込んで『絶対に脱がない』と叫びながら溺れている方まで助けられるかはわかりません。それでよろしいですか?」

「はい」

 セシルがうなずくと、ピルクス兵たちも安堵の表情を浮かべる。

「んじゃ、あんたらが探している人も連れてこないとな」

 ダヴィドの言葉に、セシルははっとした。

「……兄様、大丈夫かしら」

「あー……俺らの離反もばれただろうからな」

 ダヴィドは頭をかいた。


(つづく)

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