リヒト編 その2 漆黒砂漠の探検家 大陸新暦308年7月

2-1 漆黒砂漠の探検家(1)

 ユーゼド=ボリン諸島からザクソン海を南東に進むと、漆黒の砂漠から海側に突き出たタカナ半島につきあたる。タカナ半島は元々は独立した島だったが、長い年月の間に島と海岸の間に砂州が成長し、テラスティア大陸と陸続きになった陸繋島だ。


 タカナ半島に“境界都市”テルミナが船着き場と集落を建設したのは、8年前。漆黒の砂漠に西側から挑戦する冒険者への便宜を図る目的だったが、漆黒の砂漠を固有の領土と見なすダーレスブルグ公国は猛反発した。

「『固有の領土』なんて言い出したら、ダーレスブルグもルキスラも大昔魔法文明期はフェンディル王国の領土だったじゃない」

 と、ネリスは鼻で笑ったとか。

 ともあれ、ザルツ冒険者ギルド(冒険者の店の業界団体。アルフレイム大陸に倣って20年ほど前に発足)からの政治的圧力もあり、『ダーレスブルグ公国からの租借地』という名目で租借料(タカナの税収の1/4)を支払うということで落ち着いた。従来は北側のダーレスブルグか南側のルキスラから(東側からは山脈越えをする必要があり、あまり行われていない)だった漆黒の砂漠への挑戦が西側からも可能になったため、多くの冒険者がテルミナ経由でタカナを訪れるようになった。冒険者からの旺盛な需要を満たすため、宿屋や酒場、食堂、武具店、はては色街までもが狭い半島にひしめいている。



 太陽が西に沈み、漆黒の砂漠は夜を迎えようとしている。

「レヴィア、起きて」

 リヒトはテントの隅に寝ていた幼馴染を揺さぶった。

「んう……」

 レヴィアは目をこすりつつ、体を起こす。


 本来は砂漠ではなかったこと、砂漠としては面積はそこまで広くはない(現実世界で言えば、5000平方キロ強、日本の中くらいの県ぐらいの面積。※筆者の公式地図からの大雑把な目測による)こともあり、寒暖差はそこまで過酷ではない。

 この季節では、昼間は40℃に迫る気温も夜は20℃程度まで下がり、比較的過ごしやすくなる。そのため、昼間は交代で寝て(アンデッドや暴走魔動機の襲来に備える必要があるため)、夜に活動するのがセオリーとなる。できうるかぎりキャンプは日陰に設営したいが、砂丘の影は万が一の崩落が怖い。漆黒の砂漠も全域が砂で覆われているわけではなく、岩盤がむき出しになった地点もあちこちにある。

 今回は、そんな岩場の日陰にテントを設営していた。

 レヴィアは水袋を持ち上げ、ぬるくなった水を飲んだ。多少寒暖差が穏やかだとしても、砂漠で水分補給は欠かせない。

「んー、早くタカナに帰って水浴びがしたいわ」


 狭いタカナで食糧を生産する余裕はない。砂の毒素は弱まったと言っても、漆黒の砂漠の海岸沿いには未だにほとんど魚は住んでいないし、もし釣れたとしても食べる気にもなれないだろう。

 そのためタカナの食糧、水、その他必要な物資はすべてテルミナから連絡船で供給されている。当然、水浴び・入浴の類は特別料金となっているが、それでも利用する冒険者は少なくない。


「同感だねぇ。砂漠から帰った後の冷えた一杯が格別なんだよ」

 ソレイユ女性のカリオペが言った。



 リヒトたちがタカナ半島に渡ってから3週間ほど。その間、タカナ周辺のアンデッド退治や遺跡探索を何度かこなしてきた。漆黒の砂漠になる前のピルクスは大都市だったと言われる。魔動機文明当時はルキスラも50万人の人口を誇ったと言うから、ピルクスを中心に県ほどの面積が死滅した漆黒の砂漠には数百万を越える非業の死を遂げた死体が眠っていても不思議ではない。それゆえ、アンデッド退治は8年経っても一定の需要があるのだ。


 今回の冒険ではエディンとゴードンはタカナに残った。その代わり、エディンは経験豊富な冒険者のソレイユのカリオペ・ガヴラス、シャドウのセリム・バシャールを紹介し、組むように勧めた。

 「他の冒険者の方と組んで冒険することも貴重な経験です」とエディンは言っていたが、レヴィアは「先生が単にさぼりたいだけじゃないのー?」と疑っている。


 妖精神アステリアの加護を受けた人間がエルフの祖先に、炎武帝グレンダールの加護を受けた人間がドワーフの祖先になったのと同様に、ソレイユは太陽神ティダン、シャドウは月神シーンに加護を受けた人間の子孫だと言われている。共に、本来は北方のレーゼルドーン大陸を中心に分布していた種族である。ソレイユは長命だが、外見的には筋肉質な大柄の人間と言っても通じる。対照的に、シャドウは灰褐色の肌、なにより額にある第三の目が目立つ。


 月神シーンの神官でもあるセリムは、シーンに祈りを捧げたあと、彫像化されていたラクダを取り出して騎獣専有証を剥がし、元に戻した。


「王子様、トカットの準備をするから、手伝ってくれるかな」

「リヒトです」

 いつものように、リヒトは控えめに指摘した。


 ネリスは別に女王に即位したわけでもないし、独裁的な権力を振るっているわけでもない。だが、テルミナ創設者にして評議会議長という立場から、周囲からは事実上のテルミナの君主と見なされている。そのため、親しみ半分、揶揄半分でリヒトを王子と呼ぶ者も多い。


 ラクダのトカットの機嫌を取りながら、足に革でできた長靴を履かせていく。胴体に緩く布を巻き付け、下ろしていた大量の荷物を背負ってもらう。最後に砂よけのスカーフを口にかぶせる。砂の毒は弱まっているとは言え、触れたり吸ったりしないにこしたことはない。

 ラクダは『砂漠の船』とも言われる。背中のこぶに脂肪を蓄えてエネルギー源にしているという話はあまりにも有名だが、他にも血中に大量の水分を蓄えることができ、数日は水を飲まずに過ごせる。人が砂漠で行動するためには食糧はもちろんのこと大量の水が必要であり、そのほかの荷物や獲得した戦利品込みで、全部自分自身で背負わなければならないとすれば悪夢だろう。


「複数使えればもっと楽なんだけどね」

 ラクダは乾燥帯の動物であり、もともとザルツ地方には生息していない。おそらく、大破局前は動物園等で飼育されていたかもしれないが。このため、ラクダは北方レーゼルドーン大陸の蛮族領域から霧の街の豪商ザバール経由で輸入している。むろん、テルミナのライダーギルドは繁殖に取り組んでいるが、ラクダは繁殖が難しい生き物で、妊娠期間も長い。ダーレスブルグやルキスラのライダーギルドからも漆黒の砂漠で用いるためのラクダの注文は多く、需要に供給が追いつかない状況が続いている。一頭しか使えない状況では、専ら荷物を背負ってもらうしかない。一人一頭いれば乗用にも使えるのだが、現状では叶わない贅沢だ。


「女王様は厳しいねぇ。一人息子でも特別扱いはしないんだから」

「小母様、甘やかさない人なのよね」

 レヴィアは肩をすくめた。


 タカナへの出発前、エディンはネリスに、リヒトに対してもう少し親心を見せるべきではないかと暗に支援を要求した。

「具体的には?」

「(パワード)ナイトゴーグル、サーマルマントやブラックベルト、韋駄天ブーツ、能力増強の腕輪、雫のブレスレット……まあそのあたりですかね」

 全部合わせても20000G程度。駆け出しの冒険者にとっては高価だが、テルミナの指導者にとって高い買い物とは思えない。

「却下よ」

 笑顔で一蹴された。その代わり、当面の渡航費用や一行の生活費は見てもらっているので、第三者から見れば十分甘やかされていると言える。



「それじゃあ、そろそろ出発しようか。ニフリートも準備はいいかな?」

「あ、はい、大丈夫です」

 最後の一人、フロウライトのニフリートが言った。カリオペ、セリムとは二、三ヶ月前から組んでいるという真語魔法使いソーサラーだ。


 人族はエルフ、ドワーフ、ソレイユ、シャドウといった人間からの派生種以外にも、突然変異で生まれるナイトメア、ドラゴンを祖先に持つリルドラケン、二足歩行するウサギのようなタビット、人造人間であるルーンフォーク、妖精の一種フィーなど様々な種族からなるが、フロウライトはその中でも特に異彩を放っている。蛍石フロウライトという種族名が示すとおり、鉱石生命体なのだ。

 地中で長い年月をかけて成長した魔晶石に魂が宿った存在と考えられており、呼吸はせず食糧や水は必要ない。その代わり、呼吸しないので練技は使えないし、薬草やポーションの類が効かない。


「ニフリート、本当に大丈夫?」

「ええ、ええ」

 ニフリートの頭が弱々しく発光する。フロウライトの頭部は普段から発光しているが、その光は感情に影響されやすい。文字通りのだ。

 昨夜、ニフリートは『通話のピアス』で何やら話し込んでいた。

「実家、といいますか、地元で少々トラブルがありまして……」

 フロウライトは魔晶石から発生するので、血縁者は存在しない。出身地が同じフロウライトなら、それは兄弟とか家族と見なしても良いかもしれないが。

 レヴィアは訝しげな顔をした。

「何があったかぐらい、話してくれたっていいんじゃないのー?」

「レヴィアちゃん、あんまり詮索するもんじゃないよ」

 カリオペがたしなめた。冒険者には人それぞれ事情がある。

「あたしらには頼りになる仲間ってだけで、十分なのさ」


 暗くなっていく中、5人はタカナへの帰り道を歩き出す。レヴィアとセリムは暗視があるため明かりは不要だが、リヒトは自身の剣に『ライト』で明かりを付け、ニフリートは種族特性を利用して周囲を照らしてくれている。念のため、手が開いているセリムがランタンを持った。このように複数種類の明かりがあると、例えば魔法的な明かりが迷宮の作用で消されても、他の明かりが残る。

 遺跡の探索も一昨日に首尾良く終わった。タカナまで徒歩で4,5時間程度の道を、のんびりと進んでいく。

 

「フロウライトっていいわよねー。水も食べ物も要らないし、毒も効かない。ここの砂漠の探索、一番向いてるんじゃない?」

「とはいえ、我々は打たれ弱いものですから」

 フロウライトは『硬くて脆い』と言われる。鉱石の体は高い防御力を誇るものの、耐久力は非常に低いのだ。それゆえ、前衛は危険だし後衛でも魔法攻撃は容易に致命傷になり得る。

「んー、割と弱点もあるのね。あたしたちは日光に弱いけど」

「あたしらは夜のほうが弱いんだけどねぇ」

 ラルヴァやダークトロール、ライカンスロープなどは日光の下では動きが鈍ってしまう。ソレイユは昼間は精神効果に強いが、夜には逆に弱くなってしまう。

「なら……どうしてここに?」

 リヒトは首をかしげた。この砂漠では事実上、活動を夜に限定されてしまう。

「そりゃあ、実入りがいいからさ!」

 カリオペはにかっと笑って見せた。この砂漠には手つかずの魔動機がまだまだ大量に眠っているとされる。中心の奥地に行くことができれば、もっと価値あるものが見つかるかもしれないが、過酷な環境と荷物の重量が移動できる距離を制限するせいで、未だに最奥部への到達者はいない。


「もうじき乾季だから、そろそろ今年のシーズンも終わりだね」

 セリムは頭上の月を見上げた。漆黒の砂漠は8月には乾期に入る。雲もほとんどなくなる上に砂嵐が頻発するため、乾季に冒険するのは自殺行為とされる。

 そのため、乾季になると滞在していた冒険者たちはタカナを去る。冒険者を客とする住民も、そのほとんどがテルミナや地元に帰ってしまう。雨季が始まる翌年の2月まで、タカナの住民はダーレスブルグから派遣された警備兵と、連絡船で交代する少数の管理人くらいになる。


「カリオペさんたちは、地元に帰るの?」

「他の場所で冒険したり、実家でゴロゴロしてたり。ま、いろいろだね」

「そっかー……リヒトー、あたしたちはどうしよっか?」

「ん……」

 漆黒の砂漠西部は、リヒトたちにとってはまだ地元ホームの延長線上である。テルミナの支援によって成り立っているからだ。ここからさらに外に出ると、本格的にテルミナの庇護の外アウェーとなる。



 タカナの集落が見えてくると、その上空に奇妙なモノが見えた。物見塔にゆっくりと近づいて行っている。

「魔航船?」

 リヒトは首をかしげた。

「魔航船たぁ、珍しいね」

 飛空船とも呼ばれる、空飛ぶ船である。魔動機文明期には数多くの魔航船が世界を飛び交っていたというが、現在は船を飛ばすためのコアの製造技術が失われているため、遺跡から発掘されたコアは高値で取引されている。ザルツ地方の各国は近年、飛空船の建造に力を入れている。民間でも大商会が高速輸送のために導入を始めているが、ザルツ地方においては個人での所有は片手で数えるほどしかないという。

「何かあったのかな」

「何が……あったんでしょうね」

 リヒトがニフリートに視線を向けると、彼の頭部の輝きは内心を表すように不安定だった。


(つづく)

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