第135話 朝から修羅場

 今日は大学が午後からなのに、朝早くからすっきりと目が覚めてしまった。


 恐らく昨日、奈菜先輩との再会の衝撃と、突如姿をくらませた理由を本人の口から聞いたことで、俺の中でわだかまっていた疑念や懸念が解消されたからだろう。

 しかし、心の中でうずいて溜まっていたものが解消されても、奈菜先輩との関係が元に戻るわけではないし、過去の出来事が消えることなく、俺の記憶に残り続ける。


 リスクを分散させてたいがために、突然訪れる別れに何処かおびえている自分がいるから、今の現状があるのかもしれない。


 朝から色々と頭の中で考え始めて泥沼どろぬまにはまりそうなので、気分を変えることにしよう。

 せっかく珍しく目が覚めたので、カーテンを開け、月曜日には普段出さない普通ごみをまとめて集積場へ出しに行くことにした。


 ドアをガチャリと開けると、同じくして隣のドアもドタンバタンと開かれる。

 案の定、今日も優衣さんが慌ただしい様子で玄関からヒールを引っかけながら飛び出してきた。


「おっとっとっとっ!」


 片足立ちで、けんけんしながらもう一方のヒールを懸命に履こうとしていた。


「おはようございます」

「えっ……おわっ!?」


 俺が挨拶すると、その声に驚いたのか、優衣さんはバランスを崩し尻餅をついてしまう。


「あいたたたたた……」


 転んだ優衣さんを見れば、黒スト越しに見えるしなやかな太ももを開脚させて、スーツのスカートの間から見える黒いパンツがあらわになっている。


 朝からいいモノを拝めてありがとうございます。

 頭の中で勝手に神へ感謝していると、優衣さんがしゅばっと目を見開いてこちらを凝視する。


「びっくりしたぁー……! いるなら声かけてよ!」

「いやっ……声掛けたら優衣さんが勝手にバランス崩してこけたんですけど!?」


 声かけてこっち向いたんじゃないの!?

 そんな俺のツッコミをよそに、優衣さんはヒールを履いて立ち上がり、地面についてしまったお尻の埃をパンパンと手ではたく。


「それはそうと、今日はどうしたの? 随分と早いけど」

「なんか、早く起きちゃったので、ゴミ出しです」


 ゴミ袋を掲げて見せると、優衣さんははっと思い出したように頭を抱えた。


「しまったぁぁ……! 今日ゴミ出しの日だったの忘れてたぁぁぁ!!!! あぁでも……今から纏めると間に合わないし……」


 何やらぶつくさ言っている優衣さんを眺めていると、突然優衣さんが覚悟を決めたようにばっと両手を広げてきた。


「今日は仕方ないわ! せっかく大地君の顔を朝から見れたんだから、こっちを優先するべきよね! ほら、大地君、おいでー」

「いやいやいやいや! ゴミ捨てるのと葛藤かっとうしてたのってそれぇ!?」


 ゴミ捨てより、俺を甘やかす方が大事って――まあ嬉しいけどさ。

 でも、ここはアパートの外階段。万が一誰かに見られたら……。


「ほら、早く来て? 私が遅刻しちゃう!」

「えっ……あっ……はい……」


 優衣さんに急かされて、俺は急いで優衣さんへと近づいていき――


 軽く自分の頭を胸の位置に置きやすいように下げる。頭の中では躊躇ちゅうちょしつつも、身体は勝手に優衣さんの胸にダイプする気満々だ。

 優衣さんは頭を両手でガシっと抑え込んできて、そのままスーツ越しの胸元に俺の顔を埋めていく。


 はぁ……今日も優衣さんのおっぱいはふよふよで心地いいなぁー。

 スーツ越しからでも分かる、この柔らかさと弾力感がたまらん……!


「よしよーし」


 俺が優衣さんのおっぱいに顔を埋めて、相変わらずのぷはぁータイムを堪能している時だった。


「大地くん」


 優衣さんの背後の方から、驚きと怒りの混ざった声が聞こえてくる。

 その聞き覚えのある声に、俺は咄嗟に優衣さんの胸元から離れようと、顔を動かそうと試みた。

 しかし、優衣さんがそれを許さない。


「こーら、だーめ。ちゃんとぷはぁーしてからですよー」

「ひょっほ、ふいふぁん……ひほ……ふしほひひとはひふ!(ちょっと、優衣さん……人……後ろに人がいる!)」


 俺の必死の訴えむなしく、優衣さんはぷはぁ―させることに夢中で気づいていない。

 懸命に喋ったことも起因して、再び胸に口と鼻をふさがれ、俺の息苦しさも限界へと近づいてくる。


 俺が思いっきりバシバシと背中を叩くと、優衣さんがようやく合図を出す。


「はいはい。それじゃあ、ぷはぁーしましょうねぇー! せーのっ!」


 スーツ越しの胸元からむしゅっと顔を押し上げて、俺は盛大なふぱぁーをかます。


「ふはぁ……じゃなくて、優衣さん人、人!」

「へっ? あっ……」


 優衣さんが後ろを振り向くと、口をぽかんとしたまま固まってしまう。

 俺も優衣さんの横から顔をそっと覗かせる。


「げっ!?」


 すると、そこには顔を引きつらせた知り合いが腕組みながら仁王立ちしていた。


「大地くん……これはどういうことかなぁ?」


 外階段を通せんぼするように立ち尽くす愛梨さんは、眉を引きつらせながらニコッと笑みを浮かべてこちらを睨みつけている。

 ヤバイ、顔は笑顔なのに目が全く笑っていない。


 俺は咄嗟に浮かんできた言い訳を羅列られつする。


「いやっ、違うんです愛梨さん! これは、お隣さんとのスキンシップというか、朝の挨拶と言いますか何と言いますかそのぉ……」


 ダメだ、何を言い訳しても、こちらの体裁ていさいが悪くなる一方だ。


「あっ……あははははっ……なんか、申し訳ないことしちゃったかな、私」


 優衣さんが苦笑いを浮かべつつ、はたと思い出したように時計を見た。


「うわっ、ヤバッ! もう時間ないや! それじゃあ大地君……弁明よろしく!」

「えっ、はっ!? ちょっと優衣さん」


 優衣さんは颯爽と逃げるように外廊下を駆けていき、愛梨さんの目の前でぺこりと会釈を交わして、愛梨さんの横を通り過ぎ、階段を駆け下りていく。


 逃げ足だけは早い優衣さんが、ヒールをかつかつと鳴らして駅へと向かって行くのを見送った後、外階段に残されたのは、俺と愛梨さんとゴミ袋。


 俺と同じく去っていく優衣さんを見つめていた愛梨さんは、ギギギギっという音をたてるように首をゆっくりとこちらへ向けた。


「……」


 完全にお怒りの愛梨さんである。


「これは、どういうことか、しっかりと説明してもらえるわよね?」

「は、はい……」


 せっかく朝早くから目覚めたというのに、午前中は愛梨さんのお説教で時間を費やすことになりそうだ。

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