第9話 幼馴染の追及

 入学式の後、俺は家に帰り、夕食の準備をしつつ、天使のような女性の笑顔をずっと頭の中で思いだしていた。

 高本は裏があるって言ってたけど、そういう風には見えなかったんだよな……


「ちょっと、大地!鍋!」


 あのサークルに入れば、あの人ともっと仲良くなれるのかな? そしたら、もっと知ることが出来るのだろうか?


「大地! 火! 火止めて! 鍋からお湯溢れ出そう!」


 ふと誰かに大きな声で言われ、我に返る。

 下を見ると、鍋からスープが沸騰して噴きこぼれそうになっていた。俺は慌ててコンロの火を止めた。少し鍋からスープがこぼれたものの、なんとか大事には至らず、ほっと胸を撫で下ろす。


「あぶねぇ、あぶねぇ……」

「大地大丈夫? ぼおっとしちゃって、なんかあった?」


 部屋の方を向くと、いつの間にかテレビを見ながらくつろいでいる春香が、心配そうに見つめていた。


「あれ? お前なんで俺の部屋にいるの?」

「はぁ?? まったく……」


 春香は呆れかえったように、大きなため息をついて答える。


「だから、お昼に連絡して『また、昼寝させて』って聞いたら、『いいよ』って言ってくれたから、駅で待ち合わせして、部屋で寝かせてくれたって言ってるじゃん。ホントに頭大丈夫? あんた、今日これ聞いてきたの3回目だよ!?」


 さすがに春香も、説明するのが億劫になっていたのか、少々不機嫌そうな表情をしていた。


「あ、そうだった、そうだった。悪い」

「ホントに大丈夫? 何かあったの?」

「いや、別に何でもないよ!」


 俺は誤魔化すように、手早くスープ用の器を用意して、出来上がったスープを器に注ぐ。

 二人分よそい、机に持っていった。


「はい、完成。ちょっと煮込みすぎちゃったけど」

「おいしそう!」


 完成したポトフを、春香の目の前に置くと、目をキラキラとさせて、器に入ったポトフを眺めている。どうやら、機嫌が戻ったみたいだ。

 俺はキッチンへ戻り、二人分のお茶碗に白米をよそる。


「あ、水入れるね」


 春香が机の前から立ち上がり、食器棚にしまってあったお箸とスプーン、そしてコップを二つ取って、水道からお水をコップに注ぎ、机へ持っていった。


「サンキュー」


 二人分の食材を机に置き、お互いに向かい合って座り、手を合わせ「いただきます」の挨拶を済ませて夕食を食べ始めた。


 春香はスプーンでスープを救い、フーフーと二、三回冷ましてから口に流し込む。

 ごくりとスープを飲みこみ、しばし下を向いて真剣な表情を浮かべていたが、表情を和らげて微笑んだ。


「うん、美味しい」

「よかった」


 俺は、ほっと胸をなでおろす。


 すると、ちょうどテレビには、昼間行われた大学での入学式の様子が映し出されていた。そして、画面が切り替わり、井上綾香いのうえあやかの囲み取材の映像が映し出された。


「へぇー、井上綾香も大学入ったんだ。あれ? ってかこれ、大地の大学じゃない?」


 春香はお茶碗を持ちながら、テレビの画面を見て尋ねてくる。


「え? あ、うん。そうだけど……」

「何その薄い反応、もしかして知ってたの!?」

「知ってるというか……」


 俺は白米を口に入れ、よく噛んで飲みこんでから答えた。


「授業今度一緒に受けるって約束してるし」


 俺が当然のように答えると、春香は目を魚のように見開いて、ぎょっというような表情をした。


「はぁぁぁぁぁぁl!!!!??」


 春香が突然大声で叫んだので、耳がキーンとする。


「ちょ、うるさい。近所迷惑!」


 俺は耳を塞ぎながら春香に向かってそう言うと、春香は机をバンっと叩いて、前のめりになりながら言葉を続ける。


「いや、なんで? どういうこと? なんで大地と井上綾香が一緒に授業受けることになってんの!?」


 顔がぶつかりそうなくらい前のめりになって聞いてくるので、春香の顔が目の前にある。荒い吐息がかかりそうな距離に、俺は思わず顔を逸らす。


「いやぁ、色々とあるんだよ」

「説明して」


 春香は逃げるのを許さないというような口調で、むくっと頬を膨らませながら俺に説明を要求してきた。


「わかったから、説明するから、とりあえず落ち着け」


 俺は根負けして、春香に井上綾香との関係性を説明する羽目になってしまった。



 ◇



 こうして観念した俺は、食事をしながら一昨日起こった出来事を、一から春香に説明した。


「なるほどね、つまり説明会の隣に座ってたのが井上綾香で、その時に知り合って、一緒に授業受けようってことになったと……」

「まあ、そんな感じだな」

「はぁ……なんでそれを一昨日の時点で言ってくれないの?」


 春香は少し落胆したような表情で言ってくる。


「いやぁ、なんか言う必要ないかなって。それに、芸能人だし言わないほうがいいのかなって、ほら、ばれたりするとまずいのかなって思って」

「私がそんなに口の軽い女だと思う?」

「いや、そうは言ってないだろ」

「はぁ……。まあ、いいや。とりあえず状況は理解できたわ」

「そうか」


 俺はようやく質問攻めから解放され、ほっとして残っていたスープを飲みほした。


「それにしても……。なるほどねー」


 今度は、春香がニヤニヤとしながらじっと俺を見つめていた。


「なんだよ?」

「いやぁ? なるほどね~っと思って」


 春香は、からかうようにニヤリとしながら、何か納得したような表情を見せていた。


「何がなるほどね~、だよ」

「いやぁ、だってあんな綺麗な美人が知り合いなら、ぼっと物思いにふけっちゃうのも仕方ないなぁと思いまして?」


 どうやら春香は、俺が今日ずっと物思いにふけっている原因が、井上綾香だと勘違いしているみたいだ。


「あぁ、それはまた違う理由だけど」

「え?」

「え?」


 しばしお互いに見つめあったまま沈黙が続く。沈黙を破ったのは春香の方だった。


「へ、へぇー違うんだ、じゃあ何があったのかな?」


 春香は口角を上げて笑顔を作りながら、再び俺に質問を投げかけてきた。しかし、今度は目が笑っていなかった。


 俺は目線を逸らしてお茶を濁すように言い訳をしようとする。


「いや、別になんでもいいっ……」

「何があったのかな?」


 あ、やべぇ。これ完全に春香キレてるやつだ……。

 俺は恐る恐るもう一度春香の方を向くと、先ほどと表情一つ変えず。もう逃がさないわよ? という威圧感たっぷりの状態になっていた。


 俺は顔を引きつらせながら


「わっ、わかったよ、話すよ……」


 と観念しするしかなかった。



 ◇



 今日の出来事を春香に話す。


「へ、へぇー。じゃあ、その使に大地はしちゃったんだ」


 今度は先ほどの件よりも、さらに怖い口調で、しかも、使と、のところだけ強調されて問いただされる。


「そんな……感じです」


 俺は、もう為す術がなく正直に話すしかなかった。


「それで、その使はどんな感じに可愛いのかな??」


 春香は眉をヒクヒクさせながらさらに質問を続けてくる。


「いや、どんな感じって言われても、表現が難しいといいますか……」


 俺がどう表現しようか戸惑っていると、春香が追い打ちをかけてくる。


「あるでしょ、例えば誰に似てるとか?」


 春香は目を大きく開けて、机においてあった箸を力一杯につかんみ、プルプルと手を震わせている。やめて、箸壊れちゃうから。

 俺はしばし考えた。俺のタイプの女性に似ている顔かぁ……

 俺は今日会ったときの天使のような女性の笑顔を頭の中に思い浮かべる。

 あのあどけなさが残った表情は……


「まあ、強いて言うならお前に似てるな」

「はへっ?」


 なんだその反応……と俺は心の中で突っ込む。春香は一瞬ポカンという表情をしていたが、みるみると頬が真っ赤に染まっていった。


「はぁ!? 何調子いいこと言ってんのバカ…///」

「いや、単純に思ったことを口にしただけなんだけど……」


 春香は顔を真っ赤にさせて俯きながら、先ほどとは打って変わってぼそっとした口調で聞いてくる。


「それって。私の顔が好みってこと……?」

「ん? あ、いやぁまあ言葉の綾って言うかなんというか。まあ、素材自体はいいと、思ってるぞ」


 俺が少し気恥しくなりながらそう述べた。


「そっか……」


 春香は小声でそう答えた後、しばらく俯いたまま黙ってしまった。なんだかむずかゆい時間がしばらく続いてしまったが、春香は一つ咳払いをして調子を取り戻した。


「まあ、私のことはいいとして。とにかく、ひとつ私から言えることは、その女絶対に猫かぶってるわよ」

「いや、そうは思えないんだけどな」

「いいや、絶対そうよ。全く本当に男は単純だからすぐそうやって騙される」

「悪かったな」

「いい、とにかくそのサークルに入るのは私はおすすめしない。これは、幼馴染としての忠告よ!」


 春香は俺に指さしてそう宣言して食事を食べ終えると。そそくさと帰っていってしまった。

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